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「柊木社長、以前から私のこと知ってましたか?」
「いや。お前の……失礼、君のような個性的な女性は今日初めて会った」
迷いのない目で言い切られ、菜穂子はすんっとなる。
別に幼い頃、知らず知らずのうちに出会っていたような、運命めいたものを期待したわけではない。
ちょっと気になったから、尋ねただけだ。
それなのに、個性的という評価を受けてしまった。これがいい意味ではないことぐらいわかっている。
「で、柊木社長は、なんで個性的な私を結婚相手に選んだんですか?柊木社長のスペックなら、一年だけでも喜んで結婚したい女性なんて掃いて捨てるほどいると思いますけど?」
こんな個性的な自分なんかじゃなくってさ。と、菜穂子は心の中で付け加える。
「大抵、自分から結婚したいという奴は、いざ離婚となるとゴネる。なら俺に全く興味がない奴と契約を結んだ方が、余計な面倒が減る」
「ぉおぅ……なるほど」
ハイスペイケメンにしかない発想だ。
中途半端なイケメンが口にしたら、どつきたくなるが、真澄なら妙に納得してしまう。
「で、話は元に戻すが……結婚できそうか?報酬に不満があるなら、言い値で払う」
「ん、んんー??」
強引に話を戻され、菜穂子は首を傾げる。
身分不相応な条件を出してもらったのに申し訳ないが、真澄と結婚なんてする気はない。
ただプロポーズの仕方……というより、突拍子もない申し出と、その言い方があまりに失礼だったから、ちょっと素を見せてしまっただけだ。
「他の人を探してください。あ、運転手さん、そこ右で」
「いや、真っすぐだ」
ほぼ同時に指示を受けた運転手の南里は、当然のように真澄を選んだ。
「ちょっと!」
「事務所に戻りたいなら、ここにサインしろ。俺も暇じゃない」
「恐喝!」
「失敬な。お願いだ」
鼻で笑いながら真澄はジャケットの内ポケットから、四つ折りにされた紙を取り出した。
広げてみると、予想通り婚姻届だ。なんと、保証人の欄は既に記入されている。
「用意周到ですね。あの……いつも持ち歩いてるですか?」
「いや昨日、ちょっと大学時代の友人と飲んだ時に……ちょっと、な?」
男同士の飲み会がどんなものなのか、菜穂子はあずかり知らぬが、真澄がそう言うならそうなのだろう。
「偶然って重なるもんなんですね」
「そうだな。俺も驚きだ」
しみじみと呟く真澄だが、すぐに表情が変わる。
「で、どうする?今すぐ記入するなら、車を停めるが?」
尋ねる口調ではあるが、断れる雰囲気ではない。
これがデートや食事の誘いなら、悩む必要はない。でも結婚は違う。自分の人生を左右する大事な選択だ。
このままだと真澄から逃げるべく、武力行使をしてしまいそうで、菜穂子は窓に目を向ける。
その瞬間、菜穂子の小動物のようなつぶらな瞳が、大きく見開いた。
「運転手さん、停めてください!!」
──キキーッ……!
鋭い菜穂子の声に、南里は条件反射でブレーキを踏む。
すぐ後続車からクラクションを鳴らされ、真澄が何事かと驚いた顔をする。
それを横目に菜穂子は車のドアを開け、歩道に飛び出した。
「耀太!」
菜穂子が声を掛けると、チャコールグレーのスーツ男の肩がビクッと震える。次いで、恐る恐る振り返った。
「あ……菜穂子」
偶然、恋人と会うことができたのに、耀太はバツの悪い顔をしている。今すぐ消えてしまいたいとすら願っているようだ。
そんな態度を取られた菜穂子だが、傷ついてなんかいない。むしろ、耀太の運の悪さに同情すらしている。
「三十過ぎの男が、浮気現場を見られたからって動揺しすぎでしょ?ね、そう思わない?」
フッと小馬鹿にした笑いを、菜穂子は耀太ではなく──耀太の腕に手を絡ませている女性に尋ねた。




