第14話 純粋で無邪気で、可愛らしい
クローディアを庇うように片手で抱き寄せ、一歩前に出たエドガーが、油断なく目を光らせて口を開く。
「初めまして。エドガー・オールディスだ」
「お初にお目にかかります、オールディス卿。わたし、キャロライン・エイミスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ふわ、と花が開くように微笑んだキャロラインの表情は、クローディアでさえつい口元を緩めるような愛らしいもので。
お会いできて嬉しいです、と口元に手を当てる仕草は、キャロラインを少しだけ幼く見せる。
天真爛漫、という言葉の似合う女性。クローディアの心臓が、嫌な音を立てた。
「それで、何か用だろうか?」
丁寧に接しているエドガーの表情が不安で、クローディアは失礼とは知りながら、その表情を伺うように覗き見た。そこに浮かべられた笑顔に、嫌な汗が背筋を伝う。
「あ、その、クローディア様に、お伝えしたいことがあって」
エドガーに問われた瞬間にしゅっと笑顔を引っ込め、指先を擦り合わせながら目線を落とす仕草は、相当に庇護欲をそそられるものだ。けれどクローディアに、それを気にしている余裕はなかった。
「わたくし、ですか」
「はい。あの、申し訳ありませんでした!」
勢いよく謝罪するキャロラインに、クローディアは言葉を失った。
「知らなかった、で済まされる話ではないんですけど。あの時のわたしは、本当に何も分かっていなくて……ただ本当に、ジュリアン様が好きで、本当に、それだけで」
「ええ、分かっています」
「本当に申し訳ございません。あの、私、本当に驚いて、別にクローディア様からジュリアン様を奪おうだなんて、そんなことは全然考えてはいなかったのです」
「ええ、それは最初から分かっていました」
「本当に」
「もう良いです」
謝罪の言葉を、クローディアは静かに遮った。キャロラインに一切の悪気がないことを、クローディアは悟っていた。純粋で、可愛らしい人だとも思った。自分にもこんな時代があったのかと言われたら、遠い記憶の彼方で、そうかもしれない、とも思った。
けれど、そんなクローディアはもういない。
「お気持ちは十分受け取りました」
「……っですが」
「結構です、とお伝えしたはずです」
「それでも!」
「キャロライン様」
クローディアは真っ直ぐに、細い睫毛を揺らしながら目を潤ませるキャロラインを見つめる。
「次期王妃となられるお方が、そのように簡単に人に頭を下げない方がよろしいかと存じます」
「……っですが、私は本当に最低なことを」
「失礼を承知で申し上げます。キャロライン様のその優しさは、わたくしが失った素晴らしき美点ですが……時に、欠点となるということもご理解ください」
「……」
「いついかなる時も、気を抜いてはいけない、わたくしはそう育てられました。今わたくしがそれを信じているかは別として、王妃として殿下の隣に立つにあたっては、正しい教えであったとは思っています。
殿下は、必要ないと仰るでしょう。そういう厳しさを厭う、純粋さを尊ぶ方です。しかし、生き抜くためには厳しさも必要と、わたくしは思っています。これはわたくしの一意見であり、キャロライン様に押し付けるようなことはいたしませんが」
一度言葉を切ったクローディアは、長年の間に培った微笑みを浮かべた。
「わたくしができなかったことを成し遂げてくださることを、期待しています」
「……ありがとうございます」
キャロラインは大きく目を見開くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。かつて政敵であったクローディアの言う事を真っ直ぐに受け止めるその素直さには少しばかり心配はあるが、純粋で真っ直ぐなキャロラインの事だから、きっとジュリアンとも上手くやっていくのだろう、とクローディアは思う。
彼女はたとえようもなく純粋で、真っ直ぐで。一種の意趣返しのような、かつての恨みを晴らすような、そんな気持ちで彼女に冷たい正論を、静かな重圧を突きつけた自分を振り返り、クローディアは微かな苦笑を漏らす。けれど、後悔はしなかった。
そんなクローディアの肩を抱くようにして口を開いたのは、エドガーだった。
「クローディアの体調があまり良くないようなので、失礼する」
「……っはい。突然お声がけして、すみませんでした!」
謝罪に、いえ、と首を振ると、クローディアはエドガーに支えられて、背を向けて歩き出した。無意識のうちに上がっていたクローディアの歩く速さに、エドガーは唇を噛んで眉を寄せる。
「クローディア」
「はい」
「彼女が苦手か?」
「……」
息が上がって答えられない、というふりをして、クローディアは時間を稼ぐ。少しだけ歩調を緩めて、クローディアはおもむろに口を開いた。
「否定はしません」
「ああ」
「彼女自身が苦手なのも、暗い感情もありますが、何より、また大切な人を奪われるのでは、と怖くなる時があります」
「……それが、不安げな表情をしていた理由か?」
「はい」
クローディアは怖かった。そう、怖かったのだ。
また、天真爛漫な彼女に大切な人が魅了されていくことが。クローディアの天真爛漫な姿が好きだと言ってくれたエドガーが、クローディアよりもずっと天真爛漫で無邪気な彼女に惹かれることが。
まさか、と思っても。
それでも、クローディアは怖かった。
「彼女に、本当に、悪気はないのです。この貴族社会では全く見ないような、純粋で、綺麗で、可愛らしい方で。責めることができなくなるような、自然と庇いたくなってしまうような、そういう人なのです」
「だが、やったことが許されるわけでは」
「皆、彼女を庇いたくなってしまうのです」
「そういう、ことか」
あの時に起こったことを理解したらしいエドガーが、ひとつ、溜め息をついた。
「皆に好かれるのは、大切な王妃の素質です。彼女自身が至らなくても、周りが完璧に支えるでしょう。そういう意味では、私より王妃に向いているのかもしれません」
「頼むから、そういうことを言うな」
「そういうこととは、どういうことですか」
「自分を卑下するようなことだ」
「そんなつもりは」
「分かっている」
クローディアの言葉を遮ったエドガーが、クローディアに視線を落として断言する。
「私にとっては、クローディアが一番だ」
「……」
「自意識過剰だったら恥ずかしいが。私は、クローディアを裏切らない」
「……はい」
「私の彼女への感想は、クローディアを傷つけた女、以上だ」
「そこまで仰らなくても」
「私にとっての事実だ」
迷わず口にしたエドガーは、気がつけば足を止めてしまっていたクローディアの頭に手を乗せ、そっと撫でた。
「安心してほしい。私は決して彼女に靡かない」
「……ありがとうございます」
少しだけ近くなった距離と、形容し難い不思議な雰囲気。
クローディアはエドガーと寄り添って、今度こそ王城を出た。
◇
「クローディア」
かたかたと揺れる馬車の中、何とも言えない沈黙を先に破ったのは、エドガーだった。
領地ではなく、王都の屋敷へと向かっているようなのは、きっと疲れているクローディアを気遣ってのことだろう。
「はい」
答えるも、エドガーが次の言葉を発する様子はない。どうして良いかわからず、クローディアは下げていた目線を上げて、縋るようにエドガーを見つめた。
クローディアのそんな姿に背中を押されたのか、意を決したようにエドガーが言う。
「正直、私には今のクローディアの考えが分からない」
「すみません」
「謝る必要はない。クローディアは悪くないだろう」
「ですが」
「謝る必要はないと言っている。不必要に謝るな。謝罪を安売りするな。クローディアが不当に貶められるのは、嫌いだ。それをするのがクローディア自身であろうと」
「す――」
苛立ったような、抑えきれない感情に揺れているようなエドガーの声に、反射的に謝りそうになったクローディアは、両手で口を塞ぐ。それを見たエドガーが、ふ、と一つ息をつくと、言葉を続けた。
「クローディアの気持ちを想像はしているが、正しいかも分からない上に、不用意にクローディアを傷つけることになるかもしれない。だから、教えてくれないか。今クローディアがどう思っているか。どうしたいか」




