ぺもんぬ
その後もゴーストとの戦いは続いた。
おかげで身体に倦怠感が蓄積している気がする。
悪い夢も見る。
自分がゴーストになり果て、無盡原をさまようのだ。
そこにはなにもない。
どこまでも広がるひび割れた大地、ただただ白いだけの空、遠方のかすかな地鳴り……。俺は枯れ木にしがみつき、なにかを求めて根元を掘ろうとする。しかし半透明の体は、土を掻くことさえできない。
あのときの俺は、いったいなにを探していたのだろう。
あの木の根元には、なにが埋まっていたのだろう。
考えるだけで憂鬱になる。
しかも考えるのは、だいたい会社の帰り。電車に揺られながら、ぼうっと窓ガラスを見つめているときだ。反射した自分の顔が、亡霊のように見える。
*
休日、佐藤みずきに呼び出された。
用件は教えてくれなかった。
ただ指定の場所へ来いとだけ。
閑散としたオフィス街。
一等地というわけでもないが、まあまあ値の張りそうな場所だ。駅も近い。
佐藤みずきは、初秋らしい涼しげなニットセーターを着ていた。細身のパンツスタイル。髪はいつものポニーテールだ。地味ではないが、目立ってもいない。あまり印象に残らないタイプ。
きっと今回みたいな再会がなかったら、街ですれ違っても気づかなかったろう。
「あのビル。長谷川さんを殺したヤツがオーナーやってるの」
彼女は来て早々、挨拶もナシにそんなことを言い出した。
俺もさすがに溜め息だ。
「やらないって言っただろ」
「でも、気が変わってやるかもしれない。だから場所だけ教えておこうと思って」
こっちは、もしかしたらデートかもしれないと思って、持ってる服の中でマシなのを着てきたのに。とはいえ、別にはしゃいでたワケじゃない。彼女を怒らせないよう配慮しただけだ。デートじゃないならそれでいい。
「長谷川さんってのが、例の?」
「死んだ子」
「仲よかったのか?」
「べつに」
要領を得ないな。
特に仲がいいわけでもないのに、カタキを討ちたいのか。
いや、もうひとつ可能性があるな。
俺に、手を汚させたいのだ。
「謝罪しろっていうなら、いつでも準備はあるぞ」
「やめて。そんなことされてもちっとも嬉しくないから。それより立ち話もなんだから、喫茶店にでも入ろ」
「ああ……」
入ったのは、先に払いを済ませるタイプのコーヒーショップだった。
せめて一杯くらいおごろうと思ってたのだが、彼女はさっさと自分の会計を済ませてしまった。
貸し借りを作りたくないということなのかもしれない。
日曜のオフィス街だけあって、客の数は少ない。
休日出勤らしいスーツ姿の会社員もいるにはいるが。
「私、ここのコーヒーあんまり好きじゃないんだよね」
「じゃあなんで入ったんだよ」
「近くにここしかなかったから」
「……」
意味が分からない。
行動が雑なだけか。
適当に行動しておいて、あとからブツクサ言うタイプかもしれない。
だが、俺はそういうのは嫌いじゃない。雑なタイプは、雑に遊ぶぶんには都合がいい。男友達ならなおさらだ。ゴチャゴチャ言ってる文句すら会話になる。
しかし、ひとつだけ問題があるとすれば、佐藤みずきという女が、俺にとってそういう相手ではないということだ。
俺はまずブラックのまま飲んだが、酸味がキツかったのでミルクを入れた。チェーン店なのにアクが強い。
ともあれコーヒーをすすった。
会話はない。
「えーと、例の長谷川さんってのは……」
コーヒーを半分くらい飲んだところで、俺はそう切り出した。
佐藤みずきは表情も変えずこちらを見る。俺の質問になんとも思っていないのか、それとも不快なのか、ちっとも分からない。
「高校のクラスメイト。卒業してすぐ死んだ。ほかになにが知りたいの?」
「たいして思い入れがあるように見えないから」
「復讐するのはおかしい? まあ、長谷川さんのためってよりは、ヤってた連中が気に食わないから。社会悪だよ。ああいうのは、少なければ少ないほどいい」
言葉の抑揚さえ変わらない。
もしかするとキレているのかもしれない。
ずっとキレっぱなしなのだ。
だからそれが日常になっている。
俺は直視できなくなり、景色を見るフリをして窓の外へ顔を向けた。
「その社会悪ってのには、俺も含まれてるのか?」
「……」
ちらと見た彼女の表情は、いつもと変わりがなかった。
だが、少し身を震わせた。
笑ったのだ。
「どう答えて欲しい?」
「イエスでもノーでもいい。好きに答えてくれ」
強がってはみたものの、うっすらとした恐怖を払拭できなかった。
肝試しのような空気感だ。亡霊にでもなでられている心地がする。
「ノーだよ。あなたのことは許してない。けど、そこまで怒ってるわけでもない。助けてもらったこともあったし」
「あったっけ?」
「よその地区の男子が私にちょっかいかけて来たとき、いきなりジャンプキックしてそいつら泣かせたでしょ?」
「俺ってそんなに粗暴だったっけ?」
「粗暴だったのよ」
人を見るたび蹴っていたことになるな。
それがいまでは、秩序がどうこうと偉そうに語っている。おかしな話だ。
彼女は肩をすくめた。
「いつも私のことオモチャにしてたくせに、他人にオモチャにされるのは気に食わなかったのね。なんかDV男みたいじゃない? いまもそうなの?」
「違うと思うけどな」
「じゃあ、変われたんだ? ま、ゴーストともまともに戦えないヘタレだもんね。すっかり丸くなっちゃった」
「時間ってのは、それだけ残酷ってことだよ」
あまり掘り下げて欲しくなかったので、俺は会話を打ち切った。
思えば、こうして過去を振り返るのは初めてかもしれない。
外はなんとも言えない空模様。
いつか降り出しそうで、なかなか降り出さない。
すると、スーツ姿のおじさんが、いきなり相席してきた。
ガラガラなのに。
「デート中か?」
ゴツい体をした、オールバックの男。
白髪混じりだが、眼光は鋭い。
カタギには見えない。
いや、正体は分かってる。声で分かった。
「もしかして、忍者の?」
俺の問いに、彼は静かにうなずいた。
まあそれはいいのだが。彼のトレイには、クリームたっぷりのフルーツサンドが並んでいた。見た目のイカツさからは想像できないが、甘党なのだろう。
佐藤みずきが、かすかに目を細めた。
「デートじゃありません」
さすがに不快だったようだな。
忍者はしかし気にしていない。
「ま、そうだろうな。雰囲気が最悪だった」
「私、帰ります」
おいおい。
佐藤みずきはしかし本当に席を立ち、トレイを持って行ってしまった。
まだ半分しかコーヒーを飲んでいないのに。
忍者は自分の責任など微塵も感じていないかのように、フルーツサンドをかじり始めた。
軽く地獄だ。
「えーと、ナニさんでしたっけ?」
「名乗るほどのものではない」
「お仕事ですか?」
「そうだ。この近くに勤務している」
「休日出勤? ちゃんと手当は出るんですか?」
「……」
黙り込んでしまった。
のみならず、フルーツサンドの手まで止まった。
聞いちゃいけない話だったようだな。
「ブラックじゃない企業ってないんですかねぇ」
「若いヤツがちゃんと選挙行かないからだろ」
「……」
俺たちのせいかよ。
この国では、若者より老人のほうが圧倒的に多いんだぞ。
とにかく、雰囲気は最悪だ。
これなら佐藤みずきと二人きりのほうがまだマシだった。
むかしは「一くん」「みずきちゃん」と呼び合う仲だった。まあ大人たちからそう呼ぶよう刷り込まれただけだが。
いまじゃ互いの苗字さえ滅多に呼ばない。
ふと、忍者の胸元にペンが差してあるのに気づいた。
ファンシーなキャラクターがついている。
「それ、なんです?」
「どれだ?」
「その、胸ポケットの」
「ぐぅ……」
指摘されて初めて気づいたのか、彼は渋い顔で別のポケットにしまい込んでしまった。
見られたくないブツだったのかもしれない。
だが、追及させてもらおう。
デートを邪魔したバツだ。
「ずいぶんかわいい趣味をお持ちなんですねぇ」
「これは娘の……なんでもいいだろ」
「へぇ、娘さんの」
指輪はしていないようだが、結婚して家庭まで持っているようだ。
なるほど、それなら無料で休日出勤するわけだな。家族サービスもせずに。
すると彼は、ぷるぷると身を震わせた。
怒ったのか?
いや、泣きそうに見えるな。
「これは……これはな……娘の好きだった……」
「ああ、いや、いいんです。すみません。ちょっと踏み込みすぎました」
ホントに泣きそうになってる。
もしかすると、娘さんを亡くされたのかもしれない。
はぁ。
ちょっとやり返しただけのつもりが、地雷を踏み抜くとは。
忍者はティッシュを取り出してズビーッと鼻をかみ、こうつぶやいた。
「ぺもんぬだ」
「ぺも……?」
「ぺもんぬ。そういうマスコットなんだ」
「ぺもんぬ……」
そこはかとなくイラつく名前だ。
ヤクチューよりはマシだと思うけど。
すると、俺が深入りしないようにしているのに、彼はペンを取り出し、あろうことかテーブルに置いた。ぺもんぬは、ネコとまんじゅうを合体させたようなビジュアルだった。
「むかし、娘がこいつを好きでな。あんまりこいつばっかり可愛がるもんだから、『お父さんのほうがかわいいだろ』って言ってやったんだ。もちろん冗談だぞ。なのに、娘は泣き出してな……」
「へ、へぇ……」
「『お父さんがおかしくなった』って妻に泣きついて……」
「そんなことが……」
誰か助けて!
とにかく話題を変えなくては。
「じゃあ、いまは奥さんと二人で?」
「一人だ」
「えっ?」
「いろいろあって、二人とも出て行った。だが、後悔はしていない。お前も後悔のないよう生きろ。俺に言えるのはそれだけだ」
こいつ、よくもそんなことが言える……。
明らかに後悔してる態度だぞ。
ともあれ、娘さんは亡くなったわけではないようだ。
まあ休日のたびに忍者装束になってるような男だ。妻子も逃げ出したくなるだろう。
彼はペンをしまうとき、また過去を思い出したのか、急に涙ぐんだ。そしてティッシュでズビーと鼻をかむ。
このまま話に付き合っていたら、しまいにゃギャン泣きしそうだ。切り上げたほうがいい。お互いのためにも。
「あ、俺、そろそろ行くんで」
「そうか」
「また無盡原で」
「ああ。またな」
こんな忍者が既婚者で、しかも家庭まで持っていたとは……。
こっちは彼女さえいないってのに。
いや、仮に結婚できたとして、家庭を維持するのはさらなる困難を極めるのだろう。
もはや「普通の家庭」などというものは、幻想の中にしか存在しないのだ。
この国の未来が不安になる。
いや、いい。
社会がどうなろうが知ったことじゃない。
俺はべつにこの世界を愛していない。
世界だって俺のことは愛さないだろう。
あるようにあれ、だ。関与したくない。
(続く)