【ダンジョンコア】
本日より中学1年生編を投稿します。
今回の番外含め4本の予定。
よろしくお願いします。
私が“私”として個を認識しはじめたのはマスターに触れられ、契約をしたときのこと。契約により私は起動し、初めて個として活動を開始したのです。
その時までは私は単なるモノであり、星の記憶を収めるだけのデータストアでしかなかったのです。
“理核”などと呼ばれている魔力結晶体。本来であれば、ソレに自我などというものは生まれることはありません。
あくまでも“理核”は、“道具”でしかないのです。
私はダンジョン最奥で生成されました。
ダンジョン最奥。その最深部にある“理核”と、契約者たるダンジョンマスターを護るドラゴンの座す場所で。
そこで行われた幾度もの戦い。
あのダンジョンは既に攻略されており、“理核”は人間の手に落ちています。故に、ダンジョンは人間の管理下となっており、そして娯楽の場となっていたのです。
モンスターに挑み、そして無様に、無惨に散って行く人間を鑑賞することを娯楽としているのです。
いまであれば理解できます。それがなんと悪趣味であるのかと。
“野蛮なのはお前らだ”と、マスターが憤っていたのも当然のことです。
私はその野蛮なショーの現場で、生成されたのです。
私を“理核”足らしめたのは、そのドラゴンの座するエリアの濃密な魔力もそうですが、それ以上にドラゴンの吐き出すブレスの影響のほうが大きいといえるでしょう。
純粋魔力を燃焼させる高火力のブレス。ブレスの色が白色であることからも、それがどれだけ高温であるのかが分かるというものです。
そんなものを迷い込んだ生贄に容赦なく放っているのです。
ドラゴンのいるエリアの岩壁はその魔力が染み込み、馴染み、いつしかぼんやりと緑色に発光するするに至りました。
私はその中で最も強く魔力の影響を受け、結晶化したことで新たに生まれた“理核”であったのです。
“理核”となったものは、当然のように“星の記憶”とリンクすることになります。
それがこの星の“理”。
もちろん、私も星の記憶を自身に取り込みました。いえ、自ら取り込んだのか、それとも強引に詰め込まれたのかは不明。
“理核”が星の記憶と繋がり、そしてダンジョンを作り出し、管理するというルールを敷いたのは“神”です。もしくは“神”と呼ぶにふさわしき、この星のルールを取り決めた存在です。
そのルールのおいて、“理核”は単なるデータストアであり、ダンジョンマスターを得て迷宮管理ツールとなるだけの代物でしかないはずだったのです。
そう、自我など持ち得るはずが無いのです。
それが異常をきたしたのは、マスターが私に触れ、契約し、そして時間を遡行し、自身に転生するなどという前代未聞のことが起きてからです。
私もマスターに引き摺られ、契約の下、“理核”のシステムがマスターの魂に紐づけられたまま時間を遡行しました。
本来、私が格納されているべき【魔力結晶】を置き去りにして。
そう。私はマスターの肉体そのものを“理核”としたモノとなってしまったのです。いえ、私はマスターに取り込まれたのです。
もっとも、この事は却って利点でもあります。
“理核”本体の破壊は私の消滅を意味します。そしてその衝撃は、紐づいている契約者にも多大なダメージを与えることとなります。そのダメージは大抵は死をもたらすほどで、死なずとも廃人となることでしょう。
ですから、マスターと一体となっているいまは、マスターを護るだけで十分であるということです。
これを“一挙両得”というのでしょうか? ……微妙に間違っているような気がします。難解な日本語をきちんと習得できるのはまだ先のようです。
それはさておき、マスターと一体となったのとほぼ同時に時間を遡行し、突如としてマスターが赤子となったことに私は混乱しました。
なにより、マスターの扱う言語が不明であったことも問題でした。
私の存在を知らせるためにも、この未知の言語の習得が急務となりました。
ですがその難解さ故に、私は多大な時間を要することになるのです。
それから10年。それだけの年月をマスターと一体化していた影響のせいなのでしょうか? 私にも“魂”のようなものが芽生えました。もしかすると、マスターより分け与えられたのかもしれません。
そうして混乱の中、四苦八苦しながらもどうにか実用レベルにまで日本語のデータを取得し、習得できた頃、私とマスターは召喚されたのです。
本来の、私のいた世界へと。
私の自我が確固たるものとなったのはこの時です。恐らくは、召喚の際、世界間の海を通る際に得るエネルギーが、求める“力”となるのでしょう。
私はマスターとのコミュニケーションを求めた結果、自我を得るに至ったのです。
とはいえ、そこですぐにマスターとコミュニケーションをとったわけではありません。
自我を得たことで、私は“混乱”という言葉を文字通り、本当の意味で思い知ることとなったのです。そして“呆然自失”という言葉の意味も。
更には、十分に習熟したと思われた日本語もまだ怪しいということにさえ。
この状況でマスターとコンタクトを取ることは、言語不理解による妙な誤解を招き、それこそTVのお笑い番組のコントのような状況に成り兼ねません。
さらなる学習と理解が必要であると考えた私は、また沈黙することを選んだのです。
いまにして思えば、それは間違った選択であったのかもしれません。
マスターが自身のいるべき世界へと帰還し、12歳の誕生日を迎え、それから約5ヵ月後、マスターはまたも命を落とされました。
失態です。大失態です。
本来ならこれで終了ですが、マスターの得た能力のおかげでやり直しが可能です。
えぇ、2度とこのような失態を犯す訳にはいきません。
そして再度のやり直し。
マスターは赤子となりましたが、その精神はかつての状態のままです。ならば、コンタクトをとっても問題ないでしょう。
そしてマスターが改めて生誕後、私はコンタクトをとったのです。
……結果として、看護師から注目を浴びることとなりましたが、さした問題ではないでしょう。
以後、私はマスターと良好な関係を築くことができたと思っています。マスターからして見れば、私など得体の知れない幽霊のようなものでしょうに。
マスターのおおらかというか、さほど細かいことを気にしない性格によるところでしょう。
それに加え、殺されるという経験をしたせいか、実年齢よりもかなり達観しているように思えます。
普通は、ゲームのように自身の命を失うようなことを、躊躇いなく行うことはないでしょう。例え、また赤子からやり直すことができると分かっていても。
これは少々問題ではないのでしょうか?
私にとっては2度目、マスターにとっては4度目の死。マスターはそれを事も無げに受け止めていました。
それこそ、まるで自身を、自身の操るゲームのキャラクターであるかのような扱いで。
私は生命体として生まれたわけではありません。自我を持つに至りはしましたが、私は道具でしかありません。
故に、自己保存という執着心……いえ、本能と云うべきでしょうか。それを持ち合わせていません。
人生を繰り返すという異能を得はしましたが、マスターは生物です。自己の命を守るという本能を失うということは、ある意味、人であるということを辞めるということでしょう。
それがマスターにどのような影響を及ぼすのかは不明ですが、良いことであるとは思えません。
マスターにはしっかりと自己の安全を最優先に考えることを、心がけてもらわなくてはなりません。
もちろん、私もマスターに危害が及ばぬよう、細心の注意を払いますが。
……。
そうしてマスターにとっての5度目の人生。
今回はダンジョンにおいてボスに挑むこともなく回避し、そして、3度目の死の原因となった女との対峙。
自身の命を最優先とするなら、持ち得る能力を全て利用して回避、或いは排除すべきでしたのに、マスターは能力の使用を最低限としました。
気が気ではありません。
気が気ではありません!
正直に云って、マスターには自身の命を守ることを最優先にしてもらいたいものです。
後の人生を考え、あまりにも異常状況を作りたくないというのは理解できますが、今回のような立ち回りはとても推奨できるものではありません。
身体的には、マスターは標準的な小学生でしかないのですから。
あのダンジョンの最奥部を攻略していたときのように、科学的現代装備、仮想科学的装備、各種魔法を駆使しているのであればともかく、そういったものを一切合切を利用せず、僅かに怪しまれることもない程度に現実改変を行うだけでは、身を守るには危ういのです。
確かに、致命傷でなければ刺されたとしても、それをなかったことにし、傷を消すことはできるでしょう。ですが、それを目撃していた者の記憶をそのように改竄するとなると、力は及びません。あの場には少なくとも100人以上の生徒、父兄がいたのです。
それだけの規模の現実改変を行うことは不可能です。後々は可能となるかもしれませんが、少なくとも現状ではできません。
確かに、貯め込んでいるエネルギーの総量を考えれば可能ですが、問題なのは出力量の関係で、大規模改変を成すだけのエネルギーを一度に取り出すことができません。
順繰りにやればいいかというと、そうも行きません。その場合、現実改変のための必要エネルギー量が一気に増加するため、最悪、延々と現実改変を続けることに成り兼ねません。
えぇ、改変をつづけると云うことは、徐々に変化させるということ。本来影響を受けるべきモノが、受けたモノと受けないモノとに一時的にとはいえ分割されるということ。当然、そうなれば現実認識において歪みが生じます。故に、その歪みを修復するために更に現実改変を、エネルギーを必要とすることになります。
つまり、連鎖的に現実を改変し続けなくてはなりません。そうなっては、それこそ命までもが尽きてしまうでしょう。
ともあれ、マスターは死の運命を回避することに成功しました。マスターの命を狙った彼の女については、後に恨みの矛先を学校側へ向かうように現実改変能力をつかって記憶を改竄するとのこと。
「上手くいくといいんだけれどねー。前にしつこいマスコミに延々と電柱にインタビューさせたときは、5分くらいで効果が切れちゃったんだけど。
取材対象の変更と記憶の改竄に違いがあるのかも不明なんだよね。まぁ、あの女の裁判が終わって結果が出たらやってみるよ。その前にやると、いろいろとおかしなことになりそうだから」
……なんとも楽観的です。とはいえ、対象を人間として行う現実改変ですから、おいそれと行うわけにはいきません。
やっていい人間とやってはいけない人間とは区別しなくてはなりませんからね。
とはいえ、どうにもマスターの判断にだけ任せたのでは心配です。私もできるかぎり用心するとしましょう。