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軽くついばむように、彼は何度も唇を寄せてくる。時折長く重ねて、離れて、また重ねて。唇を割ってとろりとした舌が歯茎を撫でても、私はただ黙ってそれを受け入れていた。
「……なんで、泣かないの」
唇を離して、修が問うた。何も言えぬままうつむきそうになる私の頬を両手で包んで、彼はしっかりと顔を覗きこんでくる。
「いつも、泣きそうな顔したのに。なんで今日は泣かないわけ?」
修と付き合っている間。したことはキスまでではない。
行き着くところまでいった。だからこそきっと、今のようにお互いをよく理解した関係になったのだと思う。
修のことは嫌いじゃなかった。たぶん好きなんだと思う。だからこそ、キスをしても身体を触られても、嫌だと拒むことはなかった。
私はそれを利用していた。
修といれば、自然と気持ちが傾いていくと思っていた。修のことが『彼』以上に好きになって、忘れることができると思っていた。
けれど私の気持ちは正直で、どんなに身体を偽ってみても、心の底では彼のことが頭をちらついて離れなかった。
修といて楽しいはずなのに。ふとした拍子に切なくなって、泣きそうになって我慢した。その涙が修への罪悪感なのか、それとも彼への恋しさなのかは自分でもよくわからなかった。そんな中途半端な関係をずるずると続けて、結局終わりを告げたのは私からだった。
修はすべてを知って私と付き合っていた。
私が他の人に片想いしていることも、その気持ちを伝える意思がないことも、この不毛な恋心をなんとか自分の中で消してしまおうと思っていることも。そのために修を利用しようとしていることも。わかっていて、私に触れてきた。
私から付き合おうと言って、私から別れようと言ったのに、その自分勝手に文句ひとつ言わずに黙ってうなずいてくれた。
修のことを好きになれたらどんなによかっただろう。
「……修」
「ん?」
「ごめんね」
修はそれに、私の頭を撫でるだけだった。
彼の大きな手はいつも、私を落ち着かせてくれた。ひどく感情的になって泣き出してしまったときも、唇を噛みしめてうつむいたときも、いつも穏やかに私に触れていてくれた。すがるように指先にしがみついても、ふりほどくことなく私が離すまでずっとつないでいてくれた。
静まりかえった教室の向こうで、廊下では卒業生を探す後輩たちの足音が聞こえてくる。修は肩を抱くように私に腕をまわして、入学してからずっと伸ばし続けた髪を撫で続けてくれていた。
修にこうしてもらっていると、私の中のごちゃごちゃに絡まった感情が、少しずつほどけていく気がした。
独占欲や、嫉妬心。片想いを続けていく中で、私を困らせたのはその醜い感情だった。彼が自分を見てくれることはないとわかっているのに、どうしても、他の人といるのを見ると胸がもやもやしてしかたなかった。私のことを一番にしてもらいたくて、でもそんなわがままなことを思う自分が嫌で、おさえこもうとしても結局できなくて、そんな葛藤を長く長く、続けていた。
それも、今日で終わりにする。私は修に別れを告げたとき、自分の中でそう決めていた。卒業式の日を迎えても、どうしてもこの想いを捨てることができないのなら、潔く伝えてばっさり断ち切ってもらおうと思っていた。
彼のことを思うと涙が出た。自分でもどうしてかわからないくらい、胸の奥が熱くなるのだった。そしてそれを鎮めるかのように、涙があふれ出すのだった。
涙を流しても結局想いは鎮まらなくて、むしろ強まるばかりで。自分の力ではもう、どうすることもできなかった。
こんなに人を好きになったのははじめてだった。
「……舞美、泣いていいんだぞ?」
目を閉じたまま唇を噛みしめる私に、修が心配そうに声をかけてくる。彼はいつも、そう言っては私を泣かせてくれた。私は何度、その広い胸に甘えたかわからない。彼も彼で、告白を渋る私を諭すことも突き放すこともせず、ただずるずると気持ちを引きずり続ける背中を、飽きもせずさすり続けてくれていた。
「……泣かない」
どこまでも強情な私に、修はそっと息をつく。まぶたを伏せて何も見えなくても、私はその息遣いで彼が笑ったのを知った。
どうして笑ってくれるんだろう。私がもし修だったら、きっと呆れかえって見捨ててしまうだろうに。