知らない誰かの夢
登場人物
瑞野 天馬(15) みずの てんま
木之本 瑠依(15) きのもと るい
瑞野天馬 15歳春
丘の上から街を見下ろしている。
赤い屋根が連なって、煉瓦の家が建ち並ぶ洋風な雰囲気の街。
ふと、隣に人の気配を感じて、その人物の顔を見ようとしたが、首がぴくりとも動かない。それどころか、眼球も手足も石のように固まってしまっていて、全く動けないまま、俺は呆然と立ち尽くしていた。
「ねえ、こっちにおいでよ」
耳元で囁く女の声。
誰だ…。
俺は必死に身体を動かそうとしたが、努力も虚しく、声の主を見ることはできなかった。
「早くおいでよ。待ってるから」
もう一度女の声が聞こえた。
その言葉を聞くと同時に、俺の意識は遠のいていった。
………はっ…。
目が覚めると俺はベッドの上にいた。
時計を確認すると、時刻は6時28分。
7時に目覚ましをセットしていたが、目覚ましが鳴る前に起きてしまったようだ。
俺は、ベッドから起き上がった。
今日は、私立星御台高校の入学式だ。
県内でもトップクラスの進学校、星御台高校に合格した俺は、少しだけ浮かれながら、星御台のロゴが入った深緑色のブレザーに袖を通し、ネクタイを結んで鏡の前に立った。
少し寝癖の残る髪を手ぐしで整え、リュックを肩に掛ける。
時刻はまだ7時過ぎ。家を出るには早いが、あの妙な夢のせいでどうにも家の中にいる気になれなかった。
「……行くか」
俺はそっと家を出て、まだ薄暗い朝の道を歩き出した。
春の朝は空気が冷たくて、寝ぼけた頭にじんわりと沁みる。
特に行き先を決めるでもなく、自然と足は小高い丘へと向かっていた。
ずっとあの景色が引っかかっていた。
この辺りでは有名な“見晴らしの丘”。
昔、子供の頃によく友達と遊びに来た場所だ。
丘の上からは街が一望できる。赤い屋根と煉瓦の家が建ち並ぶ、どこか外国の街みたいな景色。
さっき夢の中で見た光景と、同じだ。
(……まさかな)
そんなことを考えながら丘の上に立つと、ふと視界の隅に人影が見えた。
銀色に光る長い髪が、朝日に揺れている。
その人物は、ガードレールに腰かけ、静かに街を見下ろしていた。
女の子だった。
制服のスカートに、肩から提げた黒い鞄。
俺と同じ星御台高校の制服だ。
銀髪の少女は、こちらに気づいたのか、ゆっくりと振り向いた。
「……おはよう」
透き通るような声だった。
よく見ると、瞳の色も薄い灰色で、まるでガラス細工みたいに澄んでいる。
「あ……おはよう。えっと、君も……星御台?」
俺がそう尋ねると、少女は小さく頷いた。
「木之本瑠依。今日から一年生」
自己紹介を終えた彼女は、また街の方を見つめた。
「君は?」
「あ、瑞野天馬。俺も一年」
「……ふうん」
それきり、瑠依は何も言わず、静かに街を見下ろしていた。
気まずさを紛らわせるように、俺も同じように景色に目を向けた。
少しして、彼女がぽつりと呟く。
「ねえ、天馬くん。夢、見た?」
その言葉に、心臓が跳ねた。
まるで、さっきの夢のことを言われているような気がした。
「……どうして、それを?」
俺の問いに、瑠依は微かに微笑んだ。
そして、ポケットから古びた銀のペンダントを取り出す。
「もし、同じ夢を見たなら……あなたも“あっち側”の人間かもしれない」
そう言った瞬間、朝日がさらに高く昇り、二人の影を丘の上に伸ばした。
「早くおいでよ、待ってるから」
そう言って微かに笑みを浮かべた少女は、まるで何事もなかったように、坂道を下り始めた。
"もし、同じ夢を見たなら……あなたも"あっち側"の人間かもしれない"
俺はまだ、さっきの言葉の意味を考えながら、その後ろ姿を追いかけることしかできなかった。
——このとき俺は、まだ知らなかった。
この日が、俺の“物語の始まり”だということを。