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初孫懐妊が発表された途端、早波家の和室は一気にお祭りムードになった。
「まぁまぁ!あらあら!おめでとう、孝美さん」
「おお、こりゃめでたいな!恭司、孝美さんに無理させんなよ」
パチパチと手を叩いてはしゃぐ康子と、息子の肩に腕を回して満面の笑みを浮かべる哲司。
主役の座を奪われた菜穂子だが、悔しさなんかより喜びの方が遥かに大きい。
恭司と孝美が結婚したのは、去年の春。遅い懐妊ではないが、二人が一日も早く子供をと望んでいるのを傍で見てきたのもあって、菜穂子の目に涙が浮かぶ。
三つ年上の孝美は優しく穏やかな性格で、嫁いできてくれた時から、菜穂子は本当の姉のように慕っている。
「孝美さん、おめでとぉーーー!つわりは大丈夫ですか?私ね家のこと、今よりもっとやるから!孝美さんは、無理せず元気な赤ちゃんを産むことだけ考えてくださいね」
卓袱台を挟んで孝美の手をギュッと握りしめたら、ふわわっと笑みが返ってきた。幸せな気持ちで、胸がいっぱいになる。
でもすぐに、哲司から突っ込みが入った。
「こら、菜穂子!真澄君の前で、何言ってんだ!」
「あ……!」
「そうよ、菜穂子。あなたもう真澄君のお嫁さんになったんだから、こっちのことなんて気にしてる場合じゃないでしょ!」
「菜穂子ちゃん、気持ちは嬉しいけど……これからはその優しさは旦那さんに向けなきゃ。ね?」
「悪いなぁ、真澄。コイツ、ちょっと抜けててさ」
ちょっとうっかりしただけなのに家族から叱られた菜穂子は、唇を尖らせる。
そんな菜穂子を見て、真澄は理解ある夫の顔をした。
大財閥の御曹司なのに、フランクに呼び捨てや”君”付けされたのに。まったく気にしないというより、それが当然といった感じで。
「菜穂子さんをあまり叱らないでください。嫁いだからと言っても、菜穂子さんにとってここは大切な家なんですから」
ニコッと、イケメンが柔和な笑みを浮かべれば、異を唱える者など誰もいない。
「いやぁー、ほんと今日はめでたい日だ!孝美さんのおめでた報告に、菜穂子の結婚!しかも義理の息子は出来がいいときたもんだ」
そう言って、哲司はガッハッハと笑う。
この機を、真澄は見逃さなかった。
「そう言っていただけて光栄です。私もお義父さんを始め、素晴らしいご家族の一員になれたこと、誇りに思います。これからどうぞよろしくお願いします」
一年後に離婚する男とは到底思えない台詞を吐いた真澄に、菜穂子はギョッとする。
それを康子は、壁時計を見て驚いたのだと勘違いしてしまった。
「ちょっとお父さん、恭司!二人とも会社、遅刻するわよっ」
「おっと、もうそんな時間か」
「やべっ!今日の現場、遠かった」
お祭りムードは、一気に通常の朝の光景に変わる。
「真澄君、悪いが……俺ら仕事なもんで」
「いえ、こちらこそ朝のお忙しい時間に申し訳なかったです」
軽く頭を下げた真澄は立ち上がると、菜穂子に「行くぞ」と目で合図を送る。
「じゃあ、私たち遅刻しそうだからもう行くね。あと今日から私ね──」
「わかってるわよ。真澄さんのところで暮らすんでしょ?結婚したんだから、当たり前のこといちいち言わなくていいわよ、もー」
哲司に背広を着せながら康子は、カラカラと笑う。
「あ、うん……」
電撃結婚をしたのだから、質問攻めに合うと思っていた。最悪、激高した父が、真澄に対して色々やらかすかもと内心、ハラハラしていた。
でもいざ蓋を開けてみたら、拍子抜けするほどあっけなかった。その事実に、喜んでいいのかガッカリしていいのかわからない。
「えっと……モコ、元気でね」
これから離れて暮らす愛兎に別れを告げてみたけれど、モコは相変わらずチモシーをモシャモシャ食むだけ。
……まぁ、嫁いだと言っても、一年後にはバツイチになる。
そんなに感傷的になる必要もないか。
スーツケースをガラガラ引いて、玄関に向かう。そして、昨日と変わらぬ流れで靴を履いた菜穂子は、振り返って和室にいる家族に声をかける。
「じゃあ……行ってきまーす」
すぐに「はーい、いってらっしゃーい」と、康子の声が廊下に響く。
あまりにいつも通り過ぎて、菜穂子は結婚した事実を上手く受け止めきれないまま、真澄の愛車に乗り込んだ。




