1パーセント
「ナミさんよ、なにか策はあるか?」
「凍らせて逃げるとか?」
まあそうなる。
だがもし彼女の術を応用できるなら……。
「また建物を用意して、その中に避難できないか? その上で槍を降らせれば、たぶん倒せると思うんだが」
「知ってた? あの建物の壁、すっごくもろいんだよ? それに、槍はただの幻覚。あんなにいっぱい攻撃できるわけないじゃん」
「……」
幻覚?
俺たちはそんなものを真に受けて、あの建物に誘導されてたってのか。
クソ、聞くんじゃなかった。
ともあれ、ナミは「かしこみかしこみ」と御幣を振り回した。
悪意の動きがぴたりと止まった。足の先端が凍り付いていることに気づいたのだ。だが、悪意は強引に動き出した。凍り付いた部分がもげたが、その切断面からすぐに足が再生した。
「ムリみたい」
ナミもお手上げだ。
なにかないのか。
血を中和するような……化学的ななにか。呪術的ななにかでもいい。とにかく「なにか」だ。俺たちにはそれが必要だ。
咎人が攻撃を継続しているが、どれも骨折り損に終わった。
ノーダメージ。
疲労だけが蓄積してゆく。
刺客どもめ、とんでもない手土産を残していきやがって。
同胞の血をぶちまけてまで悪意をけしかけてくるなんて。
ふと、悪意の身体が真っ二つに裂けた。
強烈な衝撃波だ。
そいつは敵を切り裂いただけでなく、こっちにまで襲い掛かってきた。
「あぶねっ」
ギリギリで回避できたが、危うく俺まで裂かれるところだった。
鬼司だ。
彼女はゆっくりと歩を進めてきた。
「旦那さま、ご無事ですか?」
「ああ、なんとかな」
次からは、敵の向こう側に誰がいるのか、きちんと確認してからにして欲しいものだが。
わざとじゃないよな?
彼女はすんすんと鼻を鳴らした。
「これは毒花のにおい……」
「敵の刺客がバラまいたんだ。おかげでこのザマだ」
両断されて血に伏した悪意は、その切断面から未練たらしく血液を伸ばし、互いに引きあって結合しようとしていた。
イヤになるほどの無敵ぶりだ。
二体に分裂しなかっただけマシか。
ナミは顔をしかめた。
「お歯黒、なにか策はないの?」
「この場は私が引き受けますので、皆さまはお帰りください」
「却下。そんなの策とは呼べない」
その通りだ。
自分の妻を置き去りにして逃げるなんて、ダサすぎる。死んでもごめんだ。
ナミは溜め息をついた。
「じゃあさ、使っていい?」
鬼司はしかしきょとんとしている。
「なにを?」
「志許売。四人とも使う。じゃないとムリだから」
「……」
たしか鬼司の姉もいるんだったな。
体を結合させた悪意は、ゆっくりと起き上がろうとしていた。
「分かりました。許可します」
「じゃあ呼ぶよ!」
ザン、ザン、と、地面から四つの柱が突き出した。
それぞれがスピンして、花びらを広げてゆく。
悪意も、状況の変化に気づいたらしい。
顔をあげて、キョロキョロと遠方を確認し始めた。
その背へ、まずは一体目の志許売が襲い掛かった。脇から二体目。首筋へ三体目。足へ四体目。しかし泥の身体だ。すぐにびちゃびちゃになって、再生してしまう。
だが志許売はお構いなしだ。噛みついて泥を食らい、再生しては食らい、引き千切ってはまた食らった。
地獄にふさわしい光景だ。
だが、すぐに異変が起きた。
泥を食い続けた志許売の腹が、みるみる膨らんできたのだ。
「待って! みんな食べるのやめて!」
ナミが慌てて止めに入るが、もう遅かった。
腹の内部で泥が暴れ出し、志許売を苦しめた。その暴れぶりは一通りではなかった。内側から敵を突き破ろうという、殺意に満ちた攻撃。
そしてついに――。
断末魔とともに、志許売の腹が爆ぜた。
一体、二体、三体、四体――。
腹を突き破った泥は、みちみちと動き出し、またひとつの塊に戻ろうとしていた。
鬼司は、なんとも言えない表情で息を吐いていた。
姉の無残な姿を目の当たりにしたのだ。
言葉もなかろう。
いや、姉だけではない。他の志許売も、かつてはともに働いていた仲間だったはず。
ナミも目に涙を浮かべていた。
「ウソだ、こんなの……」
ただの道具、というわけではなかったようだな。
再生中の悪意を、高橋真理が拳で木っ端微塵にした。
まだ諦めていない。
「みんなは逃げて! あいつは私が倒すから!」
彼女はまだ状況を理解していないのか?
俺は思わず反論してしまった。
「ムリだ! 無茶はよせ!」
「うるさい! 私は正義のヒーローなんだ! 絶対に逃げたりしない!」
「ヒーローにだって、不可能なことはあるだろう」
「冬木さん、本気でなにかしようと思ったことある? 私はあるよ。世界を救うんだ。本気じゃない人間が、私を止めようとしないで!」
こいつ……。
だが、反論できなかった。
彼女は本気だ。
意固地になってるだけかもしれないが、それでも本気は本気だ。
止めようと思うなら、それ以上のエネルギーが要る。
するとなぜか、佐藤みずきが刀を構えた。
「面白いわね。本気だって。そう。冬木さんって、ちっとも本気じゃないんだよね。私は本気なのにさ」
「君までなに言い出すんだ……」
「どうせ死ぬならさ、堂々と戦って死のうよ? 『仲間』なんだよね?」
「待ってくれ。ヤケクソで特攻するな。ギリギリまで頭を使って考えれば……」
「その間に日が暮れるわ。いいえ、世界が終わるわね。あなたはそのときまで、ずっと考えていればいい。その賢いおつむでね」
「……」
どうして、どいつもこいつも……。
再生中の悪意が、また真っ二つに裂けた。
鬼司の斬撃だ。
無表情。
無言。
だが、間違いなくキレていた。
みんな戦って死ぬ気だ。
クソ。
ここで彼女たちを囮にすれば、俺は逃げ切れるだろう。
だが、それは俺のプランじゃない。
みんなで生きて帰るんだ。
俺はめんどくさい男かもしれないが、自分のことだけ考えてるわけじゃない。自分のことだけ考えるのはヤメたんだ。
なにも思いつかないときの策はひとつ。
時間稼ぎだ!
「ナミさん、また凍らせてくれるか?」
「できるけど、なにか意味あるの?」
「時間を稼ぐんだ」
「稼いでどうなるの?」
「なにかが起きる!」
あがくんだ。
そして脳が焼き切れるほど考えるんだ。
なにかある。
無茶に戦って死んだら、その時点で終わる。
可能な限り結論を引き延ばして、なにか事故が起きるのを待つんだ。
そう。
古人の体験を参照しよう。
歴史だ。
地震や豪雨、日蝕などで、戦況に変化が起きた例はある。
生存率が1パーセントしかなくたって、それを2パーセントにすることはできるかもしれない。
どうせ死ぬにしても、簡単にあきらめちゃダメだ。
もし必要なら、神だろうが仏だろうが鬼だろうが、なんにだって祈ってやる。
ナミはうなずいた。
「ムダだとは思うけど」
とはいえ、術で泥を凍らせてくれた。
もちろん数秒ともたない。
悪意の身体は、うんざりするほど簡単に再生してしまう。
ナミは哀しそうな顔でこっちを見た。
「ね、もう諦めなよ。あたし、ここに残るからさ。あんたとお歯黒ババア、二人だけでも逃げたら? あたしら独り身だからいいけど、あんたらは違うでしょ?」
「断る。俺は全員で帰る予定でいる。それ以外の提案は受け入れない」
「バカじゃないの?」
そうだ。
バカだ。
なにも思いつかないんだからな。
咎人も、鬼司も、勢いでは悪意を圧倒している。
だが、消耗しているのは悪意のほうではない。
「はぁ、クソ、なんで死なねーんだこいつ」
林田雷火も、肩で息をしていた。
そろそろ限界かもしれない。
「ナミさん、頼む。もっと凍らせてくれ」
「はいはい。もう好きにしなよ」
苦情を言いつつも、俺の話を聞いてくれる。
生きて帰ったら、きちんと礼をしなくてはな。
さて、できるだけ集中して策を練りたいところだが、謎の騒音が邪魔していた。
なにかドタドタと重たい音がする。
「誰だようるせーな」
振り向くと、遠くでクソデカい牛が車を引いていた。
それがまっすぐこちらへ近づいてくる。
マッスル・バッファロー号か?
なぜ無盡原に?
牛車は凄まじい勢いで通り過ぎたが、先導師はふわりと飛び降り、見事に着地した。
並の老人の動きではない。
「待たせたの」
「……」
誰か呼んだのか?
なにかしてくれるのか?
「嬉しすぎて言葉もないか。そうじゃろそうじゃろ。ま、詳しい話はあとじゃ。この薬を使うがよい」
小さな竹筒を見せてきた。
いったいなんの薬だ?
ドーピングして戦うのか?
「なんの薬です?」
「毒じゃよ。こうして使うのじゃ」
すると寒屋は、ヒュンとバックハンドで竹筒を投げた。そいつはまっすぐ悪意に命中し、内部へめり込んでいった。
悪意の動きが止まった。
まるで正気を取り戻したかのように。
かと思うと、虚空を見つめたままの身体が、少しずつ、ドロドロと崩れていった。
赤々としていた色も、急速にくすみ、どす黒くなっていった。
ただの泥だ。
それが、うずたかく積みあがった。
勝った……のか?
「ふむ。お試し品じゃったが、効いたようじゃの。古馴染の薬師がの、『人を殺すならこれじゃ』と言うてよこしてきおったものじゃ。血が血でなくなる」
老人は得意顔で語り始めた。
「助かりました。けど、なぜ……」
「古物商を名乗る畜生から依頼があったのじゃ。なにか手はないかと。先に言っとくが、黄泉国にも通信機器はあるからの。わしらの国も高度情報化社会なのじゃ」
たま子が裏で手を回してくれたのか。
そもそも彼女の依頼とはいえ、いちおう助けられたな。
牛が戻ってきて、老人の脇に止まった。
「ともあれ、この薬が効くのは確認できたな。わしはもう行くぞい。これを量産して、悪意対策のグッズとして売り出すのじゃ。まったく、ふところが暖かくなってしまうのぅ」
そして屋形に乗り込み、行ってしまった。
他力本願ではあったが、時間を引き延ばした甲斐はあった。
ときには亀のように耐えるのも手というわけだ。
ナミが溜め息をついた。
「なに? これもあんたの計算通りってこと?」
「まさか。1パーセントの奇跡にかけたら、たまたま当たったんだ。きっと日頃の行いがよかったんだろ」
この世界はクソだが、クソなりに見所がある。
少しは肯定してやってもいい。
鬼司は、志許売の遺体をじっと見つめていた。
一言では表せないような、複雑な思いを抱いているのだろう。
「埋葬しようか?」
俺の提案に、彼女はしかしかぶりを振った。
「このままにしておきましょう。無盡原は、そういう場所です」
哀しげな横顔。
けれども、どこかほっとしているようにも見えた。
(続く)