花
地面から生えてきたのはコンクリート建造物。
市役所?
病院?
いや警察署か……?
看板には「一号特別福祉施設」とだけある。
林田雷火が舌打ちした。
「あたしらの家だ。行くよ」
意外な人選だな。
俺は歩を進めつつ、ナミに尋ねた。
「ここは彼女の? けど大丈夫なのか? 咎人は核を有していないとかいう話だったが……」
しかし彼女はあきれ顔だ。
「人間、細かいことを気にするのね。平気よ。これは昨日のマンションと同じで、ただ記憶を具現化させただけのものだから。ここに現れる核は、外から誘い込まれた個体」
「外から? じゃあ普段のは?」
「個人の内側から。なにか疑問?」
「いいや」
つまり俺たちに取引を求めてきたあの赤黒い塊は、俺たち自身の悪意だったということだ。
誰もが悪意を内包している。
*
俺たちはまず、エントランスのベンチに腰をおろした。
施設には、いたるところに鉄格子がはめ込まれていた。
誰も脱出できないようになっている。
ナミがアナウンスを始めた。
『咎人の二人、聞いてるぅー!? あんたらの家を用意したから、帰ってきてー!』
洗練されたスピーチとは言いがたいな。
しかし重要なのは、ここが集合場所であるという事実だ。
聞こえてたら集まって来るだろう。
林田雷火が顔をしかめながら立ち上がった。
「じゃ、あたしは悪意のヤローぶっ殺してくんね」
「手伝おうか?」
俺も立ち上がった。
彼女はまだ少しフラついているように見える。
「一人でできるって。無抵抗のヤツが相手なんだから」
「なにかあったらすぐ呼んでくれ」
「はぁ? 頼りになるのかよ」
軽口を叩いたものの、彼女は笑みを見せてくれた。
彼女が行くと、もう、ほかにすべきことはなくなった。
ただ待つだけ。
気持ちが焦れる。
もしこのまま、誰も戻って来なかったら……。
プルルと電話が鳴った。
ここのは古めかしい電話機ではなく、現在普及している機種のようだ。
俺は受付カウンターへ向かい、受話器をとった。
「はい、冬木」
『たま子じゃ。おぬしら、刺客に囲まれとるぞ』
「数は?」
『十二名』
これまで遭遇してきた敵の二倍。
今度という今度こそ死ぬかもしれないな。
「なにかアドバイスは?」
『鬼司が向かった。それまで持ちこたえてくれ』
「了解」
俺の知る限り、一番強い女が加勢に来るということだ。
これで絶望するのは贅沢ってものだ。
受話器を置き、俺は『仲間』たちへ伝えた。
「敵の刺客がここを囲んでる。十二名。鬼司が助けに来るそうだが……まあ、それまでなんとか持ちこたえよう」
返事はなかった。
佐藤みずきは憔悴してゲッソリしていたし、ナミもお手上げとばかりに苦笑している。
やるしかない。
六名の敵でもギリギリ。
なのに今度は十二名。
シャッターをおろして立てこもる手もある。
しかし敵の身体能力なら、上階からでも入り込んでくるだろう。鉄格子も役に立つかどうか分からない。
この場合、閉所での戦闘となる。
うーむ。
通路へ誘導すれば、敵は横に広がれない。せいぜい二列。こちらも二人で当たれば、実質一対一での戦闘に持ち込める。
だが、そううまくいくだろうか。
こちらが一人でも崩されたら、その瞬間になにもかも終わる。
林田雷火が戻ってきた。
「なあ、あいつ妙なこと言ってたんだけど」
「妙なこと?」
「『花を咲かせよ』って。でもワケ分かんねーから、うるせぇってぶっ殺しちゃった。べつにいいよな?」
「問題ない。完璧だ」
どうせ意味不明なのだ。会話するだけエネルギーのムダだろう。
「ところで、外に刺客がいるらしい。用心してくれ」
俺がそう告げると、彼女は顔をしかめた。
「マジかよ。さすがのあたしも死ぬかもしんねーな……」
「ご希望なら命の玉を使うよ」
「余計なお世話。死ぬのは一回でじゅーぶんだ。それより、あんたは自分の心配してなよ。あんたが死んだら、姐さん哀しむだろ」
「……」
一理ある。
さて、どう来る?
こっちはまったく策がない……。
ふと、人影が突っ込んできた。
追えないほど速い。
そいつはガーンとエントランスに入ってきて、そのまま壁に激突。ピクリともしなくなった。
敵の刺客だ。
自爆攻撃か?
それにしてはムダ死ににしか見えないが。
外が騒がしくなった。
「人の世のものか!?」
「咎人だ! 気を抜くな!」
咎人?
俺は刀を手に、外へ飛び出した。
「二人が帰ってきたぞ! 俺たちも加勢する!」
刺客の数は十一名。
対峙しているのは高橋真理。ジャージのあちこちが切れて、ボロボロになっている。
パンドロの姿は、ない。
「ナミさん、頼む」
「オーケー」
術で身体に力が増した。
大地を蹴る足に強い力がこもる。
急速に流れる景色。
制御しきれないほどの加速。
俺は手近な一体に斬りつけた。火花、そしてギャンと鈍い音。敵の刀が折れて、キラキラと輝くのが見えた。俺は力をこめる。相手が身を引こうとするより速く、胴体を斬り裂く。鮮血。
佐藤みずきと林田雷火も来た。
どちらも術で身体能力を強化されており、特に咎人の動きは尋常ではなかった。
溶けたバターのように残像を残して空間を滑ってゆく。
刺客は血走った目を見開き、刀を構えようとするが、あらゆる隙をつかれてズタズタに斬り裂かれてしまう。きっと己の死を認識するより先に、身体を失っていることだろう。
高橋真理は打撃での戦闘。
ふところ深くもぐりこみ、強烈な一撃。刺客は刀を構えることさえできず、バーンと弾かれて大地を転がった。
勝敗は一瞬で決した。
最後の刺客は手足を失い、虫の息のままこちらを睨みつけていた。
林田雷火が、その顔面のすぐ脇へ刀を突き立てる。
「なんであたしらをつけ狙うんだ? 理由を言いな」
「知れたこと。無盡原の戦いが終われば、汝らは必ずや黄泉国に目をつける。その前に、我らの手で葬り去ってやるのよ」
すると林田雷火はふんと笑った。
「おもれージョークだな。そんなことして、あたしらになんの得があるんだよ?」
「汝のような下賤には分かるまい。すべては御神託の仰せのままに」
「下賤、ね。いいじゃん。あたしにピッタリの言葉だ。気に入ったよ。一撃で殺してやる」
「がッ」
バキリと骨を砕き、刃が心臓を貫いた。
ま、当然の流れだな。
しかし困ったことになった。
書状を渡したのに、なおも攻撃してくるとは。連中、すでに戦争状態に入った気でいるのかもしれない。つまり無盡原は、いわれなき攻撃を受けていることになる。外交問題だ。
俺はそして向きを変えた。
「高橋さん、もう一人は?」
この問いに、彼女は暗い目でこう応じた。
「私をかばって死んだ」
「そうか……」
「遺言があるの。命の玉で生き返らせないで欲しいってことと……。あとは、ちゃんと選挙に行こうってこと……」
「分かった」
彼らしい言葉だ。
さっき林田雷花が言った通り、死ぬのは一回でじゅうぶんということだろう。
高橋さんは拳を握りしめ、ぶるぶると震わせた。
「私がもっと強かったら……」
一理ある。
だが、一理はあくまで一理だ。
たぶんこれは、個体の強さではなく、もっと別種のエネルギーを使わなければ解決できない。
すなわち政治力。
頭を使って黄泉国と交渉せねばならなかったのだ。
俺たちは、あまりに無邪気だった。
無盡原のことしか考えていなかった。
彼らにしてみれば、無盡原の戦いは、穢れた地で下賤どもが争っているようにしか見えなかっただろう。その下賤の戦いが終わったあと、どうなるか。黄泉国の人たちの懸念を、俺たちは想像さえしなかった。
もっとも、そこまで配慮してやる必要があるかは疑問だが。
配慮しなかったからこうなったのも事実。
事情通のたま子あたりは、なにか察していてもよさそうなものだが。
あるいは気づいていて黙っていたか。
*
しばらく進むと、また刺客が現れた。
が、これまでと様子が違う。
行く手を阻むのはたったの一名。
刀も抜かず、巨大な樽に腰をおろし、和紙の向こうからじっとこちらを見ていた。
「待っておったぞ、無盡原の下賤ども。我は……そうさな、『憂国の志士』とでも名乗っておこう。この樽は、戦いで命を落とした同志たちの血で満たされておる。その血をもって悪意を呼び起こし、汝らには死んでもらうとしよう」
正気か?
そんなことをしたら、自分だって……。
こちらが行動を起こすより先に、男が動いた。
「いざさらば」
バァンと男の体が爆ぜた。
爆弾でも仕込んでいたのだろう。
樽も割れ、周囲におびただしい量の血液をまき散らした。
血を吸った木々が、次々と花を咲かせてゆく。
「さっき核を破壊したばかりだよな? だから安全なんじゃ……」
俺はそう言いかけた。
安全だと思い込みたかった。
しかしナミは顔をしかめ、すんすんとにおいをかいだ。
「マズいよこれ。黄泉国で儀式に使う毒花のにおいだ」
「なにが起こるんだ?」
「神経を興奮させる。ちょっと吸うくらいなら平気だけど、もし体内に取り込んだら、狂暴化して手が付けられなくなるよ」
つまりこの血液を吸収した悪意は、いつもの悠長な動きではなく、もっと積極的に俺たちを殺そうとするかもしれない。
血だまりが広がってきた。
あきらかに地下から湧き出している。
逃げたほうがいい。
だが、俺たちに判断の時間は与えられなかった。
波を蹴立てて、ざばと泥人形が飛び出してきたのだ。そいつは完全に池から出て、興奮気味に呼吸をし、俺たちを凝視していた。
真っ赤な口が開いた。
出てくるのは言葉じゃない。
俺はとっさに横へ回避。
すると槍のような血液が飛んできて、大地をえぐった。
「咲いた……咲いた……」
悪意は嬉しそうにつぶやいている。
おめでたいことに、こいつにしか見えない花が咲いたのであろう。
きっと満足だろうな。
ヤツは血が欲しかっただけなのだ。
特に今回、例年より多くの血がぶちまけられた。
高橋真理が動いた。
爆発的な加速から繰り出される弾丸のような飛び蹴り。
悪意の頭部が、パァンと弾け飛んだ。
が、彼女が着地するころには、すでにその頭部は回復し切っていた。
「咲いた……咲いた……」
俺たちを絶望させるには十分だった。
攻撃したところでダメージなど与えられない。
与えたように見えても、すぐに回復してしまう。
つまりは、勝てない。
(続く)