4
「君にプロポーズをしたのは──」
「あ、ちょっとタイム」
真澄が話し始めた途端、菜穂子は片手を上げて遮った。
「今更なんですけど、こういう話って誰かに聞かれていいものなんですか?」
真澄に尋ねながら、菜穂子はチラッと運転手の南里に視線を向ける。
その仕草で、真澄は菜穂子が何を言いたいのか察したようだ。
「ここには俺とお前しかいない」
つまり、南里は無視しろということか。
大財閥の御曹司の運転手をしているのなら、きっと口は堅いのだろう。テレビドラマで、なんかそういう場面を見たことがある。
「そうですか。なら、わかりました」
あっさり納得した菜穂子は、真澄の話を聞く体制を取る。
出鼻をくじかれた真澄は、小さく咳払いをして気持ちを切り替えた。
「……実は、俺には、す……好きな人がいる。その女性とは俺の立場とか、色々しがらみがあって結婚することができないんだ。でも君が俺と結婚してくれたら、俺は……そ、その……す、好きな人を傍に置くことができるんだ」
歯切れ悪く説明をした真澄は、絶対に菜穂子と目を合わせようとしない。
それは正解だ。自分の私利私欲のために、一人の女性の戸籍を傷つけようとしているのだ。まともな神経の持ち主なら、言葉にすらできるはずがない。
「それで、終わりですか?」
腕を組み、足まで組んでいる菜穂子の態度は、おおよそ大財閥の御曹司の車に同乗しているとは思えない不遜さだ。
しかし馬鹿げた求婚をされてしまった衝撃で、なんかもうどうでもいい。
真澄も、自分の立場がわかっているのだろう。そこには触れずに、続きを語りだす。
「もちろん離婚前提の結婚をしてもらうのだから、それ相応の報酬は用意する。結婚中の生活は十分に保障する。望む分だけ、欲しい分だけ、求めてくれれば金でも物でも必ず用意する。離婚の際には財産分与として、君が生涯生活に困らない金額を与える。もちろん離婚後に起業を考えているのなら、うちの傘下に入ればいい。ただの社長だけをやってみたいなら、安定している会社を任せよう」
つらつらと語る真澄の内容は、ド庶民の菜穂子には規格外すぎて受け止めきれない。
なんだか自分の戸籍って、そこまで価値があるのかな?とすら考えてしまう。
「あのぅ……ちょっと、いいですか?」
菜穂子は、おそるおそる挙手をする。途中で遮られたというのに、真澄は嫌な顔をせず、発言権を菜穂子に譲ってくれた。
「壮大なお話を聞かせてもらったんですけど、私はそんなことを知りたいわけじゃないんです」
「なら、なにが知りたいんだ?」
クイッと器用に片方の眉を上げた真澄に、菜穂子は身体を一気に近づける。
「……ち、近い」
「一つ、教えてほしいんですけど」
「なに……を……?」
「私と結婚して、好きな人を傍に置きたいって言ってますけど、それって柊木社長の一方的な都合ですよね?柊木社長の好きな人を困らせることにならないんですか?ないなら、いいんですけど……もしなるなら、この考え捨てたほうが良いですよ」
恋は盲目。恋は病。恋は罪悪。恋は自惚れ。
恋した特権で、何でもありという思考になってませんか?と菜穂子が真顔で忠告すれば、真澄は何とも言えない微妙な顔になった。
「安心しろ。彼女には同意を得ている」
「つまり、自分を好きになってくれた相手が別の人と結婚しても全然平気ってことですよね?それって脈ナシじゃないですか」
「あえて口にするか?」
心底嫌な顔をされたが、菜穂子だって嫌な顔をしたい気分だ。
「こんなバカげた結婚、せめて柊木社長の恋ぐらい実らせないと意味ないじゃないですか」
口を尖らせて菜穂子は呟く。そうすれば真澄は、くしゃりと顔を歪めた。
「お前は、優しいな……」
しみじみとそう言った真澄は、懐かしむような顔をしていた。
今日が、初対面だというのに。




