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息もできないほど真澄に強く抱きしめられて、菜穂子は頭が真っ白になる。
「っ……!?ま、まぁ君、どうし……っ!!」
真澄は菜穂子を抱きしめたまま、震えていた。
「大丈夫?……寒いの?」
真澄の胸に収まっていた腕を引き抜いた菜穂子は、真澄の背をなでる。
子ども扱いするなと怒られそうだが、そうでもしてなきゃ平常心が保てない。
布越しとはいえ密着しているのだ。真澄の硬く厚い胸板に包まれていると、香水だろうか。官能的なサンダルウッドとムスクの混ざった香りに酔ってしまいそうだ。
このままではマズい。色んな意味で悪い。
頭の隅で警鐘が鳴って、菜穂子はもぞっと身動ぐ。すると、更に強く抱きしめられてしまった。
「……ああ寒い、かなり。だから、もう少しこのままでいてくれ」
真澄の掠れ声は、菜穂子から「戻ろう」という言葉を奪い去る。
「うん、いいよ」
意識してしまっている自分を悟られないように、菜穂子は努めて優しい声で真澄の背を抱きしめる。
どれくらい抱き合っていたのだろうか。一瞬だったかもしれないし、ずっとだったかもしれない。
真澄の胸の鼓動を聞きながら、自分の心の内を悟られないようにと祈っていた菜穂子は、ヴヴッ……という振動音を感じて我に返った。
「あ、スマホが」
「すまない、菜穂ちゃん。ちょっと失礼する」
真澄は上着の内ポケットからスマホを取り出すと、菜穂子と少し距離を置いて電話越しの相手と会話を始めた。
菜穂子といえば潮風に顔を当て、頬に集まった熱を散らす。
──な、なんか……すんごいことしちゃった……!!
真澄が寒がっていたとはいえ抱きしめ合うなんて、自分はどうかしていた。
彼には好きな人がいる。25歳の年上の女性を一途に想っている。自分もそのことをわかっていて、陰ながら応援していたのに。なんたることだ。
「……なかったことにしよう」
そうだ。一刻も早く記憶から消すのが一番いい。
真澄も、わざわざ智穂に今日のことを打ち明けたりなんかしないだろう。だから、これは──
「浮気じゃない」
「ああ、そうだ」
「はい!?」
自分に都合のいいことを呟いた瞬間、背後から真澄の声が聞こえて菜穂子は勢いよく振り返る。
「あ……電話終わったんだ」
「ああ。言っとくが、電話をかけてきたのは藤堂だ。浮気相手じゃない」
「藤堂?」
「ヒイラギフーズの専務だ。宴にいただろ?一番隅に座っていた禿げたおっさんだ」
「隅にいた……おじさん……あ!」
記憶を探っていた菜穂子は、すぐに思い出した。唯一、真澄に酒を勧めなかったまともな男性だ。
「思い出したか?まぁ……あの人は存在感が薄いからな。頭皮と一緒で」
真顔で禿げネタを語られても、菜穂子はリアクションに困ってしまう。
なにせ菜穂子の父哲司は年相応に髪が薄いし、兄の恭司は、哲司の頭部を見て自分の未来を悲観している。
そんな理由から、菜穂子は曖昧な笑みを浮かべてることしかできなかった。




