076 それは大きな嵐となり
私が入浴し、あのやや悪趣味なドレスから普段着に着替えている頃、ルカたちは公爵から猫についての話を聞かれていたらしい。
すっかり支度を終えると、なぜかあの子猫が私を待ち構えていたように足元にやって来た。
足にすり寄りながら、鳴く姿は可愛らしい。
抱きかかえると、子猫は嬉しそうに私の胸に顔を摺り寄せてきた。
「ずいぶんと懐かれてしまいましたね、奥様」
身支度を手伝ってくれていたアーユの声は、どこか困ったようにも思える。
こんなに可愛らしいのに、公爵家ってペット禁止だったりするのかしら。
いや、待って。そもそも貴族のおうちって、ペット飼っているとか聞いたことないわね。もしかして一般的じゃなかったとかかしら。
「もしかしてペットを飼うのは禁止されているの?」
「いえ、そうではないのですが」
どうにもアーユの言い方は歯切れが悪い。いつもならスパっと言ってくれるのに。
そんな私の思いを察知したように、アーユはみんなが集まるアッシュの執務室へ私を促す。
「公爵様とルカ様からその猫についてはお話があるようですので」
「そうなの?」
この感じだと、ただの捨て猫というわけではなさそうね。
触った時から思ったけど、すごく人なれしているし、毛並みもいいものね。
なんだか帰ってきて早々なのに、いい予感はしないわ。
それに冷静になって考えてみると、父の手紙を受け取ってから今まで少し変な感じがする。
何もかも全て一気に物事が起こっているというか、偶然にしては揃い過ぎてしまっているというか。
子猫を抱き、促されるまま執務室に私は入る。
「ルル……ビオラのとこにいたでしゅか」
「ええ、なぜかついてきてしまったみたいなの」
部屋に入るとすぐに、ルカが駆け寄ってくる。
そして子猫に手を伸ばすものの、なぜか子猫は私に引っ付いており、引き離そうにもそれを鳴いて拒否している。
「この子はルカの猫なの?」
「……そういうわけじゃないんでしゅが」
そんな風に言いながら、ルカは執務室の椅子に座るアッシュを横目でチラリと見た。
なんだろう。アッシュは決して怒っているわけではないものの、この部屋の空気は重い。
「猫は返却することになった」
「え、ちょっと待って下さい。返却って、どなたかからの贈り物ということですか?」
無表情で言うアッシュから、私はルカを見た。
そして視線を合わせるために、屈みこみ。ルカの両肩に手を置く。
「ルカ、この子は誰からもらったの?」
「……」
ルカは悲しそうに視線を落とし、口をへの字に曲げてしまっている。
「アッシュ様、いきなり返却などど。ルカが気に入っているのなら」
「その猫の送り主はノベリアだ」
「ノベリア様?」
なんで急にあの人の名前が出て来るの。
だいたい、今まで贈り物なんてルカにしてきたこともなかったのに。
「ルカの誕生日祝いとして贈ったらしい」
「ルカの誕生日」
確かにあと少しでルカは五歳になる。
そのためにパーティーの準備はしていたし、プレゼントだって考えてきた。
ノベリアは母親なのだからルカにプレゼントを渡す権利はもちろんあるだろう。
でも、なぜ今? しかも私とアッシュが不在の時にわざわざプレゼントを渡す必要性があったというの?
もやもやとしたものが胸の中に広がる。
それは決して自分が先にルカにプレゼントを渡したかったとか、そんな利己的なことではない。
なんだか私たちからルカを引き離すために、あの人が全て裏で糸を引いていたのではないかと思えてしまったからだ。
「どうやってプレゼントをルカに?」
「子爵家よりと荷物が届いたそうだ。初めは使用人が送り返そうとしたものの、中からその猫が飛び出してきたらしい。そしてそれを使用人たちで捕まえようと躍起になっていたところ、ルカが捕獲したそうだ」
ルカに見つかる前に返却しようとしたけど、見つかってしまったらどうしようもないわよね。
しかもこんなに可愛らしいし、ルカは私たちがいない寂しさからか名前を付けて世話を始めてしまったという感じでしょう。
もちろんこの子猫に罪はないし、なぜか私に懐いちゃってるからスパイって感じではないけど、送り主のことを考えると頭が痛いわね。
全部取り越し苦労だといいのだけど。あのノベリアがなんの考えもなくルカに贈り物をするなんて、私にはどうしても考えられなかった。
「ルカはこの子をどうしたいの?」
「……」
「いいのよ。あなたが頂いたプレゼントなんですから」
「ビオラ!」
私を制止しようとするアッシュに、私は静かに首を横に振った。
いい気はしなくても、決めるのはルカだと私は思う。
「飼いたいでしゅけど……でも……」
「いいのよ。生き物に罪はないもの」
「ホントでしゅか?」
私の言葉にルカはその瞳を輝かせていた。
贈り物の意図はあとからゆっくり考えればいいわ。ルカがこんなにも喜んでいるのだもの。腹を立てても仕方ないことよね。
「ええ。でも困ったわね。なんで私から離れてくれないのかしら」
ルカに子猫を渡そうにも、また爪を立てて私から離れるのを拒む。
可愛いけど、私にばかり懐かれても困るのよ。
「ビオラはいい匂いがするからじゃないでしゅか」
「えええ。匂いなんてするかしら」
「うん。いつもいい匂いでしゅ。そうでしゅよね、お父様」
急に話を振られたアッシュの瞳がやや大きくなり、その耳が赤くなっていたのを私は見逃さなかった。
そしてそんな彼の反応を見ていると、先ほどの馬車での出来事を私も思い出してしまう。
「と、とにかくだ。子爵家には俺から連絡を入れておく。一応警戒だけはするように」
アッシュは咳払いをしながら、照れ隠しをしていた。
子猫に警戒ね。
こんな可愛い生き物になにが出来るのだろうなど思っていると、すぐに事態は一変してしまった。




