【玉藻】
!?
妾は寝床から跳ね起きた。
なんじゃいまの夢は。妾になにが起こった!?
……はっ? 妾? 妾は妾のことを妾などと云った覚えはないぞ!?
そんなことを考え、妾は頭を抱えた。
わけがわからぬ。
いったい妾になにが起きたというのじゃ!?
つか、なんじゃこのおかしな口調は!?
いや、そんなことよりもじゃ!
妾はバンバンと寝床を叩いた。
草を寄せ集めて作った寝床はあっという間に壊れた。
「なんで妾が石になって砕かれねばならんのじゃーっ!!」
★ ☆ ★
よい景色じゃ。
あのおかしな夢を見てから数百年。
妾は人里離れた山間から、眼下に広がる田園を眺めていた。
妾の頭に詰め込まれた知識を頼りに、鬼どもを煽って作らせたものだが、想像以上の成果をあげてしまった。
人間どもの田畑が、このように豊作になっているところなぞ見たことが無いぞ。
しかしまぁ、いまでこそ大妖怪に名を連ねるとはいえ、かつての木っ端妖怪の子狐に過ぎぬ妾の言葉を、よくも鬼どもが聞いてくれたものじゃ。
……まぁ、いつ喰われるかと生きた心地はせんかったが。
白米を人間の貴族共から掠め取ってきて、こうして大豊作となるほどに育てることができたおかげでもあろう。妾の知識の信憑性を示すことができたからの。
米麹を生み出すのは面倒ではあったが、妖術でなんとかなるものじゃの。……なんでそんな使い方を知っておるのか、我ながら怖くもあるが。ほんに妾のお頭はどうなってしまったのか。
だが、おかげで酒はもとより、米味噌に米醤油までもができたのは僥倖というものぞ。
いまにして思えば、大豆も育てておくべきじゃったな。まぁ、酒に関係ないものを鬼どもがつくるとも思えんし、これが最良であったと思おう。
とはいえ、ここまでするのにかなりの年月がかかってしもうたがの。大雑把な鬼には畑仕事は向かんかったしな。まぁ、酒が絡んだせいか、辞めようなどと云いださんかったのはありがたかったが。
……鬼の頭領が酒造の棟梁になってしもうたのは――まぁ、良いか。ただの豪快なおっさんみたいになっておるが、出来た酒に満足しておるからの。更なる上の酒を目指すぞ! などと叫んでおるし。醤油と味噌のおかげで、食い物も美味くなったしの。
おまけにどこで聞きつけたのか、天狗共がどこからか捕まえて来たブタのおかげで肉も十分にあるし。
そういえば連中も酒呑みじゃったな。妖術の得意なあ奴らがおればここも安泰じゃろ。酒を造るなら混ぜろとやかましいしの。
さて、人間どもの方も騒がしくなって来たようじゃし、ちと行くとするか。確か、織田とやらを天下人に押し上げてやるのが一番楽なんじゃったな。
なんでも神仏を信じとらん神主の一族らしいが、妾が力を見せれば信じもしよう。
★ ☆ ★
あ、あれ? 何故じゃ? 何故こうなった?
妾、皇族に隠れ、将軍とやらの助言者で落ち着く予定だったのじゃが?
なんで妾が神扱いされておる?
いや、お前ら、妾はただの狐の妖怪ぞ。
だから稲荷神ではないと――
妾は頭を抱えた。
お前ら、皇族は神の末裔だから政治に関わらんでいいとか云っておきながら、神だなんだと崇める妾には政治をやれというのか。
こらそこの! 猿! 目を逸らすではないわ!!
むぅ……。
妾は助言しかせんからの。将軍は織田家でやればよかろう。とっとと幕府を開いて、きちんと日ノ本をまとめんか! やることは山積しているのじゃぞ!
そもそも鬼どもがワインを造らせろとうるさいんじゃ。妾でもいつまでも押さえておれんぞ。とっとと甲州をよこせ。ぶどうとみかんを作るのじゃ! それと鬼と一緒でも構わんという剛の者も出すのじゃ。お前らも産物が多い方がよかろう。
――っと、またか。なんぞまたもや変な記憶が。
幾つかの生物の姿が脳裏を掠める。
なるほど。こ奴らは滅んでしまうわけか。それを阻止せよと? ほうほう、殆どは食用じゃな。む、ウナギもか。
ぬ? 国の象徴となる鳥も亡びると? 原因が乱獲じゃと? 阿呆の所業ではないか。
よし。これらもどうにかしよう。食も権威も大事であるからな。
というか、せねばならんことが後から後から湧いて出てくるのは何ぞ? これ、あの夢と同じじゃよな!?
なんか、これまで以上に多いのじゃが!?
え? 妾、あとはこの新幕府が終わるまではのんびり過ごしたいのじゃが……。
嘆きつつも新たな記憶を確認する。無視するわけにもいかぬしの。
……。
頭を抱えた。
おのれ伴天連、思想侵略なんぞされてたまるものか。ぬぅ、大陸の技術は惜しいが、すでに現状では日ノ本が凌駕しておる状況じゃ。とはいえこれまで以上に学問と技術開発に力を入れねばならんか。資源に関しては豪州頼りになるが……もういっそ、あっちにも学舎だの工房だのを造ったほうが良いやもしれん。うむ、そうしよう。
となると、航海期間の短縮のためにも、蒸気機関や船舶の改良にも力を入れねばならんな。幸い、天狗共の一部が道具で妖術を再現することに興味を持って、あれこれやっておるからの。実際、出来上がった蒸気機関をみて、見ていて気持が悪くなるほど狂喜しておったし。なんでグネグネ踊る必要があるのじゃ。
あやつらに水を向けておけば、勝手になにかしらしでかすじゃろ。豪州には資源がたんまりあると云って炊き付ければ尚更じゃ。
それに、あ奴等なら向こうで神扱いもされようというものぞ。豪州の信仰は日ノ本に元からある信仰と非常に似通っておるようじゃしの。
……北米大陸とやらにも、鳥を神とする似たような信仰があるそうなんじゃが……さすがに遠いのがのぅ。なんとか送り込めれば、後々安泰なんじゃが。遠い未来に戦争となるようじゃし。
まぁ、いまは手が届かぬが……冒険好きの天狗共にでも行かせるか? 確かひとりふたりいた筈じゃな、変わり者が。縮地を教え込めばなんとかなるか? だが酒が切れたら騒ぎそうじゃしのぅ。まぁ、なんとか口車で騙くらかすとしよう。
人間どものほうも色々と底上げをせんといかんしの。まぁ、物の怪と仲良く出来るようになっている分、昔よりも遥かに良い状況じゃ。
★ ☆ ★
記憶によると、近代、とかいう時代に入ったといえよう。……明治か。植え付けられた予見の記憶通りじゃな。なんとも気味が悪いのう。まぁ、それで助けられておるのじゃから、文句はいえぬが。この知識? の出所は神の所業なのじゃろうか?
さて、この近代――妾にとってはいまを生きる現代であるのじゃが、せねばならぬことが大量にある。しかもどれもしくじると致命的なもののようじゃ。
これまでは思想侵略対策として鎖国をしたのはよかったといえよう。変な文化侵略も思想侵略なく、日ノ本は独自の文化をしっかりとはぐくめたと思う。
……思想に関しては少しばかりおかしなことになっておるが。なにせ宗教が玉藻稲荷神一色になってしもうたし。
……謎の記憶のどこをひっくり返してもそんなものはないぞ。伏見とか笠間ならあるのじゃが……。
技術面も知識と比べるとおかしな状況になっておる。
なにせもう、飛行機が実用化しておるしの。もちろん戦闘用車両もじゃ。資源があるというのは本当に有用じゃな。もともと日ノ本の民は異常に凝り性であるからな。なにかしらの指針を示して研究をさせれば、誰がそこまでやれと云った!? というような結果を出して来るからの。もっとも、それに見合う褒賞もあるからこそ、全身全霊で取り組むのであろうが。
さて、飛行機が実用できたとはいえ、航続距離や積載量などたかがしれておる代物じゃ。じゃが、兵器としても十二分に運用可能であるものといえる。爆弾でも毒液でも上から落っことしてやれば良いのじゃから簡単ぞ。
国力ともいえる人口も溢れんばかりじゃ。飢饉対策、疫病対策、そしてもちろん災害対策と力を入れた結果と云えよう。
ふふふ。恐らくは、世界でもっとも健康的な民族ぞ、我らが日ノ本の民は。
豪州を含め北米にも移民を行っておるからの。ふふふ。米帝が好き勝手しようにも、内側から邪魔をしてくれよう。
うむうむ。知識にあった世界地図は素晴らしく有用であったな。先の見える航海ほど楽なものはないからの。
戦争への準備は十分にできておるぞ。「毛唐が相手か、腕がなるな」などと酒呑がニヤニヤとしておるが、お前、他所の国の酒が目当てなだけじゃろ。まぁ、構わぬが。引き籠りの天狗と違い、こういう時には頼りにはなるの。
その行動に関してはまったく信用ならんが。相手をすることになる欧米人が哀れじゃな。おっと、英国の連中に手を出さんように釘を刺しておかんと。同盟国を潰されてはかなわん。
さて、あとは人間どもに、任せるとしようか。
★ ☆ ★
うむむ。予知にあった状況と大分変わったのう。気がかりなのは周囲に列強の植民地が多いことじゃが……まぁ、普通の人間の地じゃし、問題無かろう。最悪の兵器とあった原爆とやらも、日ノ本には落ちんかったしの。大陸では大変なことになっておったが。
ふふ、これも目にみえぬ戦力による差というものよ。
日ノ本のように、物の怪と共存などしとらんからな、他国は。
冗談ではなしに、鬼単騎で一騎当千であるからのう。適当に鬼と天狗を爆弾の如く敵地に落っことして置けば、掃除などすぐに済むしの。
うむ。目立ちたがりの鬼どもに隠形技術を叩き込んだのは間違いではなかったの。鬼と天狗の“つーまんせる”を止められる人の軍などおらぬからな。
さて、知識では世界征服に邁進する中華人民共和国とやらは消えた。というか、なんのかんので生まれもしなかったといってよいか。
……大天狗共が面倒だと、彼の国の指導者を悉く暗殺しよったからの。
ふむ。……あー、台湾島が少々危険であるのか。本来なら分裂し弱化した中華民国なるものがそこに政府を開いたようじゃな。知識によると。もっとも、現状ではそんなものないが。代わりに首刈族がいまだに幅を利かせておるのか。
……じゃから英国も放置しておるのかの? あやつらなら侵略して植民地にしそうじゃが。
まぁ、放っておいてよかろう。
米帝のほうもどうにかなったの。やはり無理にでも移民をさせたのが功を奏したといえよう。
結局、兵器の格差がものをいうというものぞ。そこに天狗の妖術が加わるのじゃから、ネイティブアメリカンが負けようもない。
特に天狗がサンダーバードの使いと誤認されたのがよかったの。まぁ、騙くらかした形ではあるが、連中を破滅より救えたのじゃから良しとしてもらおうぞ。
侵略者どもを完全に追い払うことはできんかったが。時期が遅すぎて、南米には手を出せんかったからの。
まぁ、全てを都合よく出来る訳も無し。謎の知識も、どうなって行くかは教えてくれても、最も効果的な対策は示されんかったからの。大陸や豪州への対処のようには。
こうして世界を大分好き勝手に手を加えたわけじゃが……これからどうするべきかのぅ。
ぞわり。
のんびりと平穏に過ごしていたある日の事、異常な存在が突如現れた。
全身総毛立つ。9本の自慢の尻尾が膨れ上がり、まるで一本のようになる有様だ。
な、なんぞ? なにが起きた? いや……なにが来た!?
妾が怖れ戦いていると、大天狗共と酒呑が鬼どもを率いて我が元にやって来た。まさか妾がこやつらに守られることになるとは思わなんだ。
この日ノ本に突如として現われた、強大ななにか。
誰ぞ確認に向かえば良いのだろうが、誰ひとりとしてそれができぬ。
恐怖故にではない。我らが拒絶されているのだ。一定の距離にまでしか近づくことが許されぬ。それどころか天狗の千里眼さえ阻止される始末だ。
そして翌日。
その何者かから離れた、これまた異常な力量のなにかが妾の元へとやって来た。
じゃが、この屋敷に辿り着くまでに、数多の鬼や天狗、果ては力自慢の河童を始め、足を惑わすぬりかべなども集まっておるのだ。そう簡単に――
と思っていたのに、ソレはなんの障害もないかのように、すいすいと近づいてくる。護り手と争っている様子もない。
あまりの異常に、妾たちは困惑するばかり。
そして、屋敷に侵入したそれは、勝手知ったるように玄関から進み、最後の砦たるふすまを勢いよく開いた。
「やぁやぁ、我が本体殿。いや、この世界線では殺生石となって砕かれてはおらんから、儂の本体というのはおかしなことになるの。そも、先にも云ったように世界線が違っておるしの」
そう云って入って来たのは、まるで童となったような妾じゃった。




