054 ビオラとアッシュの願い
侍女たちが下がった後、夜になって公爵が私の部屋にお見舞いに来てくれた。
熱といっても、ほんの少し高い微熱程度。
だけどルカにうつしたらいけないから、一緒に食べる約束をしていた夕飯を一人キャンセルしたのだ。
ルカはこの旅行に来る際に、虫の観察もそうだけど、それ以上に三人で取る夕飯を楽しみにしていたのに。
私のせいで、台無しだ。
「調子はどうだ、ビオラ」
「熱はさほど上がっていませんので、大丈夫です」
公爵は私の顔色を見ながら、ベッドで寝たままの私のおでこを触った。
その手は冷たく、心地よい。
「すみません、私のせいで夕食会が台無しになってしまって」
「いや、そんなのは大丈夫だ」
「でも、ルカがせっかく楽しみにしていたのに……」
どこまでも申し訳なさでいっぱいだ。
ベッドに横になったままうつむく私に、公爵は眉尻を下げた。
この公爵家では、少し変わったルールがある。
その一つが食事だ。
子どもはある程度大きくなり、マナーが身に着くまでは基本的に乳母と自室で食事をとる。
そして乳母から問題ないと言われて初めて、ダイニングなどで他の家族との食事が出来るようになるというものだった。
ルカはあの乳母のせいで、何もかもが遅れてしまっていた。
だから中々一緒に食事が出来ていなかったのだが、年齢もある程度あり、基本的におとなしく行儀よくは座っていられるため、今日は練習もかねて家族揃って食事をする予定だった。
「反省しています。ちゃんとアッシュ様の言う通り、すぐに水から上がっていればここまでなかなかったかもしれないのに」
「でも楽しかったんだろう?」
公爵はそう言いながら私の顔を覗き込んだ。
そう、楽しかった。
みんなでワイワイするのも初めてだったし、何もかも新鮮だったから。
だからつい、時間が経つのも忘れてしまっていたのだ。
「楽しかった……です」
「他のみなも同じようにそう言っていたよ。声をかける前、少し見ていたんだ」
「え? みんなで湖にいたのを、ですか?」
「ああ。みなと楽し気に遊ぶ姿に少し嫉妬した」
「へ?」
嫉妬?
この人が?
今まで一度だってそんなこと言ったことないのに。
そんなに一人で仕事をするのが嫌だったのかしら。
ちゃんと誘ってあげれば良かったわ。
「まず初めに、アッシュ様をお誘いするべきでしたね」
「いや、それはいいんだ。自分でも子ども染みたことを言っている自覚はある。だからあの時、また君を傷つけてしまった。俺は何度君を傷つけたら……」
公爵はそう言いながら顔に手を当て、天を仰いでいた。
案外子どもみたいなところもあるのね。
「すまない。どうも君相手だと、俺はいろいろやらかしてしまうようだ」
「私は特に気にしないので大丈夫ですよ」
「いや、むしろ少しは気にしてくれ。君に叱られる方がまだマシだ」
「そうなのですね」
なんだか難しいし、叱られる方がいいだなんて変な人。
でも私も黙ってられる質ではないから、いいのかな。
「では次からはそうさせていただきます」
「ああ、頼む。三人での食事は明日以降すればいい。まずは休んで体を治してくれ」
「はい」
「何か欲しいものはあるか?」
公爵の言葉に、過去がチラつく。
こんな言葉をかけてくれる人なんて、本当に初めてだ。
少しくらいワガママを言ってもいいのかしら。
弟がいつもそうしていたように。
私でも許されるのかな。
不安になりながら公爵の顔色を窺えば、彼は私の頭を優しくなでてくれた。
たったそれだけでも、満たされていく自分がいる。
「何でもいいから言っていいんだぞ?」
「……では……私が寝付くまでそこにいて下さいますか?」
「あ、ああ。もちろんだ」
心なしかそう答えた公爵の顔も赤く見えた気がした。
しかし誰かがついてくれている。
そんな安心感から、私はすぐに眠りに落ちていた。




