無盡原総合病院 二
「はい、もしもし?」
俺が受話器をとると、佐藤みずきは腕をぶんぶん上下させながら、「なに取ってんのよ」と小声で抗議してきた。
だがもう遅い。
『鬼司です』
電話の主はそう名乗った。声からして、なりすましではないだろう。これがまともな電話ならば、だが。
「冬木です。この状況はいったいなんなんです?」
『ゴーストたちの罠でしょうね』
考えずとも分かるような返事が来た。
それはさっき俺もやって、「仲間たち」から反感を買ったばかりだ。
「アドバイスは?」
『建物自体が細胞として機能しているようです。核を破壊する必要があるでしょう』
細胞?
核?
ここが病院だからそう説明したのか? あるいは、それが正式名称なのか?
「鬼司さんよ、俺はね、いきなりジャーゴン並べ立てる人間は信用しないことにしてるんですよ」
『別の言葉で説明せよと?』
「そもそも、どこからどうやって電話してるんです? ここの電話番号は?」
『お尋ねであれば、あとで説明します。けれども、いまは核の破壊を優先したほうがいいでしょうね。もし生きて帰りたいのであれば。いま私と口論していても、時間をムダにするだけですよ』
クソムカつくが、彼女の言う通りだ。
優先度を見誤るべきじゃない。
鬼司を問い詰めるのは、生きて帰ってからだ。
「了解。核とやらを破壊するよ。場所は?」
『私よりも、皆さんのほうがお詳しいでしょう』
「もっと分かりやすく説明してくれないと、俺たち死んじまいますよ。もしあんたがそうご希望ならね」
さすがに俺も冷静さを欠きつつある。
なぞなぞに付き合ってられる状況じゃない。
鬼司は、しかし声のトーンを変えなかった。
『四人の中に、心当たりのある方がいるはずです。これはそういうタイプの攻撃ですから』
「なら、俺以外の三人に絞れたな。あんたの予想は?」
『さて』
まさか、知っててとぼけてるワケじゃないよな……。
俺は思わず溜め息をついた。
「分かった。重要なヒントをありがとう。ほかにアドバイスは?」
『脱出に失敗すれば、皆さんもゴーストになります。ぜひ頑張って核を破壊してください』
「ありがとう。参考になったよ」
俺は返事も聞かずに受話器を置いた。
あの女、いろいろ把握してたくせに、事前にひとつも説明してくれなかったワケだな。
ともあれ、核とやらの場所を誰かが知ってるはずだから、そいつに教えてもらうしかなさそうだ。
「ちょっと一くん、なに普通に会話してんの」
佐藤みずきは袖をぐいぐい引っ張ってきた。
いま「一くん」って呼ばれた気がするが、ひとまず忘れることにしよう。
「鬼司からだった」
「ええっ? なんで? どうやって電話を……」
「そこはあとで説明があるそうだ。それより、この戦いに勝利するためには、核を破壊しないといけない」
「にゅーくり……?」
「ニュークリアス。この病院の心臓部だ。心当たりは?」
「あるわけないでしょ」
つまり女子高生か忍者を捜し出さねばならない。
どこ行ったんだまったく。
俺はベンチに腰をおろした。
「ちょっとプランを考える」
「は?」
「無闇に移動すると入れ違いになる可能性がある。見たところ、地上部分だけで五階あった。地下もあるかもしれない」
「じゃあどうするの?」
「それを考えるんだよ」
ま、考えすぎて、行動する前に時間切れになるのは俺の得意技だ。
もしかするとこのままゴーストになるかもしれない。
佐藤みずきは目を丸くした。
「考えてどうにかなるの?」
「行動したほうが早いときもあるな」
「じゃあ行こうよ!」
「……」
事前の計画ナシで行動することは、俺のポリシーが許さない。
だが、そのポリシーで俺が成功をおさめてきたかというと、かなり怪しい。
それどころか、人生に失敗してばかりだ。
熟慮している間に、世界はどんどん先へ行ってしまう。
置き去りにされたまま答えを出せないのが俺だ。
「あー、分かった。行こう」
「二手に分かれる?」
「それはダメだ」
「分かった。じゃあ先に行って。ついてくから」
「ああ」
自分が先頭を行くつもりはないのか。
ま、彼女らしいと言えば彼女らしいな。
*
院内は、古びた蛍光灯のせいでやや薄暗かった。
が、お化け屋敷ほど暗いわけでもなかった。
単に経年劣化した照明といった感じだ。たまにチラチラするから目が疲れて眠くなる。
廊下は入り組んでいない。
シンプルな一本道。
ただ、二名の痕跡は特になかった。足跡もないし、戦闘の形跡もない。どのフロアに行ったのかも分からない。
もっと言えば、ゴーストの姿もない。
「おい、無料でゴーストと触れ合えるんじゃなかったのかよ。誰もいねーぞ」
ドアを見かけるたびに開け放ったが、どこも無人だ。
病室にはベッドがあるだけ。
看護師たちの待機室もガラガラ。
これじゃ無人原だ。
佐藤みずきが、「あのさ」と後ろから袖を引っ張ってきた。
用があるのだと思うが、なぜか目をそらしている。
「どうした?」
「どこも無人じゃない?」
「ああ……」
「なんかさ、無人原って感じじゃない?」
「……」
こいつは……。
心の中にしまっておけなかったのか?
リアクションを強要される相手への配慮は?
いや待て。
俺もいい加減、三十近い。女性のミスをフォローする訓練が必要ではなかろうか。
「奇遇だな。俺も同じこと考えてた」
「は?」
なぜかキレ気味。
キレたいのはこっちなのだが……。
「誰だって思うだろ、ムジンなんだから」
「安直だって言いたいワケ?」
「そうだよ。安直だって言いたいんだ。正しく伝わったようでなによりだ」
「ふーん。ホント、なんでそんなに嫌味ったらしいの? 昔はもっと素直だったのに」
「世界が俺をいじめたせいだな。恨むなら、俺じゃなくて世界のほうにしてくれ」
「そうやって、なんでもかんでも他人のせいにして。だから友達も彼女もできないのよ」
「母親みたいなこと言うな」
「気持ち悪い。マザコン」
もう罵倒の訓練になってるな。
「君が俺を嫌ってるのはよく分かってるし、その理由も理解できる。ただ、もう少し言葉を選んでくれてもいいと思うぜ」
「……」
返事は言葉でなく、暴力で来た。
後ろから、刀を突き込んできたのだ。おかげで腹から刃が飛び出している。
いくらダメージがないとはいえ、よく気軽にこんなことができる。
「それやめろよ」
「なに? 怒ったの?」
「マナーの問題だ」
「マナー? 自分の足癖が直ったら、今度は人にお説教?」
「愚かな態度に愚かな態度で返してたら、君も同レベルだって言ってるんだ」
「違うわね。私はもう、誰よりもレベルの低い存在なの。動物なんだから。常識がどうとか関係ない」
身の程はわきまえてるってワケか。
しかしまいったな。
自覚的に低レベルな振る舞いをしているのだとしたら、道理の通じる余地はない。
「俺が死んだら満足か?」
「誰もそんな話してないでしょ」
「俺は基本的に、他人がどうなろうが知ったこっちゃない。けど君がそんなだと、ちょっとこたえるよ」
「世界が私をいじめたの。苦情なら世界に言って」
まったくだな。
世界の有するエネルギーのほうが、個人の有するエネルギーより、はるかに大きい。
世界がそうあれと望んだならば、個人はその要望に沿って変形せざるをえない。
うまくいっているヤツは、たまたま世界の流れにあっているだけ。潮目が変われば、いつでも翻弄される。いや、翻弄されているからこそ成功しているのだろう。
生きるも死ぬも、流れ次第。
もちろん自由意志はある。あると信じられる程度にはある。
あるが、巨大なエネルギーの前では、さして役に立たない。
まあ巨大でないエネルギーの前では役に立つが。
だから俺は、片っ端からドアを開けている。
ほかにやりようがないからだ。
「あっ」
二階奥の、だだっ広い部屋に踏み込んだところで、俺たちは異様なものに遭遇した。
半透明の、赤黒い塊――。
ここは出産に使われる部屋だろうか。赤黒い塊は。分娩台の上に転がっていた。
人の死体……ではなさそうだ。
なぜなら人の形をしていなかったし、そもそも人にしては大きすぎる。天井スレスレまである。
「な、なにこれ……」
「たぶん核だろう」
怯える佐藤みずきに、俺はそう応じた。
確証はない。
だが、これが核でないとしたら、もっと怖い。ゴーストと核のほかに、別のなにかが存在するということになってしまう。だから俺は心の平穏のため、これを核だと思うことにした。
塊は、もぞと身をうねらせた。
半透明だからよく見えないが、巨大な心臓のようにも見える。いや、あるいはただの肉塊か……。
「お前たち……花を摘みにきたのか?」
老人の声がした。
声の方向からして、どうも肉片が語りかけてきているらしい。
恐怖はある。あるのだが、態度が威嚇的でないこともあり、俺はなんとかパニックを起こさず受け入れることができた。
というより、後ろから佐藤みずきにぐいぐい引っ張られているせいもあり、恐怖を感じる余裕さえなかった。あきらかに「仲間」から妨害を受けている。
「花とはなんだ?」
俺が質問を投げ返すと、肉片は愉快そうに身をゆすった。
「花とはなにか……。そう。私も、それが知りたいと思っていたところだ。あの花は……見ることさえかなわない。ゆえに名も知れぬ」
「見たこともない花が、どこかに咲いているのか?」
「咲いている? 誰がそう言った? 咲いているかどうかさえ分からぬというのに」
「重要な花なのか?」
「私には重要だ。私は花を手にしたい。いや、一目見るだけでもいい。いつか、どこかで」
意味が分からない。
きっとイカレてるんだろう。
というより、佐藤みずきは興奮しすぎて、また俺の体に刀を刺し込んでいる。これがリアルの刀だったら、俺は「仲間」に殺されているところだ。
「質問を変えたい。あんたはこの病院の核なのか?」
そう尋ねると、赤黒い肉片はふたたび身をゆすった。
「病院の核、というよりは、記憶の核と言ったほうが正しかろうな」
「誰の記憶だ?」
「お前ではない」
そうだ。俺じゃない。
分かり切ったことを言いやがって。
「斬っても構わないか?」
「ああ、もちろんだとも。後悔しないならな」
後悔?
不気味なことを言う……。
「佐藤さん、ちょっと離してもらえるか?」
「えっ? ど、どうするの?」
自分が服を引っ張りまくっていることに気づいて恥ずかしくなったのか、彼女は急に手を離した。
「あいつを斬る」
「ホントにやるの? でもあいつ、後悔するって……」
「後悔ね……。けど、よくよく考えてみるとさ、俺、なにやっても後悔するんだよ。どっちにしろ後悔するなら、斬っちまったほうがいい。もし巻き込まれるのがイヤなら、君は部屋から出ているといい」
「はぁ?」
せっかく気をつかってやってるのに、また逆ギレだ。
抑制が効くのは学生時代の話だけで、ほかは意外と怒りっぽいのかもしれない。
「なら君が斬るか?」
「いいよ。私がやる」
「は?」
「後悔なら私もしてるから」
「いや待てよ。なんで俺に対抗しようとするんだよ?」
「はい? 対抗? 勝手なこと言わないで、勘違い男。気持ち悪いから。あなたのことなんてどうでもいいの。私がやりたいからやるって言ってるだけ」
いや、どう考えても対抗心だろう。
さっきまで人の服引っ張ってたくせに。
「じゃあやれよ。俺は外にいるから」
「はい? それもなんか違わない?」
「どうしたらいいんだ?」
「一緒にやるとかさ……」
こいつも頭がバグってるとしか思えない。
俺を先に行かせておいて、俺がやろうとしたら自分がやると言い出し、今度は一緒にやると……。ワガママばっかりだ。
だが、クソムカつくことに、なつかしい気持ちがわきあがってくる。
なぜ人には記憶とかいうものがあるのだ。
どうでもいい記憶。
「仲直りしたいの」
そんなことを言って、ビー玉をくれたこともあった。
いまもどこかにしまってあるはずだ。
どうでもいい無機物なのに。
捨てる機会がなかっただけだが。
「やはりここか」
忍者が姿を現した。
高橋さんも一緒だ。
いま「やはり」と言ったな。
となると、この病院は、忍者の記憶に関係しているということか。
(続く)