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第4話 一つだけ、些細な望み

「……嬉しい」


 ふ、と。

 溜め息のように零されたその言葉が、優しくクローディアの鼓膜を揺らす。


「愛せないことを、貴女が……クローディアが負い目に感じる必要はない。男女の愛でなくても、互いを大切に思う感情はある。そういう関係を築けたら、私は嬉しい」

「はい」


 顔を見合わせて、クローディアとエドガーは微笑んだ。

 


 ◇



 幸せにしたい、とクローディアが宣言してから、数週間が経過した。

 エドガーに変わった様子はなかった。変わらず、クローディアを大切にした。変わったのは、クローディアだった。


「エドガー様」


 侍女から受け取ったお茶を、エドガーの前に置いて、クローディアは微笑む。

 初めて執務中のエドガーにお茶を届けたときは、エドガーはお礼を言いながらも困ったような様子だった。嬉しいけれど、クローディアがこんなことをする必要はない、と言ったエドガーだったが、クローディアは折れなかった。


 私が、少しでもエドガー様の力になりたいので。


 そう宣言して、止められてもめげずにエドガーの部屋に入ってくるクローディアに、結局折れたのはエドガーだった。


「ありがとう」


 そう言って、エドガーは不器用な笑みを浮かべた。微笑みながら、はい、と答えるクローディアをこっそりと覗き見ていた侍女たちは、達成感に拳を握った。やった、と叫びかけた新米の侍女の口を、隣に立っていた侍女が慌てて塞ぐ。

 まさか部屋の外で侍女たちが盛り上がっているなど思ってもいないクローディアは、邪魔にならないようにとすぐに部屋を辞そうとする。それを止めたのは、エドガーだった。


「クローディア」

「はい」

「その」


 もぞ、と口元で何かを噛み締めるようにしていたエドガーは、少しだけ前のめりな早口で、呟くように言った。


「もしクローディアさえ良ければ、3日後、一緒に出かけないか」

「……え」


 完全に不意を突かれ、咄嗟に言葉が出なかったクローディアに、エドガーが勢いよく手を振る。


「違う、その、無理にとは言わない。また次の機会にでも、いや断ってもらっても、」

「はい、ぜひ。すみません、驚いてしまって」


 被せるように言ったクローディアの言葉に、途切れなく続いていたエドガーの言葉が止まる。

 照れたように、少しだけ目を伏せて、エドガーが笑った。


「そうか。すまない、動揺して。格好つかないな」

「そう、でしょうか。私は、エドガー様が格好悪いと思ったことなど一度もありませんが」

「……そ、うか。ありがとう。その、行き先なんだが、クローディアはどこに行きたい?」


 どこに、行きたい。

 その言葉に、クローディアは一瞬詰まって、けれどすぐに答える。


「エドガー様は、いかがでしょう」


 その答えに、エドガーはゆっくりと溜め息をついた。


「私は、クローディアの希望を聞いている」

「思うままを、答えたつもりですが」


 小さく首を傾げたクローディアを見て、エドガーは立ち上がった。ゆっくりとクローディアに歩み寄り、その身体を曲げて、目線を合わせる。


「クローディアは、我儘を言うのが苦手だろう」

「口にするべきことではないと思いますが」

「私は、クローディアの我儘が聞きたい」


 エドガーの意図が掴めず、クローディアは眉を寄せた。


「我儘、ですか」

「甘えと言っても良い」

「甘え」

「ああ」


 エドガーの手が伸ばされ、そっとクローディアの頭に乗せられた。途端にびくりと身体を震わせたクローディアに、エドガーが落ち着いた口調で問う。


「嫌か?」

「……いえ」

「良かった」

「むしろ、気持ち良い、と思います」


 そうクローディアが口にした瞬間、エドガーの手に僅かに力がこもる。ゆったりとその手がクローディアの頭を撫でた。

 優しく頭に触れる感触に、なぜだか懐かしいような感覚に駆られた。頭にかかる慣れない重みが心地良かった。


「私は、こうしてクローディアを甘やかしたい」

「……それは、大切にする、とは違うのですか?」

「いや? 同じだ。クローディアを、大切にしたい」


 エドガーの手が、クローディアの頭から離れる。それを少しだけ名残惜しく目で追ってから、クローディアはエドガーの顔に視線を戻した。


「今までのクローディアの多忙さは、知っているつもりだ。好きなことを見つける時間も、なかったとも思う。希望を口に出すことも。だから、私が、クローディアの希望を叶えたい。甘やかしたい」

「私の、希望」

「ああ」

「……すみません、思いつきません」


 クローディアは目を伏せた。

 思い返せば、エドガーの言う通り、王都では王妃教育ばかりだった。そして、クローディアの理想とする王妃とは、自らの全てを以て、国と夫を支える美しく誇り高い女性だった。

 だから、我儘などありえなかった。人のためにできることを考えることはあっても、人に何かを頼むことなど考えもしなかった。

 

 クローディア自身が、クローディアのために、何かを望み、人に頼むということを、クローディアは長年の生活で忘れきっていた。


「そうだろう」

「申し訳ありません」

「謝る必要はない。だが、些細なことで良い。今すぐとは言わないから、考えてくれないか」

「はい。ありがとうございます」


 クローディアのための、クローディアの望み。

 目を閉じて、クローディアは考える。握りしめた手を胸元に当てて、じっと動きを止めていたクローディアは、ややあって、口を開いた。


「行き先については、私は分かりません。好きなもの、というのが、自分の中で掴めなくて」

「ああ」


 昔は、赤い薔薇が好きだった。

 後は、ジュリアンと一緒に良く飲んだ紅茶。もしくは、ジュリアンに贈られた、彼の髪の色を写しとったような鮮やかな黄色のドレス。

 けれどもう、それらはクローディアの好きなものではない。


 そしてそれが失われたとき、分からなくなってしまったのだ。


「だから、行き先は、エドガー様の望まれるところでも、良いですか」


 おずおずと、クローディアはエドガーを見上げた。また溜め息を吐かれてしまうかと緊張したけれど、クローディアの予想に反して、エドガーは優しく微笑んだ。


「ああ。ゆっくりで良い。ありがとう」

「でも、一つだけ、些細なことでも、良いですか」

「もちろん」

「ありがとうございます。その、もう一度、お願いしても良いですか」


 頭を、と消え入りそうな声でクローディアは呟いた。

 希望を口にするのは苦手だった。誰かに何かを頼むのも、苦手だった。


 迷惑なのでは。面倒に思われるかも。返せるものが、何もない。

 そんなことばかり考えて、消え入りそうな声になってしまったクローディアは、居た堪れなさに堪えきれなくなって俯いた。


「すみません、何でも――」

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