end
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入学式の日。笑顔で自己紹介をした先生を見て、かっこいいなと思った。
けれどすぐに生徒からの質問で、結婚したばかりだということを知った。
先生に恋をするなんて嫌だったから、既婚者であることに最初はほっとしていた。
けれど、興味を持って入部した写真部の顧問が先生であったことや、二年生のクラス替えでまた担任になったりして。毎日顔を合わせるうちに、どうしても意識するようになってしまっていた。
テツローの話はとても面白くて、授業もやる気が出て、部活も楽しかった。叶わない恋だとわかっていても、彼を想うと胸が高鳴るのがとまらなくて、この想いは落ち着くまで心に秘めておこうと思っていた。
けれどテツローの子供が産まれたとき、私の中でなにかが変わりはじめて、彼の幸せを素直に喜べない自分に気がついた。
決して受け入れてもらえないとわかっているのに、彼の一番になりたい自分がいた。
子煩悩っぷりを発揮して、毎朝撮ったばかりの写真をみんなに見せる姿や、進路の相談をする女子と話しているのを見るだけでも、思わずむっとしてしまう自分がいた。
気づけばもう、後戻りできないぐらい好きになってしまっていた。
そんな嫉妬心や独占欲をなくしたくて、でも簡単に相談できる相手はまわりにいなくて。唯一心を開けたのが修だったから、私は修を利用してどうにか自分の気持ちに折り合いをつけようとして。
でも、結局、できなくて。
気持ちを抑えることができないのなら、伝えて、返事を聞いて、それでちゃんと終わりにしようと思ったのだ。
たとえ結果が見えていたとしても。
「……先生?」
私の告白に、テツローはただただ、こちらを見つめ返してくるだけだった。
突然の生徒からの告白に困るのは無理もないと思う。とくに私は、修という彼氏がいるように思われていたのだ。だからよけいに彼も、私の口からこんなこと言われるだなんて思ってもみなかったに違いない。
広崎、と、私の名前を呼ぶこともしない。生徒から告白されたのはたぶんはじめてなんだと思う。なんと答えたらいいか言葉を探しているのか、まばたきの数がやけに多い。
私は、ただ一言、ごめんと言って欲しいだけなのに。
そうしたら、終わりにできるのに。諦めがつくのに。
卒業式のこのときを選んだのは、後になってお互い気まずくなることを避けるためだ。クラスや部活の送別会のときに言うのがよかったかもしれなかったけど、そうすると想いを伝える時間があるとは限らなかった。
長い沈黙に耐え切れず、先に視線をそらしたのはテツローだった。
「……ごめんな」
搾り出すようなその声に、私はただ、うなずくしかできない。つめていた息を、細く長く吐き出す。そして、この日のためにずっと考えていた言葉を、そっと舌の上に乗せた。
「奥さんと子供が大好きで、幸せそうにしている先生が好きでした」
嘘だ。本当は、先生の一番でいられる奥さんと子供がうらやましくてねたましくてたまらなかった。
でも、こう言えば、先生が困ることはないと思った。ひとりの男性として見ているのではなく、夫であり父であるテツローを見ていると言えば、あとで彼が悩むことも軽くなるだろうと思った。
たとえそれがうわべだけの言葉だとわかっていても。ただの綺麗ごとだとしても。私の自己満足だとしても。
憧れの恋だということにしてしまえば、
「……ありがとう」
彼はそう言うことができるから。
本当の気持ちを知っているのは、私自身と、修だけ。それでいいと思う。
いい恋しろよ、とか、もっと他にいい人がいるとか。そんなよけいな言葉はいらなかった。ただ断ってもらえればそれでよかった。
「……じゃあ、私、帰りますね。先生、今までありがとうございました」
最後の最後だというのに、自分でもわかるぐらいぎこちない笑顔になってしまった。顔を見たつもりだったけど、わかるのは胸元のマーガレットだけで、どんな表情をしているかなんてまったくわからなかった。
決して振り向くまいと、教室を出た。彼が後を追ってくることはもちろんなかった。
階段を降りて玄関にさしかかったところで、堰を切ったように、まぶたから熱いものがこぼれだした。
私はそれをぬぐうこともせず、ただただ頬を伝わせ、流し続けた。
たくさんのさよならを、この涙ですべて流してしまおうと思った。
END