7
足を止めた真澄は、菜穂子の手を離す。そして菜穂子と、真正面から向き合った。
「……菜穂ちゃんは、俺と結婚して良かった……って言いたいのか?」
「うん!」
迷いのない菜穂子の返事に、真澄は息を吞む。
「嘘だ。菜穂ちゃんが良かったなんて思うわけない。俺なんかの──」
「《《なんか》》じゃない!」
真澄を怒鳴りつけた菜穂子は、腰に手を当てて前のめりになる。
「そういう言い方はしないで!私は、まあ君にすごく感謝してるんだよ!恩人なの。そんな大事な人を”なんか”呼ばわりしないで。私の気持ちに対しても、あの時のまあ君に対しても失礼だから。わかりましたか?」
過去の自分が庇われ、今の自分が叱られるという謎の現象に、真澄は頷き──ぷっと噴き出した。
「ちょっと、もうっ。人が真剣に怒ってるのに」
「悪い。でも今のは《《あの時の俺が》》やったんだ。許してくれ」
「え?う、うーん……なら仕方がないか。許してあげる……って……あはっ」
菜穂子も最後は噴き出してしまい、二人同時に声を上げて笑う。おかげで、肩の力が抜けた。
「あの日……まあ君さ、打ち合わせをすっぽかして浮気してた元カレのところに行こうとしてくれた私を引き留めてくれたじゃん。ありがとう。おかげで冷静になれた。あのまま感情に走って、問い詰めてたら、耀太……じゃなくって、元カレとスッパリ別れることができなかったと思う」
浮気現場を目撃しても、菜穂子はまだ耀太のことが好きだった。
だから耀太から「たった一度の気の迷い」と言われ、謝られたら、許してしまっていたかもしれない。それが不幸の始まりだと知らずに。
「……私ね、まあ君と一緒に暮らし始めてすぐね、元カレと結婚した夢を何度も見たの」
つま先で砂浜に円を描きながら、菜穂子は真澄から視線を外して言う。これから自分が語ることが非現実的で、恥ずかしくて直視できない。
「元彼は結婚した途端、豹変しちゃってクズ夫になった。私は……すごく不幸になったの……」
夢の中に出てくる耀太は、浮気を繰り返し、咎めれば殴る蹴るという暴力から始まり、生活費を家に入れず、心無い言葉で菜穂子の心を傷つける──そんな絵に描いたようなDV夫になっていた。
どうしてあんな男から逃げないのだろう?と、現実の菜穂子は疑問に思ったが、きっとDV夫が得意とする洗脳で、まともに考えることができなかったのだろう。
「きっと付き合ってる時に浮気を許しちゃったのが原因だったんだよね……」
一度でも過ちを許せば、図に乗る人間と、深く反省して二度と繰り返さない人間がいる。耀太は前者だった。
菜穂子は、無防備に垂れている真澄の手を両手でギュッと握る。
「まあ君……ありがとう。不幸になるはずだった私を救い出してくれて。まあ君が型破りなプロポーズをしてくれたおかげで、あの時の私は一周回って冷静になれてたし、最強だった。元彼と別れた時も、事情も経緯も知らないのに無条件に私の味方になろうとしてくれて、ありがとう。すごく嬉しかった。そんなあなたとの結婚に私はすごく感謝してます」
出会って間もない男と同じ屋根の下で暮らす生活は、傍から見たらおかしいのかもしれない。
だけど菜穂子は、あの日の出来事だけで真澄を十分に信頼している。そして、過ごす日々で信頼が深くなっている。
「本当に、ありがとう」
心から感謝の気持ちを伝えた菜穂子の腕を掴んで、真澄は強く引き寄せる。
あっと思った時には、菜穂子はもう真澄の腕に抱かれていた。




