059 募る不安とその罪
不安が当たるかのように、その日公爵たちは夜遅くになっても帰っては来なかった。
何か状況が分かったら知らせてとアーユたちに伝え、私は自室に戻った。
窓の外を見れば、あれほど日中は天気が良かったのが嘘のよう。
窓に大粒の雨が叩きつけられている。
公爵も、公爵家の騎士たちも信頼していないわけではない。
だけどただ不安が消えない。
こんな天気の中、もしもう大規模なスタンピードが起きてしまっていたら。
怪我なんかでは済まないかもしれない。
結果としてバイオレッタの父は守れたかもしれないけど、その代わり公爵が怪我をしてしまったら。
私はどうすればいいのだろう。
それは人としての罪悪感なのか、なんなのか。
それすらよく分からない感情が、自分の中心の中にモヤを作り、ただ不安にさせる。
「奥様、少しよろしいでしょうか?」
「ええ」
そう言いながら、アーユが入室してきた。
その手にはティーポットやお酒を乗せたトレイを持っている。
「アッシュ様たちから連絡は来た?」
「先ほど伝令が来たようです」
「状況は?」
私は食い入るように、アーユに近寄った。
アーユはほんの少し表情を変えた気がする。
しかしまたいつもの表情で、私にお茶を注ぐ。
「森の中ですでに中程度のスタンピードが起きていたそうです。伝令はこちらより先に王宮へと連絡を入れ、すでに王宮からも騎士団が数個派遣されたとのことだそうで」
「そう、なのね」
「はい。公爵家騎士団もそのまま討伐に参加するとのことでした」
公爵もその騎士団も、そのまま森に残った。
おそらく一番の最前線に彼らはいる。
こんな雨の中、足場も視界も悪い状況。
兄が派遣してくれた騎士団が一つではないことだけは幸いだけど。
それでも心配なことには変わりない。
あの人に何かあったらどうしよう。
もしこのまま戻らなかったら?
バイオレッタの父親のように、私がルカから父親を取り上げてしまったら?
改変なんて、するべきではなかったのかな。
ルカのためだなんて言いながら、ほんの少しも自分のためだなんて考えてなかった?
私は……私は……。
「大丈夫ですよ、奥様。公爵家の騎士団は王宮の騎士団などに引けを取らぬほど強いのです。それに公爵様がお強いことは奥様だってご存じのはずではないですか」
「分かっているわ。でも、もしもってことがあるじゃない。いつだって、絶対なんてことはないのよ」
「ええ、そうですね。前公爵様の時もそうでした」
「!」
アーユの言葉に、私は固まった。
そして彼女を見る。
そうか。アーユはずっとここに仕えているって言っていたから、全公爵であるアッシュの父の死も目の当たりにしているんだ。
「ごめんなさい」
私は思わずそう答えていた。
するとアーユは首を横に振る。
「奥様のせいなどでは決してありません。使用人も、公爵様もそんなことは思ったこともありません」
「でも、でも父が……」
「だとしてもです。それに二度目の褒賞をと言われ、あれだけ苦悩されていた公爵様がここまで笑うようになったのは、全て奥様のおかげです」
そうなのだろうか。
だけど目の前のまっすぐなアーユの瞳には嘘はないように思える。
たとえ償えない罪だとしても、ほんの少しでも公爵の心の傷が癒えたのなら、あの時の行動も無駄ではなかったのだと思えるだろう。
「きっと無事に戻ってきます。その時に笑顔でお迎えしてあげてください。きっと公爵様も騎士団も皆よろこびます。だから今はこれを少しお飲みになってお休みください」
アーユは紅茶にブランデーだろうか。
ほんの少しお酒を入れてくれた。
やや甘い香りが部屋の中に広がる。
そしてそれを口に含めば、温かさにホッとする。
アーユの言う通りだ。
今私しかここにいない状況で倒れたらもっと迷惑がかかってしまう。
公爵家の夫人となったのだもの。しっかりしないと。
「ありがとう、アーユ。少し休むわ」
「はい。承知いたしました。何かありましたら、またすぐに参上させていただきます」
「ええ。そうして」
アーユが部屋の明かりを消す。
やや弱くなった雨音を聞きながら、私はベッドに入った。