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先輩、「ウミガメのスープ」をしませんか?

作者: 古野ジョン

「家に帰れないというのに、女は幸福だった。いったいなぜ?」


 印刷した資料を丁合して、会議用の小冊子を作成しながら、後輩の袴田はかまだ綾音あやねが尋ねてきた。放課後の図書室には誰もおらず、図書委員の俺たちだけが椅子と机を占領していた。


「なんだよ、またいつものか?」

「はい。先輩、当ててくださいね」

「うーん……」


 袴田の近くにあるプリントを取りながら、考えを巡らせる。二人きりのとき、コイツはよくこんなことを聞いてくる。いわゆる「ウミガメのスープ」という奴で、問題に対して質問をしながら正解を探っていくという遊びだ。


「その女は何かを貰った?」

「いいえ。違います」


 長い黒髪を揺らし、袴田は首を横に振った。コイツは基本的に無口で、表情も滅多に変わらない。去年も一年間ずっと委員会で一緒だったが、笑ったところすらほとんど見たことがないのだ。袴田はじっと手元を見ながら、時折りちらりとこちらの様子を窺う。「次の質問は?」というメッセージだろうか。


「女は誘拐されていた?」

「いいえ。何を意図した質問ですか?」

「いやあ、ストックホルム症候群みたいな話かなって」

「そんな特定のフレーズを使うような答えじゃないです」

「あはは、そうか」


 ストックホルム症候群というのは、誘拐の被害者が犯人に対して好印象を抱いてしまうという現象のことだ。てっきり女が誘拐犯に対して――という話かと思ったが、袴田の答えはそんなに単純なものではなかったらしい。


「『家に帰れない』というのは比喩的な表現?」

「はい。『家に帰れない』こと自体は重要でないです」

「なるほど……」


 紙の資料を折り畳みながら、頭の中で袴田の意図を推測していた。家に帰れない……というのは何を意味しているのだろうか。それで幸福になる状況など、皆目見当がつかない。


「女が帰れないのは誰かのせい?」

「直接的に誰かのせいというわけではありません」

「では、何かが邪魔をして帰れない?」

「まあ、そうです」


 袴田は無表情のままだったが、机の下では脚をぷらぷらと揺らしていた。よく分からないが、きっと俺が答えられないのを楽しんでいるのだろう。帰れない、帰れないねえ。


「『女』は女である必要がある?」

「はい」

「じゃあ、それは特定の何か?」

「……はい」


 抽象的な話ではなく、具体的な話ということか。袴田は少しむくれたように頬を膨らませ、じっと作業に集中していた。そろそろ当てに行かないと怒られそうだなあ、と危機感を抱き始める。


「そもそも女の他に人間は関係する?」

「そうです。それが重要なんです」

「女以外の登場人物は一人?」

「はい。そうでないと怒ります」

「??」


 ますます混迷してきた。状況を整理すると、「女」は誘拐されたわけでも物を貰ったわけでもなく、何かに邪魔をされて帰宅できず、特定の何かであるという。そしてそれ以外に登場人物がもう一人というわけか。


「その女にとって、もう一人の人物は重要?」

「はっ……はい」

「家族か恋人?」

「……いいえ」


 袴田は残念そうに俯いた。俺の質問が的外れということだろうか? しかし、家族でも恋人でもないということは……友人? 反応を見るに、そういうわけでもなさそうだし。関係性として考えられるものを挙げるとするか。


「その二人は主従関係にある?」

「まあ、そうとも言えるかもしれません」


 ほうほう、これは良いヒントだ。「そうとも言える」という袴田の回答を考えれば、明確な主従関係ではないということだな。教師と生徒、先輩と後輩、飼い主と番犬。そんなところだろうか。……番犬という言葉で思い出したが、そもそも「女」が人間だとは限らないよな。


「その女はペット?」

「ち、違いますよっ!?」

「おおお、落ち着けって」


 急に袴田が声を荒げたので、慌てて制した俺であった。しかしこれで番犬という可能性も消えたな。人間とは限らない、というのは悪い発想ではないと思ったのだが。何かヒントを得ようと思い、図書室をぐるりと見渡してみる。


「先輩、どうしたんですか?」

「いやあ、何か手がかりがないかと思ってな」

「何でもいいですけど、ちゃんと当ててくださいよ」

「分かった分かった……って、おっ?」


 目についたのは、偉人の伝記が並んでいる本棚だった。リンカーンやエジソンなど、アメリカの有名人ばかり並んでいる。どうやら司書さんが近現代アメリカの特集をしているらしい。目立つように並べられた伝記の中に――とある人物のものがあり、俺の心にピンとくるものがあった。


「『女』とは代名詞のことか?」

「えっ? まあ……はい」

「その女は帰れなくても幸福だ。違うか?」

「そ、そうだと思いますっ」

「分かったぞ袴田、女は飛行機のことだろう?」

「……へっ?」


 自信満々に答えると、袴田は呆気に取られていた。ここまで急に答えられると思っていなかったのか、戸惑っているみたいだな。


「飛行機の代名詞にはSheが使われることがある。女ってのはそのことだろう?」

「……」

「もう一人の登場人物はパイロットだ。飛行機にとって重要なのは間違いないしな」

「まあ、そうですけど」

「リンドバーグの伝記を見て思いついたよ。きっと大西洋横断か何かを達成して、もう帰れなくとも幸せだってことだ。『飛行機が幸福』ってのはちょっと詩的だな、ははは」

「……それでいいですよ。先輩、正解です」

「おっ、良かった」


 正答できて一安心だが、なぜか袴田は不機嫌そうだった。コイツにしてはちょっと捻った出題だったな。だから俺がもっと苦労するかと思っていたんだろうが、意外にすぐ答えたから不満なのかもしれん。


「本当に先輩は賢いです」

「どうしたんだよ、急に」

「いえ、なんでもないです。……賢いのに」


 袴田ははあとため息をついた。そうこうしているうちに、自分の分の作業が終わってしまったことに気づいた。今日は先生に言われて、コイツと二人で居残って図書委員の仕事をこなしていたのだ。本当は早く家に帰らなければならない日だったのだが。


「すまん袴田、外せない用があるから帰る」

「えっ……」

「悪いな、お前だけ残らせて」


 帰宅のために荷物をまとめていると、再び袴田が俯いていた。本当は一緒に帰りたいところだが、大事な用事なので仕方がない。鞄を持って席を立ち、図書室の出口に向かって歩き出す。


「せ、先輩」


 しかし、下を向いたままの袴田に呼び止められた。作業の手を止め、何か言いたげに口をもごもごとしている。


「どうした?」

「先輩は……私と二人でいるの、嫌なんですか?」


 今にも消えてしまいそうな、そんなか細い声。嫌だなんて思ったこともなかった。俺はむしろ――


「楽しいよ」

「えっ?」

「お前といるから楽しかったよ。こんな居残り、一人だったら逃げ帰ってるさ」

「……!」


 袴田は顔をこちらに向け、僅かに目を見開いた。そしていつもの表情のまま、俺に対してこう告げたのだ。


「先輩、正解です。……男と女、逆ですけど」

「?」


 図書室を出て、一人で廊下を歩いていく。ああ、明日の袴田はどんな問題を出してくるのかな。そんなことを楽しみにしながら、俺は帰宅の途に就いたのだった。

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