弱い男
ブラック企業の従業員として日々を送っていると、またしても無盡原へ招集された。
不毛の社会から、不毛の大地へ。
本当に、殺し合い以外に用途のなさそうな場所だ。
メンバーはいつもの四人。
俺が刀を手に前へ出ると、「仲間たち」はぎょっとした顔になった。
異物でも混入したような顔だ。
「なに? やるの?」
まだ十代の学生であろう高橋さんが、厳しい目を向けてきた。
ショートヘアの快活そうな少女。
いつもサボっている俺に、最初のころはよくブチギレていた。鬼司に「別の人に変えてください!」と迫ってもいたっけ。
「やるよ。方針を変えたんだ」
「いいけど、私の邪魔しないでくださいね」
「努力する」
忍者のおじさんはなにも言ってこなかった。
余計なことを言って機嫌を損ねたくない、といったところか。もしかすると、会社では部下を持つ上司なのかもしれない。
佐藤みずきは勝ち誇った表情。
かつて自分をいじめていた男を、強制的に働かせることに成功したのだ。少しは気も晴れたろう。
軽く刀を振り上げてみたが、まあまあ振り回せそうだ。あとはゴーストの動きを観察しつつ、注意深く動くこと。幸い、敵の動きは俊敏ではない。囲まれなければ問題なかろう。
遠方からゴーストどもがわらわらと近づいてきた。
足音はない。
大地を踏みしめてさえいないのだろう。
のたのたと、後ろからせっつかれるようにこちらへ迫っている。
もしかして、ゴーストたちも本意ではないのでは?
後ろにいるヤバい連中が、彼らをけしかけているのかもしれない。
俺たちで言うところの鬼司みたいなヤツが。
「来るよ!」
高橋さんの声は少し震えていた。
戦い慣れているのかと思いきや、意外と緊張しているらしい。
触れられれば死に近づく。
寿命が削られるのだったか。
もちろん怖い。
体の奥深くに長時間潜られると、命を食い散らかされる。しかし軽く触れられた程度なら、数日の摩耗で済むという話を聞いた。
俺はこういうとき、神に祈ることにしている。
神を信じるかどうかは重要じゃない。
人間、窮地に陥ると、必ず神に祈り始める。だから先に祈りを済ませておくのだ。そうすれば、ピンチの状況でムダなことをしないで済む。
とはいえ、これといった神は信じていないから、どんな神に祈りを捧げればいいものやら。
ま、ご先祖にでも祈っておくか。
俺が祈りを捧げていると、佐藤みずきがふっと鼻で笑った。
「信心深いんだ?」
「もっと派手に笑っていいぜ。ただのルーティーンだからな」
「なにか意味あるの?」
「あるんだよ」
説明してやる義理はない。
高橋さんが駆け出した。
忍者が追走。
俺も走った。
仲間を斬るとマズいから、やや離れたポジションへ。
一撃目は空振り。
怖がって距離をとりすぎてしまった。そして体勢を崩したところへ、一体のゴーストが手を伸ばしてきた。
体がざわついて、肌が粟立った。
反射的に身を引いたおかげで助かったが、あと少しで接触するところだった。
俺は思わず、必要以上に距離をとった。
というか逃げた。
とんでもないプレッシャーだ。
ナメていた。
いまさらに恐怖が来た。
いや嫌悪かもしれない。
虫の群れに遭遇してしまったときのような、無条件の戦慄。
高橋さんは戦っている。
忍者も。
佐藤みずきも。
戦えていないのは俺だけ。
みんな、こんな思いでゴーストに立ち向かっていたのか……。
参加したいと思うのに、足が動かない。
踏み出せない。
それどころか、ゴーストが近づいてくると、俺の意思などおかまいなしに後退を始めてしまった。自分の体なのに、自分でコントロールできない。頭が混乱する。
信じたくなかった。
自分がこんなにダメなのだとは……。
いつの間にか側面に回っていたゴーストが、ぬっと手を伸ばしてきた。
俺は思わず飛びのいて、メチャクチャに刀を振り回した。だが、誰にも当たらない。ゴーストはさらに近づいてくる。
ふと、なにかが駆け抜けた。
佐藤みずきだ。
刀を水平に構え、俺を狙っていたゴーストの胴体を両断したのだ。
裂かれたゴーストは霧散して消滅。
「こんなに弱い男だったんだ」
「……」
佐藤みずきの捨てゼリフに、俺は反論できなかった。
なぜなら、俺自身が思っていたことだからだ。
こんなに弱い男だったんだ、と。
佐藤みずきは行ってしまった。
俺はひとり、この荒涼とした大地を眺めながら、呼吸を繰り返した。
怖い夢を見た直後のように、心臓がドキドキする。
だが、落ち着いてきた。
落ち着いてきて、次第に腹が立ってきた。
「なにやってんだ、俺……」
べつに、暴力的に優れているほうが優秀だとか言うつもりはない。
そんなことを言い出したら、ゴリラのほうが人間より偉くなってしまう。
だが、そういう問題じゃない。
やればできると思っていたことが、できなかったのだ。
このままでは、俺は俺を納得させることさえできなくなってしまう。それは真の敗北を意味する。
コスモスではなくカオス。ジ・オーダーでもない。思想信条の上でも敗北を喫する。
寿命なんかどうでもいいはずだろう。
俺は長生きしたくない。
だから、これに恐怖を感じるのはおかしな話だ。
動かない足に拳を叩き込んだ。
くだらないことでビビりやがって、クソポンコツが。
ちゃんと痛い。感覚がある。あとは動かせばいいだけだ。
呼吸の間隔を長めにとり、気持ちを落ち着けた。
チャレンジしたおかげで、自分のクソダサさに気づくことができた。
これまでの俺は、理屈ばっかりでひとつも動きやしなかった。だからいつまで経ってもなにもできない。
そんな自分にはオサラバだ。
自分のバカらしさに気づいたおかげで、急速にリラックスできた。脱力とも言う。
この命にはたいした価値なんてないんだ。死んだって構やしないだろう。
佐藤みずきにバカにされたのも納得いかなかった。
あんな言い方しやがって。
俺の本気を見せてやる。
敵は腐るほどいる。
どいつから斬ってもいい。
俺は刀を構え、ゆっくりと駆け出した。
そのまま敵陣へ踏み込み、手近なヤツから斬る。
手ごたえはない。
だが、一体が霧散した。
触れられようが知ったこっちゃない。
全員あの世へ送り返してやる。
前しか見ない。
斬れそうなヤツから斬った。
刀を振り回すと、ゴーストは即座に霧散する。
だからさらに踏み込んで斬る。後ろに気配があれば振り向きざまに斬る。焦らずちゃんと確認すれば、どこをどう斬ればいいのか、ある程度は分かる。
たびたび体におぞましい感覚がくるから、きっと触れられているのだろう。だがいい。奪われた以上のものを、奪えばいい。それで俺は納得する。
*
銅鑼の音が響いた。
ゴーストどもは無防備に撤退。
俺はその背後へ斬りつけた。
ボーナスタイムだ。一方的に殺せる。
「もういい! 戻れ!」
忍者が喚いているが、聞くつもりはない。
ここでいっぱいぶち殺しておけば、次はもっと楽になる。
こんな簡単なことも分からないとは、あきれたものだ。
ゴーストたちは次々霧散してゆく。
俺はさらに追い込む。
力はいらない。ただ刃を当てればいい。そのぶん全身運動になるから疲れるが、この疲労はむしろ心地のいいものだった。
「まだだ! 逃げるなよ!」
気持ちいいくらい簡単に殺せる。
刀を振れば、振っただけ散ってゆく。
だんだん楽しくなってきた。
単純作業というものは、ハマるとやめられなくなるものだ。
そして興奮して刀を振り上げたそのとき、俺は自分の体からなにかが突き出しているのを見た。
刀だ。
まさか振り上げすぎて、自分の背中を貫いてしまった……のか?
いや、腕はそんなふうには曲がらないはずだが……。
「冬木さん、もう帰る時間なんだけど」
後ろから佐藤みずき。
まさか、俺を刺したのか?
ズルッと刀が抜けた。
痛みはない。
麻痺しているだけだろうか?
出血もない。
「驚いた? これ、人は傷つかない刀なの」
「えっ? はっ? はい?」
俺は自分の腹に空いたはずの穴を探すのに必死だった。
人は傷つかない?
たしかにノーダメージの気がする。
佐藤みずきは、刀で自分の腕を切り落とす動作をした。刃はしかし腕を傷つけず、ズルリと通り抜けるだけ。
「ね? 分かった? もう帰るから」
「あ、ああ……」
じゃあナニか?
この女、俺をハメたのか?
*
食事は進まなかった。
内臓がざわざわして、胃が受け付けなかったのだ。
味噌汁でさえくどい。
到底酒を飲む気分ではなかった。
沐浴を終えると、まだ髪の濡れたままの佐藤みずきが近づいてきた。
「初めてにしてはまあまあだったかな。今後も逃げないで戦ってね、冬木さん」
「分かったよ」
賭けは俺の完敗だ。
戦いには参加するしかない。
ただし、このバカげた仕組みに納得したわけじゃない。
裏があるなら暴かせてもらう。そういう趣味だからな。ほかに生き甲斐もない。
「けど、なんで追っちゃいけなかったんだ? 追撃のチャンスだったのに」
俺がそうぼやくと、彼女は露骨に顔をしかめた。
「知らないの? ゴーストたちは幽世に帰るんだよ? あのままついて行ったら、あの世行きなんだから」
「ゲートなんてなかったけど」
「空間そのものが変異するって……。ホントに知らないの? 前に説明あったと思うけど」
「すまん。記憶にない」
どうせ参加しないからと思い、適当に聞き流した可能性がある。
佐藤みずきもこれには苦笑いだ。
*
組織の車で自宅まで送ってもらった。
夕暮れの街が流れてゆく。
俺たちが守った景色、ということになるのか。
だが、そんな感慨はほとんどなかった。
俺は俺のためにしか戦っていない。他人の事情なんてどうでもいい。
鬼司――。
あの女は絶対になにかを企んでいる。
人間を一瞬で殺せるほど強いのなら、自分で戦えばいい。たった四人の素人を戦場に放り込むより、よほど戦果を出るだろう。
それに、彼女は人間のことなどどうでもいいと思っている。人間界を救う動機がない。
きっと目的はほかのところにある。
いつか口を割ってやる。
(続く)