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「まだ、泣かない。でも、今日で、泣くの終わりにする」
声がふるえて、少しずつしか話せない。これで本当に、私は彼と話すことができるのだろうか。自分でも不安になってしまうぐらい、涙の袋を引き締める糸はもろく切れてしまいそうになっていた。
「……そっか」
まぶたの向こう側で、修が動くのがわかる。彼の影で視界が暗く覆われたかと思うと、まぶたにそっと口づけされる。そして彼は手の動きを止め、ゆっくりと身体を離した。
ようやく開いた私のまぶたは、涙を我慢しすぎたためか、からからに乾いていた。真っ赤に充血しているであろう目で見上げた修は、私の情けない顔を見て、たれがちなまなじりを下げてみせる。
「おれ、舞美のこと、好きだから」
修の告白を聞いたのは、これがはじめてだった。
そして私は、それに、何も言うことができなかった。
気づいていた。私はそれを知っていて、だからこそ修のことを利用したのだ。好きな人には他に好きな人がいるという、むくわれない気持ちの痛みは誰より私自身がよくわかっていたはずなのに。私は自分のことばかりを考えて、修の気持ちも気づいているようで気づかないふりをしていた。
はじめて彼の言葉で聞いて、いかに自分のしたことが身勝手だったかをあらためて思い知る。そんな自分をどうして修は好いていてくれるのか、私にはさっぱりわからなかった。
再び涙がこみあげそうになる私に、修は返事を求めなかった。視界が歪んでうまく見えないけど、彼のその表情は微笑んでいて、けれど翳りがあることをまなざしは隠せてはいなかった。
「じゃあおれ、テツローのとこ行ってくるわ。送別会の話とかもちゃんと聞いてくる」
最後にまた、ぽんと頭に手を乗せて、修は教室をあとにした。
その後ろ姿を見送りながら、私はすんと鼻をすする。こらえた涙が、涙腺を伝って鼻に降りてくる。
結局私は、また泣いているのだった。
○○○
涙はなぜ流れるんだろう。
どうしてこんなにあふれるんだろう。
「私、ばかだ……」
呟く声は誰にも聞かれることなく、教室の静寂に吸いとられて消えていく。目頭を押さえると、コートの衣擦れが響いて、なによりもついたため息が一番大きかった。
私はこんなに泣き虫じゃなかったはずなのに。
子供のころはよく泣いていた。嫌なことや痛い思いをしたりすると、すぐにわんわんと泣きわめいていた。赤ん坊のころは毎日泣いていただろうし、それは泣くことでしか自分の意思を伝えることができなかったからだ。
それでも大きくなって言葉を持つと、言いたいことを伝えられるようになった。痛みや不満で流しそうになる涙をこらえることも覚えた。だから泣く回数は減ったはずだった。
映画や小説を読んで、感動して泣いたことは何度もある。嬉しいことがあって、涙を流したことだってある。涙は悲しいときにだけ流れるものではないとちゃんと知っていた。
でも、どうして、恋をすると涙が出るんだろう。
どうして、その人のことを想うと涙が出るんだろう。どうして胸が苦しくなるんだろう。
切ない、と、言葉にすればただそれだけのことなのに。涙は勝手に流れ出る。私はこの三年間、この涙を一体何度流したことだろう。
子供のころに流した涙と、今自分が流している涙は違うもの。
感情を伝えるために流す涙と、あふれ出る感情がとまらずに流れる涙は、違う。
今日で、この、恋の涙はもう終わりにする。次流すときがまた来るかもしれないけれど、それはまた、別の人を想って流したい。
だから私は、ずっと涙をこらえ続けていた。
「――あれ、広崎?」
ひとりになった教室でぼんやり時間がすぎるのを待っていると、ふいに扉の開くきしんだ音がした。
「先生?」
「最後に残ってるのが広崎っていうのはなんだか意外だな」
入ってきたのはテツローだった。
「野宮のこと待ってたのか? 送別会の話はもう終わったはずだけど……お前たちはほんと最後まで仲いいんだな」
テツローは写真部の顧問だった。修も送別会の話が終わったんだからもう家に帰っているはずだけど、先生もまた、私が修とまだ付き合っていると思っている人の一人だった。