第17話: 血染めの夜明け
夜明けが、ゆっくりと近づいていた。
湿った瓦屋根の上には、くすんだ灰色の霧がなおも立ち込め、早朝の刺すような冷気が、一つ一つの呼吸にまとわりつく。
三人の人影が、言葉もなく歩いていく。
この一帯に悲嘆と死をばらまいてきた犯罪組織を――今度こそ、完全に叩き潰すという強い決意を胸に抱いて。
情報を掴むのは容易ではなかった。
だが、金には金なりの重みがある。
通りの入り口にある酒場で、みすぼらしい傭兵たちに銀貨を数枚握らせるだけで、彼らは惜しげもなく貴重な情報を吐き出した。
断片的な噂を一つずつ繋ぎ合わせていくうちに、やがて全体像が浮かび上がる。
犯罪者たちは夜になると酒場や歓楽街で取引を行い、
そして夜明け前――人の目が最も届かない時間帯になると、小さな路地へと散って密かに裏取引を行う。
──予想通りだった。
霧に覆われた鋭く尖った屋根の上。
午前四時頃、mainは闇の中に静かに佇んでいた。
赤いマントが風をはらみ、舞い上がる。
そして彼は、それを自らの手で放った。
赤布は灰色の空を漂い、くるくると回転しながら落ちていく。
数人の犯罪者が不思議そうに見上げたが、それが死の宣告であるとは、誰一人として気づかなかった。
次の瞬間――
mainは一気に飛び降りた。
剣閃が走る。
鋼の光が狭い路地の空間を引き裂き、密かに取引をしていた一人の犯罪者へと一直線に振り下ろされる。
男は反射的に身を捻り、武器で受け止めた。
だが、叩きつけられた一撃の威力は想像を遥かに超えていた。
男の身体は弾き飛ばされ、石壁に激突する。
息をつく暇も与えない。
mainは積み上げられた木箱を蹴って跳び上がり、再び間合いを詰める。
剣が描くのは、死を約束する円弧。
追い詰められた犯罪者は、慌てて信号弾を引き抜き、空へと撃ち上げた。
その直後、無秩序な剣撃を振り回して反撃する。
技術も型もない、ただの悪あがき。
mainは冷静にそれをかわし続ける。
狭い路地の中を、無駄のない動きで滑るように移動する。
一瞬の踏み替え。
壁を蹴り、背後へ回り込む。
──決定打。
剣が振り下ろされ、敵の命は一瞬で断たれた。
冷たい石畳に、血が広がる。
mainは、ほんの一拍だけ動きを止めた。
人を殺すこと――それは、彼がずっと避けてきた行為だ。
だが、この世界では、仲間と自分を守るために、他の選択肢は存在しない。
彼は剣の柄を強く握り締め、迷いを振り払った。
そのとき――
風を切り裂く音とともに、矢が飛来する。
mainは剣を振るい、正確無比な軌道で次々と弾き落とした。
かつて仲間たちと重ねた訓練のおかげで、弓やクロスボウの速度にはすでに慣れている。
容易い。
反対側の路地では、黒騎士と盾騎士もすでに数人を仕留めていた。
松明の揺らめく炎が、二人の影を壁に映し出す。
まるで、夜に立つ二体の戦士のように。
しかし、残った犯罪者たちは無謀に突っ込んではこなかった。
素早く距離を取り、警戒の視線を向ける。
──明らかだった。
冒険者と、ただの盗賊崩れとの間には、埋めようのない隔たりがある。
貧しさに転落しただけの盗賊たちは、鍛錬の時間も、気の扱いも、生死を賭けた実戦経験も持たない。
mainのような存在は、彼らにとって捕食者そのものだった。
だが――
闇の中で、退かずに立ち止まる影がいくつかあった。
放たれる気配が、明らかに違う。
貧しい「元一般人」ではない。
血と暴力、そして裏社会の掟の中で生きてきた者たち。
──幹部が姿を現したのだ。
背後から、霧の中に足音が響く。
茶色の粗末な服ではない。
青水色のマントを纏った者たちが、冷たい矢のように飛び出してきた。
「気をつけろ。あいつら、さっきまでの連中とは格が違う」
盾騎士が即座にスキルを発動し、光の盾を展開。
遠距離から仲間を守る。
五人の青マントが散開する。
三人が黒騎士へ、二人がmainへと襲いかかる。
盾騎士は後方に位置し、誰にも近づかせない。
そのうえで、機動的に動きながら、黒騎士を支援し、同時にmainを守り続ける。
青マントたちの剣撃は重く、鋭く、連続して叩き込まれる。
一撃一撃に、確かな鍛錬の気配が宿っていた。
本来なら、経験わずか数か月のmainが、とうに倒れていてもおかしくない。
だが彼には、技術以外の切り札があった。
──二十の魔力回路。
圧倒的な魔力量が、彼の中で燃え盛っている。
しかし、技量差は残酷だった。
反撃は正確でも、体勢を崩され、威力が乗らない。
屋根の瓦が砕け散り、破片が飛び交う。
彼らは屋根から屋根へと跳び移りながら、死闘を繰り広げていた。
剣が交わるたび、血が宙を舞う。
mainの身体はすでに傷だらけだった。
深く裂けた傷も多い。
額を貫いた一撃から血が流れ落ち、片目を閉じざるを得ない。
残されたのは、本能と、生き延びるという意志だけ。
黒騎士の側も同様だった。
これほど手強い相手と戦うのは、久しぶりだ。
三人の青マントが連携し、執拗に攻め立てる。
盾騎士の支援があっても、状況は極めて厳しい。
──そのとき。
まるでとどめを刺すかのように、さらに十人の青マントが現れた。
完全に顔を覆い、統率の取れた動きで進む。
そして、その先頭に立つのは――
灰色のマントを纏った一人の影。
冷え切った気配が、刃物のように周囲へ広がる。
ちょうどその瞬間、冒険者ギルドの応援が到着し、雄叫びを上げて突撃する。
両者が睨み合い、惨劇寸前の空気が張り詰める。
だが――
灰色のマントの男が跳躍した。
黒騎士の正面にある屋根へと、静かに着地する。
動きは軽やかで、無駄がない。
しかし、その場にのしかかる圧は、山そのものだった。
ギルドの面々が一斉に攻撃を仕掛ける。
次の瞬間――
漆黒の一太刀が閃いた。
ただ、それだけ。
突撃した者たちの身体は、すべて切り裂かれ、空中で粉砕された。
血が雨のように降り注ぐ。
凍りつくような沈黙。
「そん……な……!」
盾騎士が叫び、駆け出そうとする。
だが黒騎士が即座に制止した。
目の前の存在が、尋常ではないと本能が告げていた。
灰色の男はマントを下ろし、仮面を外す。
薄明の中に現れたのは――
アンドレアス・フォーゲル。
黒騎士の目が、見開かれる。
「アンドレアス……お前なのか……?」
返答はない。
彼は顔を歪め、重く低い声で告げた。
「……手を出すな。
この件が終わったら、俺の方から会いに行く。
そのとき……一緒に帰ろう」
そう言い残し、アンドレアスは背を向けた。
犯罪者たちの隊列へと、静かに戻っていく。
黒騎士の胸に、重たい空白だけを残して。
mainも、盾騎士も、そしてその場にいた者全員が言葉を失った。
何が起きたのか理解できない。
だが、黒騎士の痛みを帯びた眼差しが、すべてを物語っていた。
過去の絆が、無惨にも引き裂かれたのだ。
その血に染まった朝の後、ギルドマスターは即座に緊急会議を招集した。
密室の空気は、息遣いすら聞こえるほど重苦しい。
ギルドマスターの声が、厳かに響く。
「お前たちは、直接敵と交戦した。
ならば、よく聞け。
奴らは、単なる盗賊ではない」
地図を広げ、指で机を強く叩く。
「疫病の流行と同時期に現れた、新興組織だ。
構成はすでに判明している。
黒マント:組織の首脳、全体を統括する頭脳
白マント:精鋭、最高戦力。決して侮るな
青水色マント:主力戦闘員
茶マント:情報収集・偵察・報告担当。戦闘力は低いが、全員が気を扱える」
室内が静まり返る。
怒りと不安が入り混じった視線。
ギルドマスターは続けた。
「奴らの目的は……ギルドによる魔物討伐と秩序の維持を妨害することだ。
理由は不明だが、放置はできん」
そしてmainたちを鋭く見据える。
「お前たちは無断行動を取った。
極めて危険だ。
情報奪取は防げたが、その代償はどうだ?」
視線がmainに止まる。
癒えきらぬ傷に、明らかな心配が滲んでいた。
沈黙の後、話題が変わる。
「……白騎士だ。
お前は知っているな?」
黒騎士は小さく身を震わせ、すぐに抑えた。
沈んだ声で答える。
「個人的な問題です。
話せません」
ギルドマスターは眉をひそめたが、追及しなかった。
会議は重苦しい沈黙の中で終わる。
それからの日々、表向きは何も変わらなかった。
黒騎士は動揺を見せず、戦い、仕事を続けた。
だがmainと盾騎士は感じていた。
彼の胸の奥で、何かが確実に軋んでいることを。
白騎士について問い詰めても、彼はため息をつくだけだった。
「……あいつには、理由がある。
アンドレアス・フォーゲルは、理由もなく闇に堕ちる男じゃない」
「真実が見えるまで、軽々しく結論を出すな」
二人はそれ以上何も言わず、静かに頷いた。
心のどこかで、同じ予感を抱いていたからだ。
――白騎士の真実は、まだ語られ始めたばかりなのだと。
主人公の呼び方について
主人公のことを「main」と表記しているのは、2020年頃から使っている癖のようなもので、
この作品自体もその頃から書き続けてきたものを、今になって手直ししながら投稿しているためです。
読みづらく感じる方もいるかもしれませんが、
短くて親しみやすい呼び方だと思っており、このまま使用しています。
どうかその点はご理解いただき、引き続き楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。




