036 母親になりたかった
「子どもだって一人の人間です。ましてやルカはとても頭の良い子。自分の意思表示もキチンと出来ます」
「ルカ様は聡明なお方ですが、他人に流されやすい傾向が子どもの時よりあります」
急に乳母が口を開いたかと思えば、それって私とルカに対する悪口よね?
前から嫌いだけど、永遠に嫌いだわ。
「乳母の方があなたよりもずっと長くあの子を見てきたのだから、正確でしょう。意思表示だって、あなたがそう仕向けているだけじゃないの?」
「勝手なこと言わないで下さい。時間は短くとも、今ずっと一緒にいて、ルカの教育などもしているのは私です」
「ポッと出のクセに偉そうに。母親でもなければ、子どもを生んだこともないんだから適当なこと言わないでちょうだい」
私の中で何がキレた音がした。
彼女の言っていることが正論だということは分かる。分かるけどもーー
「出来ることなら、私がルカを生んであげたかったとすら思いますよ。あなたのような酷い人があの子の母親だなんて、とね」
母親なら、子どもに会いたいとか、可愛いと言うなら、なんで捨てたのよ。
少なくともあなたが捨てなかったら、ルカは幸せになれたかもしれなかったのに。
でも違うかな。
こんな母親なら、初めからいない方が良かったのかな。
悲しいのか腹が立つのか、惨めなのか。
自分の中でも分からない感情がぐるぐると回り、涙が溢れそうになる。
すると隣に座る公爵が、膝の上で強く握る拳に手を置いた。
彼を見上げれば、いつか遠い記憶の中、子どもの頃のように優しい顔をしている。
そして私の手を握った後、また公爵は前を向いた。
「ノベリア、君はここを出ていく際に俺と契約を交わしたはずだ」
「それは、状況が」
「君の状況など、こちらは知ったことではない」
公爵は先程の優しい顔が嘘のように、またいつもの冷たい顔に戻っていた。
見間違えかと思うほどに。
ノベリアたちはまるでヘビに睨まれたカエルのように顔を蒼白にしている。
「ですが、あの子はあたくしの子。会う権利はあるはずですわ」
「それならばそれで、キチンとした手順を踏むべきだろう。今のルカは次期公爵なのだから」
「……わかりました。出直しますわ」
ノベリアはそう言いながらも、私を睨み付け席を立つ。
そして私の横をわざとらしく通りながら一言『どんな手を使っても、そこから引きずり下ろしてあげるから』そんなどこかの悪役のような捨て台詞を吐きながら、二人は出て行った。
引きずり下ろすのは継母としての位置なのか、それとも妻としてのなのか。
どうやらこの人と、キチンと話さなきゃダメみたいね。
私はため息を一つもらしたあと、公爵を見上げた。
しかし私が声をかける前に、彼が先に口を開く。
「すまなかった」
そう言いながら公爵は、私に頭を下げた。




