無盡原総合病院 三
「合流できたんですね。状況の説明は要ります?」
俺がそう尋ねると、忍者は神妙にかぶりを振った。
「介入は無用。悪いが、この少女を頼む」
高橋さんの背をそっと押した。
いや、待ってくれよ。
なにが「介入は無用」だよ。
途中参加は忍者のほうじゃないか。
もっとも、この病院が忍者の記憶に関係しているのなら、俺の説明なんて不要だろうし、介入したのは俺たちってことになるんだろうけど。
こうなると、逆に説明が欲しくなってくる。
「こいつがなんなのか、心当たりがありそうですね」
「黙れ。早く行け」
「それは命令ですか? いつからあんたがリーダーになったんです?」
「頼む……」
歯ぎしりしている。
よほど知られたくない秘密があるようだな。
俺がさらに追求しようとすると、佐藤みずきが服をぐいっと引っ張った。
「ほら行くよ」
「は?」
「なんであなたそんなに空気読めないの? サイコパスなの?」
「サイコパスじゃない。状況も理解してない状態で、一人だけ置き去りにはできないって言ってんだ」
「なにそれ偉そうに。一人だけ戦いに参加してなかったくせに」
「……」
ぐうの音も出ない。
たしかに、スタンドプレイばかりしてるヤツが、他人のスタンドプレイを非難したところで、説得力は生じない。
だが本当に?
忍者に任せておいていいのか?
まあ、斬れば後悔するという話なら、原因となった人間が対処するのが一番かもしれないが……。
高橋さんは当初と違い、ずっとおとなしいままだ。
忍者に説教でもされたのかもしれない。
「早く行ってくれ。時間だっていつまであるか分からんのだぞ」
忍者はこちらに背を向けたまま、そんなことを言った。
まあいい。
話なら、本人が喋りたくなったときにでも聞けばいいのだ。
そもそもこの男は、こちらが聞いてもいないぺもんぬのエピソードを自分から話し出したくらいだ。今後もなにかの拍子に口を滑らせるだろう。
*
俺たちは部屋を出た。
のみならず、一階のエントランスまで引き返した。
なにもこんな遠くまで来なくていいのに。
「忍者のおじさん、大丈夫かな」
「……」
俺の言葉に、どちらからも返事はなかった。
不気味なくらい静かだ。
「そういや、最初の放送はなんだったんだろうな。ゴーストがいるはずだったのに、どこにもいなかったし」
「ひっ……」
高橋さんが息をのみ、身をちぢこめた。
そういや刀を持っていない。
どこかで落としたのか。
「どうしたの? どこかで見た?」
「うん……」
「どこまで行ったの?」
「上……」
「で、ゴーストに遭遇したと?」
「うん……」
別人みたいにしおらしくなってる。
もしかすると、ピンチになったところを忍者に救われて、それで少しは反省しているのかもしれない。
ジリリリリと電話が鳴った。
またピンクの電話だ。
俺はベンチから立ち上がり、受話器をとった。
「はい冬木」
『鬼司です。核の破壊が確認されました。撤収してください』
すると外で、ジャーンと銅鑼が鳴った。
かと思うと、玄関のシャッターも勢いよくあがった。
敵も撤収ってことらしい。
「分かった。忍者のおじさんと合流したら戻るよ」
『彼は戻りません。三人で撤収してください』
「は?」
『それが彼の選択です。残りたければ残って構いませんが、早くしないとゴーストになってしまいますよ。それではお帰りをお待ちしております』
そこでブツリと電話を切られてしまった。
あとはツーツーとトーン音がするのみ。
俺も受話器を置いた。
さて、どう説明したものか。
「鬼司さんから、戻って来いって」
「おじさんは?」
佐藤みずきがぐいぐい近づいてきた。
早く話の続きを教えろといった態度だ。
「彼は戻らない」
「えっ? どういう……」
「詳しくは聞けなかった」
すると高橋さんが、突然走り出した。
見に行くつもりだ。
止めないといけない。
だが、彼女の足はとんでもなく速かった。
小さな背が、さらに小さくなってゆく。
やがて、切り裂くような悲鳴。
俺は慌てて分娩室に駆け込んだ。
半透明の赤黒いものは、部屋中に飛散していた。
忍者もうつぶせに倒れている。
一見、かなり悲惨な光景。だが、じつは誰も出血していない。飛び散っているのは核の欠片だけ。それが血痕のように見えている。
高橋さんが入口の近くで腰を抜かしていたので、俺が代わりに忍者に近づいた。
「大丈夫ですか? 立てます?」
体をゆするが反応ナシ。
俺は医者ではないが、彼が死んでいるのは直観で分かった。まず呼吸をしていない。そして生命力も感じられなかった。どう表現していいのか分からないが。ゴーストに似た気配を放っていたのだ。
こころなしか、彼の体は透けているようにも見える。
佐藤みずきも息を切らせながら駆け込んできた。
「うっ……」
室内の様子を見るなり口元を手でおさえ、そのまま廊下へ引き返した。
「残念だが、もう……。手遅れになる前にここを出よう」
戦ったわけではなかろう。
鬼司の話では、「それが彼の選択」とのことだった。
俺は二人を強制的に行かせたりせず、一人で部屋を出た。
こちらがなにかを言えば、言うだけ意固地にさせてしまうだろう。
*
槍は降りやんでいたが、無盡原には無数の槍が突き刺さったままであった。
遠方にはかすかな地鳴り。
このフロアはいったいなんなのであろう。
しばらく眺めていると、佐藤みずきが連れ添って、高橋さんを歩かせていた。
声はかけない。
ただうなずいて、一緒にゲートへ向かった。
*
手足を洗い、大広間へ。
用意されていた膳は三つ。
俺は座布団に腰をおろし、深く呼吸をした。
まさか死ぬとは……。
鬼司は虚空を見つめている。
人形みたいにぼうっとして。
あとでうんざりするほど問い詰めてやる。
だが、俺が行動を起こす前に、高橋さんが詰め寄った。
「ねえ、なんで……」
「はて?」
「とぼけないで! あの人、なんで死んだの!?」
どうしようもない気持ちになった。
俺は知りたい。
だが、彼女には知って欲しくなかった。
いまの鬼司は、聞かれたら答えるだろう。
「彼が望んだことです」
「望んだ? ウソつかないで! あのおじさん、死んじゃったんだよ!?」
「事実ですので」
「証拠は?」
「証拠? ご希望とあらば提示できますが……。知る覚悟があるのですか?」
「な、なによ覚悟って……」
証拠を提示できる?
忍者の死ぬシーンを記録していたのか?
鬼司は、うっすらと笑みを浮かべた。
「知れば、きっと同じ途をたどることになりますよ」
「……」
「人の世には『知らぬが仏』という言葉がありましょう」
鬼を名乗る女がその言葉を言うのか。
高橋さんはこれ以上は踏み込めぬと感じたのか、憤慨しながらではあるが自分の席へ向かった。
食事は、ほとんど進まなかった。
味わっている余裕がない。
というより、今日も胃が受け付けなかった。
女性二名は半分も食べずに箸を置いた。
俺も九割ほどでギブアップ。どうしても残り一割を詰め込む気になれなかった。
*
沐浴を終えると、高橋さんはろくに髪もかわかさず帰ってしまった。
ついでに佐藤みずきも帰ってくれればよかったのだが、いつまでも居座っていた。
俺は酒ももらわずに、鬼司へ近づいた。
「ちょっと聞きたい」
「なんなりと」
ガラス玉のような瞳を、ギョロリとこちらへ向けてきた。
少し威圧したつもりだったのだが、まったく通じていない。
「あの電話はなんだったんだ?」
「そもそもあの病院は、人の世の病院とは異なり、悪意の具現化した姿です。人格を有しておりますので、霊力で干渉することも可能でした」
理屈は不明だが、本当に電話をかけたわけではないようだ。
まあ実際そうなんだろうけども。
「で、あんたはずっと監視してたのか?」
「はい。不鮮明ではありますが、記録もしております。ご覧になります?」
「イヤだよ。それ見たら、俺も死にたくなるんだろ?」
「いいえ」
表情を変えないから、ジョークを言っているのかどうか判断できない。
俺は軽く呼吸をした。
「いいえ? なぜだ? 高橋さんは死ぬのに、俺は死なないのか?」
「そう言っております」
「理由を聞きたい」
「個人の人生に土足で踏み込むことに抵抗がなければ」
「ない。だがちょっと待ってくれ。ちょっと考える」
ないわけない。
抵抗はある。
自分の過去でさえ鬱陶しいはずなのに、他人の過去を知りたいだなんて。
佐藤みずきが近づいてきた。
「見せてよ」
こいつも無表情だ。
すると鬼司は、手のひらを差し出し、そこへふっと黒い石を出現させた。きっと手品ではなく、霊力とやらで呼び出したのだろう。
「触れれば記憶を得られましょう」
「望むところよ」
まったく警戒もせず、佐藤みずきは石に触れた。
その瞬間、映像が流れ込んだのだろう。
片眉がピクリと動いた。
かと思うとぐっと鼻にしわが寄った。
それが一分か、二分ほど続いただろうか。
佐藤みずきは何度か深く呼吸をし、表情を無に戻した。
「敵の目的はなんなの?」
「ゴーストの目的は、人の世に出ること。そして、それを邪魔する鬼道師を排除すること」
「このあと、私たちも同じような攻撃にさらされるってこと?」
「ええ、どのような仕掛けで来るかは、あちらの気分次第ですが」
気分次第……。
つまり敵は、俺たちを誰から料理するのか、選べるというわけだ。
「私、帰る」
佐藤みずきはぐっと感情を抑え込みながら、俺たちに背を向けて行ってしまった。
この短時間の間に、かなりいろいろ考えた様子だった。
「俺にも見せてくれ」
「どうぞ」
鬼司はにこりともしない。
*
病院の正体は分かった。
忍者の、二人目の娘が生まれるはずだった病院。
不幸なことに、そこで母子ともに命を落としてしまったらしい。
あの赤黒い核は、しかし死者の怨念などではない。
無盡原に巣食う「悪意」が、忍者の後悔の念を具現化したゴーストだ。
忍者はその悪意に踊らされ、次々とトラウマをえぐられていった。
母の死後、長女は、祖父母に引き取られたらしい。
苗字も高橋に改められた。
そして高橋さんは、過去を知らぬまま成長した。
忍者はあの病院を見て、すぐに構造を理解した。
しかし分娩室へ行く前に、孤立した娘を追わねばならなかった。
高橋さんは屋上を目指していた。
途中、ゴーストの群れに囲まれて、かなり深いところまで触れられてしまった。忍者もまたそれを救うため、ゴーストの群れに突っ込んでいった。
分娩室に残った忍者は、「悪意」と取引をした。
娘の穢れを取り除く代わり、自分がその穢れを引き受けることにしたのだ。
そして穢れに負けた彼は、そのまま命を落としてしまった。
死の間際、核を斬り伏せて。
*
「鬼司さんよ。こいつは偶然にしちゃデキすぎてるよな?」
俺がそう尋ねると、彼女は口元を袖でおおい、くすくすと笑った。
「偶然? もちろん違いますね。皆さまのことは、私が直接選んだのですから」
「つまり俺と佐藤さんが選ばれたのも、あんたの思惑ってワケだ」
「もちろん」
じつに悪意のある人選だ。
この女は、俺たちが心に傷を負うのを楽しみにしている。
「目的は?」
「ゴーストの侵攻を食い止めること」
「ほかは?」
「秘密です」
目を細め、愉快そうに笑った。
なにが秘密だよ。
そのせいで、誰かが不幸になるかもしれないってのに。
(続く)