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第6話 初めての

「可愛らしい」

「え」


 戸惑いに、クローディアは思わず足を止める。

 美しい。淑やか。そう称賛されることは多かったし、そうあろうとしてきた。

 可愛らしい、という言葉が自らにかけられたことに、クローディアは純粋に驚く。その言葉は、もっと可憐で庇護欲をそそるような女性にかけられるべきなのではないか。例えば、ジュリアンの新しい恋人のような。


 けれど、エドガーの目に偽りの光はなかった。心の底から思っている、とでも言いたげな真剣な瞳が、真っ直ぐにクローディアに向けられる。


「本当だ」


 クローディアは目を瞬かせた。視線が揺れ、エドガーの手の上に乗った指先に、少しだけ力が篭る。

 

「……ありがとうございます」

「ああ」


 出かけようか、と言うエドガーの柔らかな声に、クローディアは微笑んで頷いた。


 見送りに出てきていた侍女たちの間を抜け、門へと向かう。既に用意されていた馬車の前に階段が置かれれば、エドガーは少しぎこちない動きでクローディアをエスコートする。

 馬車の中に入れば、揺れるから、と声をかけられ、クローディアは小さく頷いた。


 慣れていない。このような扱いには。


 もちろんジュリアンは一国の王太子であり、その振る舞いは洗練されていたし、クローディアが不満を持ったこともない。

 対するエドガーは、女性に不慣れなのだろう、手を添えた腕は固まっていて緊張が浮き出て見えるし、流れるように歌うようにクローディアを讃えることも、教養を感じさせる気の利いた会話を振ることもない。


 けれど、ひとつひとつの動きに、心が籠っている気がして。心底気遣われているような気がして。クローディアは、落ち着かなげに手元に視線を落として、微かに身体を震わせた。

 その瞬間、馬車の中に用意されていたらしい布がクローディアの肩にかけられる。咄嗟に見上げれば、エドガーは目元を和らげた。


 慣れていない。


 小さく唇を噛んだクローディアに気がつかないまま、エドガーは躊躇いがちに切り出した。


「行き先だが」

「はい」

「街に出ようと思っている。それで」


 エドガーが、ふっと目を逸らした。


「クローディアに、何かを贈りたい。その」


 慌てたように、エドガーが言葉を足す。


「こういうのは、私の方で選ぶべきと分かっているのだが。クローディアの好きなものを、探したい」

「……はい」

「街には色々なものがある。私の領内では一番大きな街だ。少しでも良いと思ったものがあれば、教えてくれないか。それを、贈りたい」


 申し訳ない、という気持ちを、クローディアは飲み込んだ。


 ―― 好きなもの、やりたいことを、見つけてほしい。そしてそれを、私に教えてほしい。


 つまり、そういうことなのだろう。

 好きなものを見つけて、エドガーに強請る。以前のクローディアが聞いたら、絶対に拒否するだろう。申し訳ない、自分のためになど必要ない、と。

 だが。顔を上げて、クローディアはエドガーを見つめた。


「はい」


 エドガーの優しさに応えたいと、エドガーを大切にしたいと、クローディアもまた願ったのだ。


「ありがとうございます」

「ああ」


 それで良い、と不器用に笑ったエドガーに釣られるように、クローディアも微笑んだ。


 


 そうして馬車に揺られること、数十分。

 会話が弾むということはなかったが、ぽつり、ぽつりと会話をしながらゆったりと時間は過ぎていく。

 絶え間なく聞こえる、枯れ木の砕ける音が、暖炉の薪が弾ける音に似ている、ということに、クローディアは気がついた。

 

 やがて、車輪が軋む音を立てて、馬車が止まる。ドアが開き、すっと階段が差し出された。もう一度エドガーに手を取られ、クローディアは馬車の外に出る。


 華やかな街だった。

 街は活気に満ちているが、きっとある程度生活に余裕がある人が出入りする区域なのだろう。どことなく上品な印象を与える。

 街の中央に伸びる石畳と、その横に立ち並ぶ建物。きらきらと輝く様々な商品。思わず見惚れ、ふらりと一歩踏み出したクローディアの手を、エドガーがそっと支えた。


「綺麗な、ところですね」

「気に入ってもらえたようで、良かった」


 ゆっくりと歩き始めたクローディアだったが、すぐに感じる視線に目を伏せた。

 領主夫妻、となれば注目を浴びて当然だ。その様子に目敏く気がついたエドガーは、申し訳なさそうに口にする。


「私の姿は見慣れているだろうから、問題ないと思ったのだが。すまない」

「いえ。ここには、よく来られるのですか?」

「ああ。家に呼んでも良いんだが、こうして買い物をすることの方が多いな」


 すれ違った1人の男が、エドガーの姿を認める。領主様、こんにちは、という大きな声に応えるようにエドガーは片手を上げて、苦笑した。


「この通りだ。随分と距離が近くなった。すまない、慣れないか」

「慣れない、と言えばそうかもしれませんが、嫌ではありません。エドガー様が慕われているということでしょう」

「そう言ってもらえると嬉しい」


 会話の間にも、時折領主様、という活気のある声が聞こえる。慕われているのが明らかで、クローディアも思わず微笑んだ。

 その間にも、ゆっくりと視線を巡らせる。好きなもの、をクローディアも見つけてみたかった。


「幼い頃、よく屋敷を抜け出してここに来ていてな。そのせいか、時折来たくなる。クローディアにも見せたかった」

「ありがとうございます」


 微笑んでお礼を言ったクローディアの目が、一軒の店で止まった。

 大きな店が立ち並ぶ中でこじんまりとしたその店は、小さいながらも確かな存在感を放っていた。少し色の褪せた壁に取り付けられた鈴が、風が吹くたびに涼やかな音を奏でている。

 古びたドアに掛けられた小さな看板を見るに、宝飾店といったところだろうか。

 クローディアの視線に気がついたエドガーが、声をかけた。


「気になるか」

「……はい」

「さすがだな」


 ゆったりと頷いたエドガーが、説明する。


「あの店は妹が気にいっていて、贔屓にしている」


 慣れた様子でエドガーがドアを開けると、いらっしゃい、とのんびりとした声がかけられた。ゆっくりと顔を上げた店主は、エドガーの姿を認めるや相好を崩す。


「噂の可愛い奥様ですか」

「ああ」


 その言葉にかすかに身じろぎしたクローディアを見下ろしながら、エドガーは手で店内を示した。


「好きなように見ていけば良い」

「ありがとうございます」


 クローディアは、ゆっくりと店内を歩いた。

 飾られている宝飾品はどれも美しく、ひとつひとつ丁寧に作られているのが一目でわかる作りだった。横から、全て手作りで、同じものは世界にひとつもない、とエドガーが解説する。

 雑多に机の上に並べられた髪飾りに、指輪に、首飾りに。その中央で輝く宝石が店内に色とりどりの色彩を投げかけ、混ざり合って複雑な模様を描き出している。

 その上をゆっくりと滑っていた目が、ひとつの髪飾りに奪われた。


 花を象った意匠は、飾られている中では素朴な部類に入る。

 小さな花が集まったような形は、今までクローディアの身につけてきた大振りで華やかなものとは大きく異なるが、その純朴さが、クローディアにはいっとう好ましく思えた。

 

「そういうのが、好きなのか」

「……」


 それをじっと見るクローディアの脇から、エドガーがすっと顔を寄せて覗き込む。

 咄嗟に言葉に詰まったクローディアに、エドガーは目線で店主に許可を取ると、それを取ってクローディアの髪に寄せた。

 そのままエドガーにじっくりと見つめられ、クローディアはきゅ、と身を縮めた。

 今まで数多の視線を独占してきたし、それらに微笑んで手を振ったことすらある。けれど、今はどうだ。

 耐えきれず、クローディアは目を伏せた。


「ああ、良く似合っている」

 

 満足げなエドガーの声を聞いた瞬間、クローディアの心が決まった。


「エドガー様」

「ん?」

「私、その、これが欲しいです」


 早口で押し出したクローディアの言葉に、エドガーが落ち着いて頷いた。


「ああ。ありがとう」

「そんな、お礼を言うのは私の方です。ありがとうございます」

「いや。苦手なことをさせてしまったからな。だが、嬉しい」

「……私も、嬉しいです」


 小さく頷いたエドガーは、髪飾りを手に店主の元へ向かう。

 痛いほどに鼓動している心臓を、クローディアは両手で押さえた。


 我儘は苦手だ。ちらりと値札に目をやる。見てしまったら頼めなくなる気がして、ずっと目を逸らしていたのだ。

 その文字を読み取るなり罪悪感のようなものが胸を刺して、けれどクローディアは首を振る。


 エドガーの気持ちを思うなら、今考えるべきはそれではない。


 戻ってきたエドガーを見上げて、クローディアは微笑んだ。


「ありがとうございます。本当に、嬉しいです。大切にします」

「……」


 ぐっと唇を噛み締めて表情を強張らせたエドガーの姿を認めて、クローディアは焦る。

 何かしてしまっただろうか、と咄嗟に謝ろうとしたクローディアの髪に、とん、と手が乗った。そのまま、少し痛いくらいの力で、頭を撫でられる。


「ああ」


 さわりと頭に触れる感触に、居た堪れなくなったクローディアは、その手にそっと触れる。その瞬間ぴたりと動きを止めた手を感じながら、クローディアは慌てて言った。


「あの、髪の毛が崩れてしまいますので」

「っああ、悪い」

「それでも、嬉しかったです」


 我儘を言ってよければ、帰ったらまたお願いします。

 少しだけ頬を染めて囁くクローディアに、エドガーは両手で顔を覆った。


 ややあって、ああ、と短く呟いたエドガーに寄り添うようにして、クローディアは店から出る。


 その時だった。


「あれ、欲しい!」


 幼い子供の声だった。振り返ったクローディアの目に映ったのは、可憐な容姿の女の子だった。貴族、というわけではないのだろう。だが裕福な家の子供のようだった。その手は、真っ直ぐにクローディアを指差している。

 そばにいる母親らしき女性が必死に宥めているが、欲しい、と叫ぶばかり。


 クローディアが、贈られたばかりの髪飾りに手をやれば、その子は大きく頷くと、欲しい、と繰り返した。


「も、申し訳ございません! すぐに黙らせますので。……ほら、駄目よ!」

「欲しいの!」


 困り果てた様子の母親だが、その声が止まることはない。

 クローディアがエドガーを見上げれば、エドガーは笑って頷く。


 それが、あげても構わない、という意味であるのは明白だった。


「他のものを贈っても良い」


 エドガーは、クローディアの性格を良く理解していた。そこから出た言葉だった。

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