066 逃げ出したい気持ち
落ち込んでも仕方ないと分かってはいても、部屋に戻り一人になるとどうすれば良かったのか。
そればかりがぐるぐると頭の中で駆け巡っていた。
「はぁ」
寝ることも出来ず、ベッドの淵に腰を下ろしたまま、何度目かのため息が零れた。
分かっていたことじゃない。
そんなに簡単に母親になんてなれないことぐらい。
理想と現実は違うのよ。
寄り添ってみたって、仲良くしてみたって、それだけでは……足りないのよね。
「もし……」
そんな言葉を言いかけて、私は口を閉じた。
もしなんてことは、あり得ないことなど分かっている。
ルカが自分の本当の子だったら、なんて。
重要なのはそこではないのに。
ダメね、私。
でも本当にどうしたら、いいのかしら。
あんな風に拒否されてしまったら、どうしたらいいの。
気にせず距離を縮めると嫌がられるだろうし。
でも放置していたら、また元に戻ってしまう。
「難しい」
子育てだけってわけじゃなくて、人間関係が難しいのよね。
公爵との距離感だって未だに分からないでいる。
ううん。違うか。
公爵……アッシュとの距離をわざと開けてしまっているのは私か。
「はぁ」
座った体勢のまま、上半身だけ横に倒し、横になる。
考えれば考えるほど、頭が重たくなっていくのを感じた。
そこに短いノックの音が聞こえてくる。
こんな時間に誰かしら。
いつもなら、そろそろ使用人たちも自室へ戻る時間なのに。
「はい」
「奥様、少し今よろしいでしょうか?」
声の主はアーユだった。
本当に珍しいと思いながらも、私はアーユを招き入れる。
「ええ、どうぞ。寝ていないから入ってきて」
身体を起こしアーユに目をやると、彼女は手紙をその手に持っていた。
遠くから見ても分かる。
金色の蜜蝋が押された封筒。
どうやら急ぎであるようだった。
「遅くに申し訳ございません。王宮より奥様宛に急ぎの文が届きました」
「みたいね」
私はアーユからその封筒を受け取る。
正直、いい予感など何一つない。
こんな時間にこんなモノを私に送り付ける主など、この世で一人しかいないから。
でもだからこそ分かる。
これに拒否権などないことも。
私は先ほどよりも大きく長いため息をついたあと、その封筒を開けた。
中には予想通り、父である国王から娘に宛てた手紙が入っていた。
「んー」
声にすら出せないその内容は、要約するとこんな風に書かれていた。
ビオラへ
結婚後、どう過ごしているだろうか。
お前がワシの元を去ってしまってから、急に恋しくなってしまっている。
最近は体が弱くなり、気も滅入るばかり。
死に際の父からのたっての願いとして、すぐに会いに来て欲しい。
兄は確かに父が病で臥せっているようなことを言っていたっけ。
だけど、だからこそ近づくなと。
でも、これはどうなのだろう。
さすがに死にそうな時の最後の願いくらい、叶えなきゃダメよね。
行きたくはないけど、顔くらい出してくるしかないか。
「すぐに王宮へ行かなければいけなくなったわ。支度と馬車を頼みたいの。あと、アッシュ様にこの手紙を渡してきて」
「かしこまりました。すぐ手配いたします」
私はこの状況から少し離れられることにホッとする。
だから最良を選んだはずの選択が、なぜかその真逆を行くことになるとはこの時思ってもいなかった。




