異邦へ
もはや危険はない。
そう思い込んでいた俺たちの前に、数名の男たちが立ちふさがった。
平安時代みたいな服。顔へ垂らした和紙には謎の記号。
黄泉国の連中だ。
「ようこそ参られた、鬼司の手のものよ。我ら役所より参ったもの。書状をあずかろう」
様子がおかしかった。
どいつもこいつも刀を有している。まあそれは正装かもしれないのでいいとして。雰囲気が異様にピリついていた。書状を受け取ろうとした男だけが前へ出て、他の五名は半円状に整列し、俺たちを取り囲もうとしている。
たま子の話では、今回の和議を快く思わぬ一派もいるという。
無盡原での争いが終われば、次は黄泉国へ攻め込んでくるのでは、などと危惧するパラノイア野郎がいるらしいのだ。
そいつらが妨害に来るかもしれないと。
俺はこう告げた。
「ご足労感謝する。しかし大事な書状なので、直接届けたい。道をあけていただけないか?」
「その必要はない。書状は私が預かる」
「言っておくが、書類上とはいえ、俺は無盡原の統治者だ。ここでは俺の命に従ってもらう」
「やむをえん。斬れ」
彼らは次々と抜刀した。
赤い刃だ。
すると地面がバーンとせりあがり、六名の男たちは一斉に宙へ突き上げられた。
ナミの術だ。
だが敵もただものではないらしく、空中で姿勢を制御し、着地と同時に攻撃を仕掛けてきた。
それを高橋真理とパンドロが迎撃する。
「行って! ここは私たちがなんとかする!」
「僕たちもすぐに追いつく」
咎人たちの身体能力は高い。
「ありがとう。向こうで会おう」
ここは彼らに任せるべきだろう。
*
俺と佐藤みずき、そしてナミの三名になった。
まさか刺客を送り付けてくるとは。
「この調子で大丈夫なの? 生きて帰れる自信ないんだけど」
佐藤みずきが笑いながらそんなことを言う。
ま、彼女はいいんだろう。
死んでも困らないんだから。
「大丈夫だよ。俺はこの無盡原の統治者なんだぜ?」
「その肩書、ちっとも役に立たなかったじゃない」
「まあな」
ダメかもしれない。
そのときはそのときだ。
俺の計画性のなさを恨みながら死ぬしかない。
ナミはケタケタ笑った。
「そしたらあのお歯黒ババア、また後家さんだね。いっつも男に死なれちゃうんだから。ザマないね」
負け惜しみにしか聞こえないが。
俺が反論するより先に、佐藤みずきが皮肉をカマした。
「そういうあなたはどうなの? そもそも結婚したことあるの?」
「はぁ? 別に関係ないんだけど!」
「まあそう怒らないで。私も結婚したことないから」
「なにそれ!? じゃあなんであたしのことバカにしたの? 頭おかしいんじゃないの?」
頭がおかしいのは間違いない。
しかしこの二人、さっきからずっと口論してばっかりだ。
おもに佐藤みずきのせいだけど。
俺は話題を変えてやることにした。
「ところでナミさんよ、黄泉国ってのはまだ遠いのか?」
「え、黄泉国? あと半分くらいかな」
「じゃあ、今日中につくな」
無盡原というわりに、意外と狭い。
いや、空間そのものは無限とも思えるほど広がっているのだ。しかし鬼司の屋敷と、黄泉国、両者はそれほど離れていないらしい。
ナミは少し背伸びして、遠くを眺めた。
「あの辺ね、むかし三途の川があったんだって」
「三途の川? いまはないのか?」
「うん。なんか無盡原は一度見捨てられたらしくて、天だか地だかの加護がなくなって……。それでこんなになっちゃったんだって。あたしらが来る前の話だよ」
よく見ると、川の名残なのか、そこかしこに石が積まれていた。
こんな昔話みたいな場所に、本当に自分がいるのかと思うと、かなり不思議な気持ちになる。一般開放すれば、まあまあ観光地になりそうなものだが。ゴーストさえいなければ。
俺はナミに尋ねた。
「ゴーストってのはなんなんだ?」
あまりに質問が素朴すぎたのか、彼女はぎょっとした顔になった。
「えっ? 知らないの?」
「知らない。死んだヤツの霊魂とかかなとは思うけど」
「そうだよ。知ってんじゃん」
「普段どこにいて、なぜ出てくるんだ?」
「黄泉国にいるよ。たまに無盡原で遊ばせて、銅鑼で呼び戻してんの。でも帰ってこないのもいるから、そういうのは諦めるしかなくて」
いやいやいや。
衝撃の事実なのだが。
「ちょっと待て。あんたが放ってたんじゃないのか?」
「まあそういうこともできるけど。基本的には役所が管理してる。あんまり閉じ込めておくと悪意に変わっちゃうから。でも帰ってこない子もいるよね。地上に戻りたいじゃん? もともとそこに住んでたんだからさ。戻れた子は幸せだよね」
「じゃあゴーストの出現は、あんたらの戦いとは無関係なのか?」
この問いに、ナミはペロッと舌を出した。
「バレた? 銅鑼が鳴れば帰るから、ホントは鬼道師が戦う必要なんてないんだよね」
「つまり二人の戦いが終わっても、ゴーストは出現するのか? 地上にも出てくると?」
「うん、出るよ。もし触れば寿命も縮むはず。でも誰も気づかないし、あんまり問題じゃないと思うな。触ってもすぐ死ぬわけじゃないし」
つまりこの無盡原は、戦いが終わったあとも管理が必要ということだ。
ゴーストが地上へ出てきてしまう。
もしそうなら、不幸中の幸いとしか言えないが、咎人に仕事を与えることができるかもしれない。
「あ、なんか来てるね」
ナミがつぶやいた。
振り向くと、血まみれの男が一名、刀を手に、こちらへ猛ダッシュで迫っているところだった。
先ほどの生き残りか?
だとしたら、あの二人は……。
俺は刀を構え、敵の正面に立った。
こうなったら戦うしかない。ハッキリ言って怖いが、背を向けて逃げるより、向かい合ったほうが生存率もあがる。
こんなことなら、お祈りを済ませておくんだった。
集中しているせいか、敵の動きがスローモーションに見えた。
敵が刀を振り上げる。
本当に、のったりした動きだ。
斬ってくださいとばかりに。
俺はがら空きになった胴へ、黒刀を叩き込んだ。
信じられないことに、バキリと背骨の折れる手ごたえがあった。
いくら集中しているからといって、人体を両断できるほどの腕が俺にあったのか?
まさか、知らないうちに鬼の肉を食わされていたか……。
集中が途切れると、時間の流れがもとに戻った。
刺客は絶命していた。
血を吸った近くの木が花を咲かせたが、実はなっていない。
ナミがまた笑った。
「さすが! カッコイイ!」
「なんだか分からないが、急に強くなった」
「そうだよ。私が呪術で強化してあげたんだから。次もお願いね?」
「……」
この女、きっと自分の術だけで敵を倒すことができたのに、俺を強化して遊んでやがったのか。
佐藤みずきが溜め息をついた。
「でも殺しちゃったら、情報聞けないじゃない。あの二人、どうなったんだろ」
「信じるしかない」
「信じたところで救われないのに?」
「ほかにしようがないんだ。ウソでもいいから、俺たちは神に祈るしかない」
「あなたの場合、神っていうより、鬼に祈ったほうがいいんじゃない?」
それもそうだな。
次からはそうするとしよう。
「しかしこの黒刀、人体は斬れないのでは?」
俺は刀をしげしげと眺めた。
いま、あきらかに人体を切断した。
つまり彼らは人間ではないのか?
ナミが肩をすくめた。
「なにも知らないんだね? 黄泉国の住民は、地上の人間とは違うの。ん-、言ってみれば、あんたらがプラスの生命力だとしたら、こいつらはマイナスの生命力だね。だから、触れ合ったらお互いに寿命が縮むと思う」
「えっ? つまり鬼も……」
「鬼はプラスでもマイナスでもないわ。だから触れ合い放題。試してみる?」
「いや、いい」
もしそれで寿命が減るなら、俺はとっくに鬼司に殺されているはずだ。
「もしかしてゴーストも?」
「そう。だから黄泉国の住民は、ゴーストに触れても平気なの。ま、普通は触れたがらないけどね」
つまり黄泉国の住民は、俺と佐藤みずきを歓迎しないだろう。
場合によっては攻撃してくるかもしれない。
用心しなければ。
「もうすぐ黄泉国だよ。門が見えてくるはず」
門というか、巨大な鳥居だ。
いままでここからゴーストが飛び出してきたのか。
*
ワープ装置のようなものだろうか。
鳥居を抜けると、なにもない山野に出た。
やや薄明るい印象はあるものの、黄泉国という名からは想像もできぬほど普通な場所だった。
いるのは、槍で武装した警備員が一名のみ。
「あ? あれ? あれれ? ホントに来た……」
中年男性だ。
じつに困った顔をしている。
ナミが胸を張って応じた。
「この人が無盡原の統治者よ! ひれふしなさい!」
「なに言ってんだ。お前は入国禁止のはずだろ? なに堂々と入ってきてんだ?」
「道案内してたの! それに出入禁止なのは都だけでしょ!」
「ここも禁止だ。こないだも勝手に入ってきて蛇とってったろ? 地元のヤツら怒ってたぞ」
「うるさい!」
思えばナミは、いちおう鬼司と争っているから有力者なのかと思いきや、書類上はなんらの肩書もないただの鬼でしかないのだった。
俺はいちおうフォローを入れてやった。
「彼女は俺の護衛なんだ。あまりつらく当たらないでくれ」
「そういうあんたは……。ホントに無盡原の? まあ話は聞いてる。いちおう決まりなんで、この先の屋敷に顔を出してくれ。先導師がいる。都へはその人が案内してくれるはずだ。おい、ナミ。お前は行くなよ。怒られるだけだぞ」
するとナミは「ふん」とふてくされてしまった。
だが、そうだな。
これから都へ入るとなると、ナミの存在は問題になるだろう。
「悪いな、ナミさんよ。ここで待っててくれないか。用を済ませてすぐ戻ってくる」
「いいよ。いじめられるのは慣れてるもん」
「そう気を悪くするな。ここまで手を貸してくれて感謝してる。あとでなにかお礼するよ」
「じゃあお歯黒ババアと別れて、あたしと結婚してよ」
「それはムリだ。鍋の具にされる」
鍋の具という言葉が出た瞬間、ナミも納得してくれた。
*
先導師とやらの屋敷はすぐに見つかった。
茅葺屋根の、立派な屋敷だ。
ニワトリ小屋があり、そこでコッココッコとかすかに鳴いている。
「おやおや、本当に来たのか。ご苦労なことだ」
頭のつるつるな、しかし白ひげを長く伸ばした老人が、のたのたと出てきた。
仙人みたいだ。
「冬木一です。こっちは護衛の佐藤みずき。都まで案内いただけると聞いてお邪魔しました」
「さよう。我は先導師。名は寒屋。棺桶ではないぞ。ふぉふぉふぉ」
なんだ?
いま、黄泉国ジョークが炸裂したのか?
いちおう笑っておいたほうがいいか……。
「そう緊張せんでよい。車を用意する」
「車?」
「地上の人間が想像するようなものではないぞ。牛に引かせる」
「牛……」
牛車というヤツか。
まあ道が整地されているようには見えないから、あまりスピードが出ると転倒の危険もある。牛くらいのスピードが丁度いいのだろう。
さて、あとは都へ向かうだけ。
頼むから問題は起きないでくれよ。
(続く)




