平成、冬、深々と
久しぶりの実家だ。
東京から北海道への帰省。
ニ泊三日の短い時間。
都会の喧騒から離れ、ドのつく田舎へと帰ってきたが、田舎が静かなのかと問われれば、我が家の場合は違った。コンクリートジャングルの喧騒よりも嫌悪感のある小言の連続。
誰か良い人はいないの?
結婚するつもりはあるの?
三年越しに帰ってきた娘に対して、もっと聞くことがあるのではないか?
三十を迎えた私を案じてというよりも、自らが生み出した作品が、田舎の狭い常識から外れることに恐怖を抱いているのだろう。
まぁそれも、分からなくはない。
しかし、私は結果として、その湿度の高い小言の弾幕から逃げるように、自身の部屋へと避難していた。
時が止まった部屋だ。
主人を亡くし、呼吸を止めたその空間はあの頃のままだ。
当時、幾度と無く私を慰めたミニコンポの電源を入れてみた。
本棚から適当にCDを引っ掴み、あの頃流行っていた音楽でも聴こうかと思ったのだ。
すると、コンポの中には既に先客がいた。
冬の始まりを感じさせる曲だ。
私は冬が大嫌いだった。
雪国生まれの人間にとって、雪の風情を楽しむ余裕などはないからだ。
それでも私はこの曲が好きだった。
コンポの上には白のガラケーが置かれている。
折りたたみ式の旧時代の象徴。
特に意味などなかったが、私は躍起になって充電器を探した。
三十二分の格闘のすえ、ついに私はガラケーの充電器を見つけ出した。
リピート機能が馬鹿正直に働いていて、七度目の冬が私の部屋に訪れていた。
親指がガラケーの電源ボタンに触れる。
小さな起動音とともに謎のリスが動き回っていた。
そう思うとこのリスもまた、長い間主人を待っていたのかも知れない。
メールボックスを開く。
そこには忘れさられた記憶の欠片が膨大な量蓄積されていた。
脳の回転速度が上がる。
普段は使われていない箇所が強烈に刺激を受けているのが伝わる。
毎日メールをやりとりしていた彼の痕跡がそこにはあった。
目まぐるしい進化の中でも確かにそこに。
ガラケーからスマホに変わり、メールという文化が若者の中から消えつつあったあの冬も、私達だけは何故かメールのやりとりを続けた。
その理由は分からない。
今となってはもう十五年近く前のことだ。
彼は今頃何をしているのだろうか?
あんなに連絡を取り合っていた相手ですら、時間が経てば風化する。
七度目の冬が終わり、一瞬の静寂が流れた。
ピロン、という間の抜けた音が鼓膜を揺らす。
スマホを手に取り、パスワードを打ち込む。
メールボックスのアイコンに一件の通知。
手の先が僅かに強張るのを感じる。当然それは寒さからくるものじゃない。
永遠にも感じる数秒が過ぎ去り、暖房の効いた部屋の中には八度目の冬が流れはじめた。




