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菜穂子の複雑な心境を感じ取ったのか、真澄は表情を曇らせた。
「どうかしたのか?」
「あ、ええっと……柊木の本家さんでやらかしちゃったから、そのことで電話があったのかなって……」
指をこねながら口にしたのは、菜穂子の心の隅で引っ掛かっていたことだ。
「まあ君に迷惑かけちゃったら嫌だな」
「ははっ」
不安そうな顔になる菜穂子とは正反対に、真澄は心底おかしそうに笑う。
「もうっ、何で笑うの?」
「可愛いから」
「っ……!」
ナチュラルにそういうことを言うのはやめてほしい。この人は、自分の顔の良さを、もっとちゃんと自覚するべきだ。
「駄目だよ、まあ君。智穂さんが聞いたら、また誤解されちゃうよ?」
「また?」
智穂の名を出した途端、真澄は急に不機嫌になった。
「俺は智穂さんに対して、誤解を生むような発言をしたことはない」
きっぱりと言われて、菜穂子は”真澄は無自覚に女性を翻弄する罪な男”だと断定した。
「ふぅーん、そうですか。はいはい」
「おい」
「そろそろ帰ろ、寒いんでしょ?風邪ひいちゃうよ」
「別に寒くは……わかった」
一度は否定しようとした真澄だが、結局は頷いた。やっぱ寒いんじゃん。
「ところで藤堂さんの電話って……あ、私が訊いても良かった?」
来た道を戻りながら菜穂子が口元に手を当てて尋ねれば、真澄は歯を見せて笑う。
「もちろんだ。っていうか、菜穂ちゃんに聞いてほしい」
「なあに?聞きますよ」
歩く足を止めずに、菜穂子は腕を後ろに組んで、真澄に視線を向ける。
「さっきの宴で菜穂ちゃんが言ったカップラーメンのアイデア、本気で採用したいってさ」
「嘘!?」
「嘘じゃない。藤堂のヤツ、かなり乗り気で仕事始めに早速取り掛かりたいから、今から打ち合わせをしたいらしい」
「それはそれは……」
お正月休みを潰すことになって、申し訳ない。
「私にできること……ある?」
「そうだな。強いて言うなら、今日は最悪泊りになりそうだから、実家に帰ってもらえるか?」
「あ、うん……」
「明日、迎えに行くからゆっくりしておいで。俺も挨拶に行きたいし」
「……そっか」
でも、わざわざ実家に泊まる必要なんてないのに。菜穂子の実家に挨拶に行きたいなら、明日一緒に行けばいいのに。
そんなことを一瞬考えてしまった菜穂子だが、もしかしたら帰省中の智穂が早めに戻ってくるのかもしれないと思い直す。
真澄は、今夜は智穂と二人で夜を過ごしたいのだろう。なら、自分は邪魔者だ。
「わかった。じゃあ……お父さんたちに、まあ君が来ること伝えとくね」
「ああ、頼んだ」
楽しんできてね、という言葉がなぜか言えなくて、菜穂子はちょっと胸が軋む。
「……今日は、色々あったけど楽しかった。ありがとう」
「俺も楽しかった」
噛み締めるように呟く真澄の声音には、嘘は感じられない。
でも菜穂子は「嘘つき」と唇だけを動かして、真澄に訴える。
どうせ、気づかれないし、気づいてもくれないだろう。
いつの間にか陽は落ちて、冷たい潮風が頬を刺す。なんだか「頭を冷やせ」と言われてるみたいだ。
──この結婚生活が早く終わってほしい。
菜穂子はそう願いながらも、この結婚生活の終わりを考えるのに苦痛を感じ始めているもう一人の自分に気づいて、すごく嫌だった。




