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「覚悟が出来たら来てほしい」と言われましたが、すっかり忘れて初夜を迎えないまま半年経過したわけですが

作者: 七瀬ナナ

「もし、今意中の相手がいなければ、僕と結婚してくれないか」


 幼馴染であるヴィクトルに真剣な顔で伝えられ、伯爵令嬢のロエナは紅茶を嚥下したのちにパチパチと瞬きを繰り返した。


 ヴィクトル・ジークベルタ公爵。彼は最近ジークベルタ公爵家の当主の座を引き継いだという。世の令嬢たちは麗しいヴィクトルの容姿を褒め称え、若くして公爵の座に着くというエリートっぷりにメロメロなようだが、幼馴染で自分より背が小さかった頃からヴィクトルを見てきたロエナからすれば、ヴィクトルを〝薔薇の貴公子〟などと煽てて感嘆の溜息を漏らす令嬢たちの心情がまったく理解できなかった。


 ヴィクトルが世の令嬢たちに向ける笑顔は世間体を気にしているが故の愛想笑いであるし、誰にでも優しいだなんて言われているが、ロエナはよく彼に揶揄われたり悪戯の餌食になったりしているし、未だにダンスのステップが怪しかったりしてロエナがリードしなければならない時だってあるし、幽霊などのホラーが苦手であったりするし、同い年とは思えないほどに子供っぽい一面があったりもする。


 ロエナは「ヴィクトルを好きだと言っている令嬢がこれを見たら裸足で逃げ出すだろうな……」というヴィクトルの姿を色々見てきた。

 だからこそ、彼の人一倍努力しているところもよく見ている。


 故に令嬢たちからの人気は衰えないし、婚約話なんて嫌というほど舞い込んできている。きっと、ロエナの家よりも由緒正しい家系からも縁談の話が来ている事だろう。


 なのに何故、ヴィクトルは幼馴染で腐れ縁といえども、婚約したところで何のメリットもなさそうなロエナに結婚を申し出たのか。


(……なるほど、そういうこと)


 ロエナは一つの考えに辿り着く。


(幼馴染で気心の知れた私なら、お飾り妻としてピッタリ……ってわけね)


 ロエナは一人で納得して頷く。

 ヴィクトルは幼い頃から恋愛というものに興味を示さなかった。一度だけ好きな人などはいないのかと聞いた時、こちらをジッと見つめた後に「……いない」と呟いた。ヴィクトルの父は仕事人間だと聞いていたので、子であるヴィクトルも、恋愛よりも仕事、というタイプの人間なのだろう。


 かと言って、妻を娶らないのも世間体的に良くないし、独身でいれば、まだチャンスがあると目をギラつかせた令嬢たちが猛烈にアタックしてきて鬱陶しいことこの上ない。


「……ロエナ?」


 なかなか返事をしないロエナに焦ってか、ヴィクトルが気まずそうに視線を彷徨わせながら返事を促してくる。

 ロエナはハッとして、コホンと咳払いをした後にヴィクトルの視線をまっすぐに見つめて宣言した。


「分かりました。私、ヴィクトル様の妻になります」

「え、い、いいのか!?」

「……何故驚くのです?」

「あ、い、いや……こうもあっさり了承されるとは思わなくて…」

「私も父から早く結婚をしなさいと急かされていましたので……利害の一致というやつです」


 ロエナはそう言って紅茶を啜った。


 まぁ、政略結婚させられるよりは、幼馴染のヴィクトルと結婚した方がマシか、とロエナは快晴の空を見上げた。




 その後はトントン拍子で話が進んでいった。


 ヴィクトルから正式なプロポーズを受け、一人では抱えきれない量が包まれた薔薇の花束を渡されて、親指の爪ほどある大きな宝石の指輪を嵌められ、大規模な結婚式を行って、ヘトヘトになった頃に公爵邸へ到着し、自室になる部屋へと通された。


 メイドたちに公爵邸の案内をされた後に、浴室に連れて行かれ、マッサージを受けながら花びらが浮かんだ良い香りのするお湯に浸かってネグリジェに着替えさせられた頃には、もう夜も更けて満天の星が見えていた。


(な、なんかどっと疲れた……)


 すっかり良い匂いになった髪の毛に櫛を通しながらロエナは溜息を吐き出した。ヴィクトルもあんな盛大に結婚式をしなくても……いや、妻を迎えたのだという世の令嬢たちへの牽制も兼ねてであろう。にしても大規模すぎる。もっと小規模でよかったし、結婚指輪の宝石もデカすぎる。


 何はともあれ、明日から仮面夫婦として生活を過ごすわけだが、政略結婚で知らない殿方と結婚せずに済んだし、ロエナも結婚のことで両親から小言を言われなくなったしで一石二鳥である。


 その時、コンコンと扉がノックされる。

 返事を返すと、バスローブ姿のヴィクトルがひょっこり姿を現した。髪がまだ若干濡れている。急ぎの用事だろうか?


「ヴィクトル様。こんばんは。どうかされましたか?」

「……いや、まぁ、うん……公爵邸には、馴染めそうか?」

「…?えぇ、一月もあれば」

「あぁ……」


「……」

「……」


 き、気まずい。何故黙る。


 ロエナは櫛をドレッサーに置き、体をヴィクトルの方へ向けた。


「あの、まだ何か?」

「……」


 ヴィクトルは頰をほんのり染めて視線をあちらこちらに彷徨わせている。

 だから何故黙る。


「ロエナ、僕たちはずっと友人関係だった。今更……その、想像もできないという気持ちも、分からなくもないが……」

「?」

「僕は、待つつもりだ。いくらでも」

「…?…はあ……」


「……覚悟が出来たら、僕の部屋に来て欲しい」


 ヴィクトルはそれだけを言うと、部屋を去って行った。


 ロエナの頭をハテナが埋め尽くす。


 覚悟?かくご?覚悟……覚悟、とは?覚悟って、なんだろう?




✳︎




「一体、どんな手を使って公爵閣下を唆しているの?」


 こちらを鋭い目つきで睨み付ける令嬢に、ロエナは瞬きを繰り返した。


 クロエ・アーヴァイン侯爵令嬢。美しく艶やかな赤い髪に、蜂蜜色の瞳が魅力のとても美しいご令嬢。そんなご令嬢の恨みをいつ買ってしまったかとロエナは考え込む。しかし、身に覚えがない。

 やはりダンスパーティーでパートナーのヴィクトルと共に行動しないのは危険だったか。ヴィクトルを慕っていた令嬢からこうして絡まれてしまうのだから。


「どういう意味でしょう。クロエ嬢」


 無意味な謝罪は相手をより怒らせてしまうだけだ。まずは、何に腹を立てているのか、聞かねばなるまい。

 しかし、ロエナの毅然とした態度にクロエは益々腹を立てたらしく、声を荒げた。


「とぼけないで!なんで貴方みたいな女がヴィクトル様の妻なのよ!あり得ないわ!家柄も美貌も、私の方が上でしょう!?」


 うっ、否定できない……


 スラリと背が高く、二つの大きな果実を持ち目鼻立ちが整っているクロエ嬢に比べ、ロエナの身長は平均よりも低く、豊満な胸も持ち合わせていない。顔だってパッとせず、普通だ。ヴィクトルが幼馴染ではなかったら、見向きもされなかっただろう。

 騒ぎを聞きつけて、他の令嬢たちも集まってくるが、ほとんどの者がクロエ側のようだ。ヴィクトルの女性人気を改めて実感する。


「私がどうこう言える立場ではございません。理由が気になるのであれば、ヴィクトル様に直接お聞きした方がよろしいかと」


 利害が一致しただけの仮面夫婦、だなんて言えるはずもなく、かと言って上手い言い訳も思い付かないので、ヴィクトルに全て放り投げる。幼い頃に悪戯をされた腹いせだ。


 クロエはぐっと唇を噛み、肩を震わせている。


「ふんっ……まぁ、予想はつくわ」


 突如、静かになったかと思うと、クロエは目を細めて下品な笑みを浮かべ、口を開いた。



「どうせベットの上で淫らで下品な真似でもしているのでしょう?」

「……えっ…」


 クロエの言葉に会場は響めき、ロエナも思わず固まってしまう。初めて表情を変えたロエナに、クロエは図星だったかと笑みをこぼす。次の言葉を言おうと口を開いた矢先————。




「クロエ・アーヴァイン侯爵令嬢殿」


 ロエナの背後から、ヴィクトル・ジークベルタが姿を現した。普段、令嬢たちに優しく微笑む表情とは一変、軽蔑するような視線でクロエを見下ろしていた。会場がより一層響めき、初めて見るヴィクトルの表情にクロエは顔を青ざめさせる。


「貴方は今、私の愛する妻、ロエナ・ジークベルタを侮辱したのですか?」

「ぁ……いえ、いいえ!それはッ…!!」


 〝愛する妻〟

 ヴィクトルの発した言葉にクロエはもちろん、令嬢たちも混乱する。


「ここに今、宣言しておきます。万が一、私の妻を冒涜することがあれば、ジークベルタの名誉にかけ、全力で対処することを」


 ヴィクトルの言葉にクロエは顔面蒼白になり、怒りや悲しみやらでブルブルと震えた。


「よって、今この時からジークベルタは全力で対応します。アーヴァイン侯爵家を失うのは惜しいですが……仕方のないことです」


 ヴィクトルはクロエを見下ろし、嘲笑するかのような乾いた笑みを浮かべた。騒つく会場を背に、ヴィクトルは放心状態のロエナの腰を抱いてその場から立ち去った。クロエ・アーヴァインの悲痛な泣き声が会場にこだましていた。




「……ロエナ、大丈夫か?」


 馬車に乗り、しばらく経過したが、ロエナは何も話さない。魂が抜けてしまったように、ただ一点を見つめている。ヴィクトルは後悔した。

 あの場にロエナ一人を残すのではなかった。ロエナを酷く傷付けてしまったようだ。ヴィクトルはロエナの手を握ってやりたかったが、今の自分にそのような資格はないと、伸ばしかけた手を戻した。



 ……ヴィクトルが自責の念に駆られている間、ロエナの頭の中で一つの答えが導き出されていた。


 ベットの上で淫らな真似……


 そんなことしてないんだけどなぁ…


 まぁ夫婦だったらそういうこともするよね…


 ヴィクトル様とはそんな雰囲気になったことないけれど…


 そういえばヴィクトル様「覚悟が出来たら来い」とかなんとか……


 覚悟……


 ……覚悟?


 あれ?



(もしやあれって……夜のお誘いだったのか!?)


 ロエナは馬車の中で一人、頭の中で雷を落としていた。






 帰宅したロエナはベットに潜り込むと、馬車の中で辿り着いた結論のことばかり考えていた。


 まさかあの言葉の意味が、夜のお誘いだったとは。じゃああの晩、自分はヴィクトルの寝室へ向かうべきだったのか。でもそれが勘違いだとしたらもの凄く気まずい雰囲気になってしまうではないか。今からでも寝室へ向かうべき?


 ……いやいや、冷静になれ。ヴィクトルとの結婚は都合の良いパートナーが欲しいというお互いの利害が一致しただけで、所詮仮面夫婦に過ぎない。ヴィクトルも自分のことを恋愛うんぬんで迎えたわけではないと思うし。


「……考えるの、面倒くさくなってきた」


 ひとまず、一、二年ぐらい放置しとこう。




✳︎




 あれから、半年が経過した。ヴィクトルとは相変わらず、友達の延長のような関係が続いていて、変わったことといえば、毎日同じ食事を摂り、毎日同じ屋根の下で寝るようになったことぐらいだ。

 夜のお誘い問題のこともすっかり忘れて、ロエナは日々を過ごしていた。


 そんなある日、寝室で本を読んでいると部屋の扉がノックされた。


「はい?」


 こんな夜中に誰だろうかとロエナは扉を開ける。


「ひょえっ」


 刹那、少し開いた扉の隙間からガッと力強く手が捩じ込まれ、そのままゆっくりと扉が開く。そこに居たのは、笑顔の奥に怒りを滲ませた表情のヴィクトルであった。

 幼馴染であるから知っている。

 ヴィクトルは本当に怒っている時、明らかに怒りの表情をするのではなく、今のように笑顔で感情を露わにする。まぁ、何が言いたいかと言うと、今のヴィクトルはガチギレをしているので非常にまずいという事だ。


「ヴィ、クトル様……いかがなさいましたか?」

「ロエナ……君は、一生僕の部屋に来ないつもりかな?」


「へ…?」


 部屋?

 部屋、ってどういう……


「あっ」


『……覚悟が出来たら、僕の部屋に来て欲しい』


 ロエナはこの屋敷に来た初日にヴィクトルに言われた言葉を思い出し、思わず声を上げた。


「も、もしかしてヴィクトル様……」


 ロエナは驚いたように目を丸くしてヴィクトルを見つめたまま口を開く。


「私のこと……普通に好きで、結婚したのですか…?」


 ロエナの言葉に、その場の空気が固まる。ヴィクトルは真顔に戻り、呆れたように呟いた。


「ロエナ……君、僕をなんだと思っているんだ?」

「……ヴィクトル様は恋愛より仕事一筋のお方で……そういうつもりで私と結婚しただなんて微塵も…」

「はあ〜〜〜〜………」


 ヴィクトルは耐えきれずその場にしゃがみ込んだ。


「あのねロエナ、確かに僕は恋愛にうつつを抜かしている暇があったら仕事に集中すべきだと、そう思っていた時期もあった」

「今は、違うのですか?」

「今……というか、十年ぐらい前から、その考えはなくなった」

「十年前……」


 何かあったっけ、とロエナが考え込んでいると、しゃがみ込んでいたヴィクトルが立ち上がり、ロエナの手首を掴んだ。突然のことにロエナはパチパチと瞬きを繰り返す。


「君に、恋を、してしまったからだ」

「えっ?」


 恋?誰が?ヴィクトル様が?私に?恋??


 今の今までヴィクトルの好意にまったく気付いていなかったロエナは驚いて面食らう。そんなロエナの反応にヴィクトルは苦虫を噛み潰したような表情をした。


「気付いていなかったのか……」

「えぇ……これっぽっちも……」


 ヴィクトルはガックリと項垂れる。

 彼は幼少期から今の今までロエナと共に育ってきた。成長する過程の中でロエナに恋愛感情を抱き、その想いは今でも健在だ。

 ロエナが自分と同じ感情を抱いてくれているかは分からない。だが、それでなくとも、何かしらの感情はあるだろうと賭けのような形でロエナに結婚の話を持ちかけたのだ。


 了承してくれた時は柄にもなく舞い上がり、夫婦の営みも、ロエナの覚悟が決まるまで待つつもりだった。

 だが、彼女はヴィクトルのことをまだ友人だと思っているかのようだ。手も繋いだことだってないし、彼女から触れてこようとすら、ましてや熱い視線だって向けられたことはない。おまけに結婚してから半年が経過したというのに、ロエナは一向に寝室のドアを叩かなかった。

 ヴィクトルはついに不安になり、こちらからロエナの寝室の戸を叩いた。


 結果は、まぁやはり、というべきか。

 ロエナは、自分のことを男性として見てくれていなかったのだ。


「ロエナ……」

「はい?」

「離婚、しようか」

「な、何故、そのようなことを……」


「君にとっては利害の一致での結婚で、何不自由ない生活を手に入れて、満足しているかもしれない。……だが、僕は君に恋愛感情を抱いてしまっている。君の事だから、僕の気持ちを知ってしまった以上、それに応えようとするだろう……でも、そんな事はさせられない。君にその気がないのに、僕やこの家に縛り付けるだなんて、そんな事したくないんだ」

「ヴィクトル様……」


 ヴィクトルの言葉に、ロエナは覚悟を決めたようにきゅっと唇を結び、彼の手を取った。


「私、離婚は致しません」

「ロエナ……しかし……」

「ヴィクトル様から想いを告げられた時、私、嫌だなんてちっとも感じませんでした……むしろ、すごく嬉しい……でも、殿方から告白されるのは初めてで、私、まだ自分の気持ちに整理が出来ていませんから……ですから、私の覚悟が出来た時……


その時は、私がヴィクトル様の寝室の戸を叩いてもよろしいですか?」


 ロエナが頰を薔薇色に染めながら呟く。思わず彼女をそのまま抱き締めたくなったが、怖がらせてしまうかもしれないと、ヴィクトルはロエナの手を握り返すだけに留めた。


「ありがとう、ロエナ。そう言ってもらえて嬉しいよ。僕は、待つよ。きっといくらでも」

「……えぇ、ありがとうございます」



 それから気持ちの整理が付いたロエナだったが、照れが勝ってなかなか行動できず、二年後に再びヴィクトルの方がロエナの寝室を訪れる羽目になるのは、また別のお話。

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