無盡原総合病院 一
街では、ときおり青白いゴーストの抜け殻を見ることができる。
だいたい両手を広げている。
悲願を達成したかのように。
横断歩道の真ん中にいたりもする。
彼らの何割かは、間違いなく俺たちの世界に出てきているのだ。
なのだが、抜け殻しか見かけない。
どこかに隠れているのだろうか。
あるいは、俺たちの世界に来たら、すぐに活動できなくなってしまうのかもしれない。もしそうなら、あまり脅威的な存在とは言えない気もするが。
*
招集がかかった。
いつもの四人。
鬼司から刀を受け取り、石の通路を抜けて無盡原へ。
静かだ。
まだゴーストは姿を現していない。
俺は誰に断りをいれるでもなく、ふらっと歩き始めた。
枯れ木がある。
なんの木かは分からないが、人の背よりも高い、しかし痩せた木だ。
その根元を、刀の先端でえぐってみる。ザク、ザク、と。しかしなにも出てこない。乾いてフレーク状になった土が、ボロボロと崩れるだけ。
もっと深く掘らないと、秘密には到達できないかもしれない。
「なにやってるの?」
お節介にも佐藤みずきが後ろから近付いてきた。
「掘ってるんだよ」
「それは見れば分かるけど……。なんで掘るの?」
「気になるから」
「なにが?」
「なんか埋まってそうで」
「なによ、そのなにかって……」
さすがに不気味そうな顔をしている。
まあ、異様ではあるな。
いきなり木の根元を掘ったりして。
俺は溜め息をつき、彼女に向き直った。
「なんでもない。ちょっと気になっただけだ」
「なにそれ? 頭おかしいんじゃないの?」
「かもな」
きっと彼女はあの夢を見ていないのだ。
俺だけが見ている。
つまり、木の根元になにか埋まっているかも、というのは、俺の勝手な思い込み、というわけだ。
ズダーン、と、急に音がした。
意味が分からない。
いずれゴーストが現れるだろうと思っていた。
なのに、乾いた大地をぶち割って、地下からコンクリート製の建造物が「生えて」きたのだ。
五階建ての……これは病院だろうか?
いや、ホントに。
意味は?
ピンポンパンポーンと、まるで役所の古いスピーカーのような音質で、ゆがんだ音が響いてきた。
『ただいまをもちまして、無盡原総合病院がオープンいたしました』
事務的な女の声だ。
鬼司ではない。たぶん。
『オープンを記念いたしまして、当院では、たくさんのゴーストたちと無料で触れ合えるゴースト展を開催中です。どなた様もお誘い合わせの上、ご来院ください』
クソなのか?
ゴーストがそこにこもっているだけなら、こちらからわざわざ出向く必要はない。
引っかかるのはバカだけだ。
だが、三人ともそちらへ向かって歩き出した。
ホントに?
こいつら、自我というものを有してらっしゃらない?
「ちょっと待ってくれ。なんで行くんだよ?」
さすがにツッコミを入れてしまった。
振り返ったのは佐藤みずきだ。
「え、だって来いって言ってるし」
「悪い大人の誘いにホイホイ乗っちゃダメだぜ。あいつら、あそこにこもってるんだろ? だったら、ほっときゃいいじゃんかよ」
「それでなにか解決するの?」
「そのうち銅鑼が鳴って帰ってくぜ。余計な労働をしないで済む」
だが敵は、俺のようなヤツのことは想定済みだったらしい。
一本の錆びた槍が、ザンとすぐそばに降ってきた。
『なお、本日の天候は槍となっております』
ザン、ザン、ザン、と、追い込むように槍が降り注いできた。
もちろん俺たちは駆けた。
ほかに選択肢がなかった。
開け放たれたドアから、薄暗い病院内へ。
するとガシャーンとシャッターが降りて、出入口をふさがれてしまった。
「ほら見ろ。罠じゃないか」
俺がそう告げると、佐藤みずきはくいと顔をあげ、まるで見下ろすような表情を見せた。
「そう思うんなら、なんで来たの?」
「いや、それはさ……危なかったし……」
罠だなんてことは、みんな分かっているのだ。
はぁ。
久々に走ったせいで、呼吸が乱れた。
俺はウォータークーラーへ近づき、ペダルを踏んだ。するとゴボゴボと音を立て、血液のような赤黒い水が出てきた。
今回のテーマはホラーってワケだな。
急だったからちょっとチビりそうになったが、まあ、分かったからにはもう驚くこともあるまい。
「見ての通りだ。ここの水は飲まないほうがいい」
「……」
せっかく「仲間たち」に忠告してやったのに、そりゃそうだろという顔をされてしまった。
コミュニケーションというものは、かくも困難を極めるものなのだ。やはり俺は、この世界を好きになれそうもない。俺がコミュ障なんじゃなくて、世界が冷たいだけなんだから。もう少し優しくしてくれたら、そのときは考えを改めてやってもいいが。
俺はベンチのひとつに腰をおろした。
「で、プランは?」
「……」
反応ナシ。
いちおう忍者は院内のマップを確認している。妻子に逃げられはしたものの、きっと仕事はできる男なんだろう。
やる気満々の高橋さんが、鼻息を荒くした。
「二手に分かれよう」
「……」
それはたぶん、ホラー作品で一番やっちゃいけないパターンじゃないか。
敵に各個撃破される。
だが忍者が乗ってしまった。
「そうだな。この病院は東棟と西棟に分かれている。左右から攻め上がろう」
地図を見てそれしか思いつかないのか。
事故が起きる前に、俺は反論した。
「ダメだ。戦力を分散させるなんてバカげてる」
「怖いの?」
反論して来たのは佐藤みずき。
正直、俺はガッカリした。
怖かったらどうで、怖くなかったらどうだというのか。
「いいか? たとえば、誰かひとりにアクシデントがあったとしよう。そのとき二手に分かれていたら、もう一人はカバーに入るだけで手一杯だ。けど四人で行動していたら? 一人が負傷し、一人がカバーに入っても、残り二人が戦える。だいたい、俺たちの目的はなんだ? ゴーストの数を減らすことだ。この病院をくまなく探索することじゃない。リスクを最小限に抑えて行動することが、結果としてもっとも効率的になる。つまり、最大の戦力を維持したまま行動すべきってことだ」
俺の力説に対する佐藤みずきのリアクションはこうだ。
「めっちゃ早口で言うね」
もうこいつは、作戦の効率化ではなく、俺に反発するのがメインになってるな。
「おい、佐藤さんよ。そんなこと言うなら、俺よりマシなアイデア出してくれよ」
「なに? キレてるの? バカみたい」
そのバカよりマシなプランを出せって言ってるんだよ。
ま、余計な口論に発展するので口には出さないが。
ホラー作品でも、口論したところから糸がほつれてゆくものだ。
忍者はうなずいた。
「ヤツの言うことにも一理あるな」
二手に分かれるのもアリだけど、ちょっとはマシかも、みたいな言いぐさだ。
たぶん趣旨を理解してないな。
休日出勤ばかりできちんと休息をとらないから頭が回らなくなるのだ。
高橋さんは、しかし承服しかねるといった表情だ。
「怪我なんてしないでしょ。私、自信あるし」
ジャージ姿で、まるで部活でもやってるノリなのかもしれない。
じつに若いな。
ミスしたときのことを考えていない。
ま、内心、俺だって大丈夫だと思ってる。
荒野で戦ってるときだって、誰も怪我しない。ゴーストに触られたところで「死に近づく」だけだ。戦闘に支障は生じない。
だが、それは、あくまでいつもの話だ。
院内では、もしかしたらガラスを踏むかもしれない。
狭いのだから、後退した勢いで壁にぶつかるかもしれない。
転倒して頭を打つかもしれない。
あるわけないと思いがちなことでも、起こらないとは断言できない。
学生時代、同級生たちは、高所から飛び降りてはしゃいでいた。
自転車では危険な乗り方をした。
もちろん怪我をしない確率のほうが高かった。だが、なにかの拍子に怪我をすることもあった。そのせいで修学旅行に参加できなかったヤツもいた。
そのとき俺は思った。「ほらな」と。
高所から飛び降りることが、骨折のリスクに見合うのだろうか。
勇気を示すのは結構だが、リスクとリターンのバランスが明らかにおかしい。水場に飛び込むサル山のサルだ。
いわば動物が放し飼いになっているようなものだ。
ま、俺は俺で陰キャ呼ばわりされたが。
骨折するよりマシだろう。
だいたい、サルに嫌われたところで、こちらとしては人間性の証明にしかならない。
おっと学生時代の怒りがぶり返してしまった。
ともかくダメだ。
勇敢さは、必ずしもメリットではない。それどころかデメリットが上回るケースもある。いまがそうだ。
というようなことを、得意顔で高橋さんに説明していたら、彼女はますます意固地になってしまった。
「自分がやりたくないからって、私にまで押し付けないでよ! だったら自分はここで留守番してたらいいじゃん!」
「はぁ?」
「私、一人でも行くから。ぜんぜん平気だし」
この動物めが……。
すると佐藤みずきが、後ろからバンと肩を叩いてきた。
「さすがに気持ち悪すぎない? 相手、高校生だよ?」
過去の話をするときは感情を抑え込んでいるのに、いまは露骨に顔をしかめている。
「俺が高校のころは、この程度の話は理解できた」
「サイコパスだとは思ってたけど、ここまでなんて」
「サイコパスじゃない」
「じゃあアレよ、アレ。ロジハラ!」
高橋さんはスタスタ歩き始めてしまった。
忍者が「待て」と追い始めると、猛ダッシュで奥へ。
あっという間に二人とも行ってしまった。
「あー! もー! 置いてかれた!」
佐藤みずきの地団駄が出た。
むかし泣いてたときも、交互に足で地面を踏みつけていたっけ。俺はやったことがないが。意外とストレス発散になるのかもしれない。
「ロジハラでもない」
「ロジハラよ。女子高生相手にムキになって。結局、一人で行かせちゃったじゃない」
「事実を説明するのが罪なのか? イヤな時代だな」
「よくいるよね、自分を頭いいと思い込んでるバカなヤツって。自覚しなさいよ?」
ほう。
俺は軽く呼吸をし、感情を落ち着けた。
「分かった。俺がバカだってことは認めよう。だが、いちおう確認させてくれよな。もし君が俺よりバカだった場合、なんて呼んだらいい? バカよりバカなヤツを表現する言葉を知らない」
「なにそれ? カッコいいつもり?」
「どんなつもりでもいいだろ。内心の自由に踏み込むな」
「ま、なんとでも呼んだら? あなたがバカなことに変わりはないから」
「そうかよ」
ともあれ、結局、二手に分かれてしまったな。
俺のプランは失敗に終わったわけだ。
だが俺は俺を責めるつもりはない。言葉が通じなかった。
「あー、そうだな。じゃあ佐藤さんよ、このあとのプランを聞こうか。俺みたいなバカが考えるより、賢い君が考えたほうがいいだろう」
「いちいち嫌味ったらしい。あなた、モテないでしょ?」
「正解だ。友達もいない。さて、重要な事実を確認できたところで、いまの質問に対する答えを聞かせてくれ」
「うるさい。考えるから静かにして」
「……」
なにが幼馴染だ。
蹴り飛ばしてたのは俺が悪い。だが、こんな性格のひん曲がった女になるとは。いきなり代理殺人を依頼してくるしな。
彼女はしばし地図を眺め、それから天井を眺め、ついにはじっとこちらを凝視してきた。
「なぜ俺を見る?」
「きっとむかしのことを後悔して、私に協力したいと思ってるでしょ?」
「後悔はしてる。けど協力したいとまでは思えない」
「くっ……」
鼻にしわを寄せて、威嚇する犬みたいな顔になっている。
無表情女かと思っていたのに。
ちゃんと怒れるんじゃないか。
ふと、ジリリリリとけたたましいベルの音。
色褪せたピンクの公衆電話からだ。
このタイプの電話は、たしか廃止になったはず……。
そもそも地面から生えてきたくらいだし、俺たちの知ってるものとは違うんだろうけれど。
さて、問題だ。
電話を無視するべきだろうか。それとも出るべきだろうか。
もし出るとしたら、俺が出るのか、佐藤みずきが出るのか。
彼女は怯えて固まっている。
俺が勝手に判断するしかなさそうだ。
(続く)