僕は人気作曲家
よく「天才」という言葉を耳にしますが、人によってその言葉の使い方は様々であるように思います。「秀才」と「天才」とは全く異なるものです。前者は努力により、その地位を確固たるものにしています。一方、後者は常人には決してできない視点で物を見たり、能力を発揮することで歴史に名を残すわけです。
「10月の一番売れた曲は、山田康太君の『未来への希望』でーす」
軽快な口調でアナウンサーは言う。最近はやりの音楽番組で、司会を務めている売れっ子だ。彼の言葉に続き、緊張した様子の男の子が、カーテンの奥から歩いてくる。
「『未来への希望』の大ヒット、おめでとうございます!」
勢いの良いアナウンサーの声に驚きながらも、嬉しそうに頬を赤らめ、小さい声で「ありがとうございます」と言った。
彼は小学四年生だった。毎日、友達と近所の公園でサッカーをしているような、普通の小学生だった。しかし、夏休みの自由研究で作った曲が、国内で大ヒットしたのだ。小学四年生が作ったとは思えない美しいメロディや、大人でも驚かされる秀逸な歌詞が大ヒットの要因だった。
また、声変わり前の男の子の、美しく、でもちょっぴり音程の外れた歌声に、世間は魅了された。
テレビ収録が終わり、両親とともに家に帰る。
帰宅後、彼はすぐ自身の部屋へと向かう。彼の部屋は作曲家顔負けの設備が整っていた。ここにしばらく籠り、新たな曲を生み出すのが、日課となっている。
彼の両親は彼の作曲活動に、とても協力的だった。はじめは盗作を疑うものの、いくら調べても似たような曲がないことから息子の隠れていた才能に喜び、様々な機材や本を買い与え、彼の才能を伸ばすことに尽力した。
『未来への希望』がヒットした売れっ子作曲家は忙しかった。世間や親の期待を背負い、曲を作り続ける。最近は、満足に学校に行けていない。友人と会えないことや授業を受けられないことは、彼にとって寂しいことではあったが、作曲への想いも強く、寂しさを埋めるかのように曲を作り続けた。
半年もたてば、彼が手掛けた曲は20曲以上にもなった。まだ、彼が経験していない恋愛をテーマにしたものや、落ち込んだ時に元気が出るような応援ソングまで、幅広く手掛けた。
これだけ曲を作り続けているが、彼は自身への評価をまともに受けたことは無い。勿論、調べようと思えば、すぐにでも調べることはできる。しかし、彼の親はそれをすることを良しとしなかった。
「この前の曲も、世間で大評判だった」
「やった、うれしい!」
「次の曲にも期待しているぞ」
「うん、がんばるよ!」
「毎度言ってはいるが、自分の曲を調べたりはしないようにな。良い曲を作るには、他人の評価を気にしていてはダメだ。好評ばかりを鵜呑みにするのもよくはないが、それだけじゃない。中には、痛烈な言葉で批判する者もいる。本当に自分の曲を作りたいなら、そういったことには関わらないことだ」
「うん、わかってるよ。次の曲もきたいしててね」
彼は、また部屋へと戻り、こつこつと曲を作り始める。
ある日、トイレに行こうと部屋を出ると、いつも鍵がかかっている物置が開いていた。彼がまだ幼稚園児の頃は、よく、かくれんぼとして使っていた物置だ。
中をのぞくと、彼がここ最近作った曲のCDが山ほど置いてあった。
これから売り始めるのだろうか。彼はその一つを手に取り、自分の写真が貼られているジャケット面を見て、より一層、自分が背負っているものを実感し、作曲に精を出すことにした。「本当に自分の曲を作りたいのなら、好評ばかりを鵜呑みにするのは良くない」と言われてはいたが、これぐらいは良いだろう。
彼の作曲に対するモチベーションはより高まった。そして、今まで以上に部屋に籠るようになった。
買い物から帰ってきた彼の母親は、物置が開いていることに気付かなかった。まさか売れ残りのCDが山積みになっている事が、息子にばれることは無いと思っているのだ。
実は、1曲目のヒット以降、彼の作る曲は全くと言っていいほど売れていなかった。小学四年生が作ったという斬新さはとうに消え、特に音楽の勉強をしていない彼の作る曲に魅力は無かったのだ。
父親が帰ってきて、物置の鍵が開いていることに気付く。閉め忘れた母親を叱責し、恐る恐る息子の様子を確認する。しかし、彼はいつものように作曲に夢中になっている。
父親は物置の中を見られていないと思い、安堵した。それと同時に、山積みになっているCDを見て、ため息を吐く。そこには、未来への希望などなかった。
自分には作曲の才能があり、世間と親から期待されていると思い込む少年の心と、息子の才能に限界を感じながらも、いつかまた、金になるヒット曲を生み出してくれると信じ続ける両親のあさましい心は、小学四年生の男の子に曲を作らせ続けるのであった。
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