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The World Savers  作者: 不覚たん
散種編
26/32

咎人はかく語りき

 エレベーターの蛍光灯は切れかけていた。

 上昇も、なんだか引っかかるような挙動があった。

 きっとメンテナンスされていないのだろう。


 錆びついた手すり。

 錆びついたドア。


 俺の記憶の中の景色よりも、だいぶ劣化している。

 ということは、これはおそらく佐藤みずきの頭の中のイメージ。


 廊下を少し行くと、赤黒い子供の姿が見えた。

 俺の家を、誰かが覗き込もうとしている。

 誰か、というか、佐藤みずきだ。俺が後ろから蹴っていたにも関わらず、彼女は俺のことをそんなに嫌ってはいなかった。たぶん、兄妹みたいな関係だった。


「秘密を暴いてはならない」

 赤黒い塊は、老人の声でそう告げた。


 佐藤みずきは肩をすくめ、苦笑い。

「問答無用で殺してもいいけど……。少し話を聞いてみない?」

 彼女は悪ふざけが大好きだ。

 だが、俺もその案に賛成だった。

「お手柔らかにな」

「もちろん。私、平和主義者なの」

 自称平和主義者ほどアテにならないものはない。

 ソースは俺。


 佐藤みずきはしゃがみ込み、子供に目線を合わせた。

「ねえ、秘密ってなによ?」

「秘されるべきものは花」

「あなた、自分のことを花だと言ってるの?」

「分からぬ」

 ズン、と、黒刀が悪意の胴体に突き刺さった。

 あまりに気が短い。

「あなた、自分の正体を知られたくなかったんだ?」

「秘密を暴いてはならない」

「なぜ隠れたかったの?」

「花は摘まれる定めにある」

「ま、たしかに見た瞬間殺したくなったわね。けどもっと友好的に接してくれたら、第一印象も違ったんじゃない?」

 これは地雷だった。

 悪意にとって、ではなく、佐藤みずき自身にとって。


 悪意の返答はこうだ。

「その言葉、高校時代のお前にも教えてやりたかったな」

「さようなら」

 刃はより深くねじ込まれ、ざばと身体を切り裂いた。


 言葉は刃物となって精神を切り刻む。

 そしてこの無法地帯では、その代償として、刀で身体を切り刻まれる。


 ナミが「ふぅん」と目を細めた。

「人間たちの社会って、意外と生きづらいとこなんだね」

 佐藤みずきは刀に付着した赤黒いものを、ぶんと振り落とした。

「全部分かっててやってたんじゃないの?」

「そんなワケないじゃん。あたしの術は、みんなの内面に反応するものなんだから。どんな結果になるかは、その人次第だよ」


 *


 マンションを出ると、赤黒い池は残っていたものの、どこにも悪意の姿はなかった。すべて泥となって溶け出してしまったらしい。

 赤子の頭部はいくらか転がっているが、まあこれは対処できる。

 あとはとっとと黄泉国へ行けば、それで任務完了だ。


 道中、佐藤みずきがナミに絡み始めたので、俺は会話相手を失った。

 かといって高橋さんはピリピリしていて話しかけられそうにない。

 このタイミングでパンツ泥棒が近づいてきた。

「あの子らの戦い、終わると思います?」

 特に用はないとはいえ、無視するわけにもいかない。

「どうでしょうね」

「まあ普通に考えたら、いいことなんだと思うんですよ。でも僕ら咎人は、用済みになっちゃうから……」

 その点はまったく考えていなかった。

 たしかに彼らは役目を失う。

 高橋真理も……。

「あとで鬼司に聞いてみます。もしこちらでカバーできることがあるなら、そうしたいですし」

「助かるよ。まあ僕みたいなパンツ泥棒が助かるのも、どうかとは思うんだけど……」

「誇りをもってやってたんでしょ?」

 すると彼は、苦い笑みを浮かべた。

「そう。もちろんそうなんだけどね。社会悪だってことは認識してるから。いや、いるんだよねぇ。パンツ泥棒界隈にはさ、自分のしてることを理解してない人」

「理解?」

「僕はね、重罪だと思うよ。その上でやってる。だけど無罪だと思い込んでる人もいるし、なんなら正義だと思ってる人までいるの」

「どういう理屈で?」

「みんな捕まりたくないからね。だから罪はないと思い込む傾向にある。人間、なんでも都合のいいように考えちゃうから。どう考えても犯罪なのにさ」

 俺には理解できない。

 自分が思い込んだところで、犯罪じゃなくなるなんてことはないのに。


 彼は溜め息をついた。

「布切れで性欲を発散してるんだから、むしろ本人を救っている、なんて言う人までいる。ここまでくると、自己正当化も病気だね。でもたぶん、みんな犯罪だって分かってるんだよ。その現実を直視したくないだけ。なのに、自分にウソをついてるうちに、自己暗示にかかっちゃう」


 自己暗示――。

 俺も似たようなものだったかもしれない。

 もちろんパンツを盗んだことはない。パンツ以外もない。

 人と関わるのが怖かった。もし関われば、なにか責任が生じるような気がしたから。だから人を遠ざけて、関心のないフリをしていた。他人なんてどうでもいい、と。


 この気持ちの源泉は、佐藤みずきだったかもしれない。

 俺は会うたび彼女を蹴っていた。泣かせていた。

 子供にとって、相手が泣くということは、関係の成立を意味する。すなわち、勝者と敗者が明確になる。


 バカだった俺は、それで満足していた。

 だけど成長するにつれ、自分が本当にただのバカだったことに気づいた。

 過去に戻ってやり直したかった。

 タイムマシンを作れないかと、ネットで検索しまくったこともあった。

 けど、ムリだった。時間は遡れない。やったことは受け入れないといけない。これ以上罪を重ねない方法は、人と関わらないこと。


 なのに高校生のころ、クラスメイトに告白してしまった。

 彼女が欲しかった。

 それだけの理由。

 で、失敗した。


 他人と交わってもロクなことがない。

 分かってる。

 分かっていてなお、しかし孤独には耐えられない。

 誰か他者の存在を感じたくて、居抜きのアパートを借りた。そこには間違いなく他人の痕跡があった。それでいて、本人がいない、というのがよかった。

 俺の神経は、少し歪んでいたのかもしれない。


 隣ではパンドロが話を続けていた。

「ああ、ごめんね。ついムキになっちゃった。やっぱり現実はさ、直視しないといけないよね。自分を正当化したいばかりに、認識まで歪めちゃったら、もう自分自身さえ信じられなくなっちゃうからさ」

 犯罪者のクセに、まともなことを言わないで欲しい。

「そこまで分かってて、なんで犯罪行為に手を染めるんです?」

 聞いていい質問かは分からないが。

 彼の回答はこうだ。

「人には好きなものがあるよね? 嫌いなものもあるよね? どうしても譲れないものもあるよね?」

「そりゃありますけど……」

「それと一緒なの。好きなの。もう人生の一部っていうか。それがたまたま、僕の場合は犯罪行為だっただけ」

 自己を正当化している気もするが。

「そのエネルギーを、他のことに向ければよかったんじゃ……」

「君、好きな食べ物ある? それ思い浮かべて。次に、それが法律で禁止されたところを想像してみて。そのエネルギーを、嫌いな食べ物に向ける気はある?」

「その理屈で事実を説明できているとは思えない……」

「同じだよ。窃盗癖、盗撮、異常性癖、快楽殺人、はたまた無害なクセにいたるまで、人には『どうしてもそれをしたい』ことがあって……。その差によって、人は犯罪者になったり、たまたまセーフだったりするの。もちろん僕は自分を正当化しないよ。逮捕されればいいと思ってる。でも逮捕されないから、こうして出歩いてる。それだけ」

 理解できない。

 いやしたくない。

 なにか反論してやりたい……。


 だが、俺は話題を変えた。反論が思いつかなかった。

「パンドロさんは、そのー、なぜ鬼の肉を……?」

 彼はおどけたような表情を見せた。

「自分を閉じ込めておきたかったんだ」

「檻の中へ?」

「そう。いつまでもパンツ泥棒が野放しになってるなんて、社会的に正しくないからね。ま、自首したようなものさ。おかげで世界は、少しだけ平和になったんじゃないかな」

「ごく倫理的に聞こえますが」

「そう。倫理的な判断をしたんだ。僕は善悪の判断がつかないわけじゃない。そこだけは誤解しないでもらいたいな」

 ますます分からない。

 なぜこんな人間が窃盗を……。


 いや、本人にしか理解できないことなのかもしれない。

 思えば俺の父は、納豆に砂糖をかけてグチャグチャにして食っていた。家族みんなが顔をしかめていたし、個人的には法で取り締まって欲しいとさえ思った。

 しかし父は強行した。

 きっといまでも続けていることだろう。


 不快だから違法にしろ――。

 俺の思考はそこで止まっていた。

 いや、いいのだ。

 すべての法は、感情をもとに成立している。誰かが不快だと思ったから禁じられるようになっただけ。もし人類に感情がなければ、そもそも法など存在しない。

 感情を軽視すべきではない。


 だが、すべての感情を法にするのもまた問題だ。

 全人類が犯罪者になってしまう。

 ある程度は我慢しろ、というわけだ。


 パンツ泥棒は逮捕されるべきだが、納豆の食い方くらいで逮捕されるべきじゃない。

 俺たちは、そういう合意の社会を生きている。


「パンドロさん、教えてください。俺はいまの人間社会を立派なものだとは思えない。特に学校とかいうシステムは、動物園にしか見えないんだ。現状を変更するのに、どれだけの力があれば……」

 なんとなく社会のことに詳しそうだったから、俺はつい長年の質問を投げてしまった。

 きっとなにかヒントをくれると思ったのだ。


 だが、彼はやや困惑した表情を浮かべた。

「君、選挙行ってる?」

「えっ?」

「選挙。行ってる?」

「行ってないです……」

 選挙?

 本気で言ってるのか?

「ダメだなぁ。選挙行かなきゃ。『選挙行ったってなにも変わらない』って思ってるかもしれないけど。少しは変わるんだよ。で、そうやって少しずつ変えていかなきゃダメなんだよ。力が強ければどうこうっていうのは、たぶん、それもう人間のすることじゃないよ」

「……」

 学校を動物園だとか言っておきながら、その動物園の理屈で社会を変えようとしていたのが俺自身だったというわけか。

 だが選挙とは……。

 そんなものが、いったいなにになるって言うんだ。


 パンドロは肩をすくめた。

「いちおうね、僕にもまだ投票権あるんだよ? 檻の中から投票できるの。僕は毎回ちゃんと参加してるよ。もしかすると法律が変わって、住みやすい社会になるかもしれないからね」

「泥棒が住みやすい社会……」

「それがイヤなら、君も一票投じないと。もし参加しなかったら、僕みたいなヤツの思うような社会になるよ? みんなさ、口では言うんだよ。『他人の決めたルールで生きるのはまっぴらだ』って。なのに選挙には行かないんだよ。不思議だねぇ」

「……」

 こんなヤツに……こんなパンツ泥棒に……俺は常識を説かれている。


 特別な能力さえあれば、他人を出し抜けるのに。

 そんな漠然とした考えを、誰しも持っているだろう。

 だがそんな力を手にしたところで、俺たちにはなにも変えられない。いや変えられることもあるが、せいぜい自分の周囲だけだ。

 本当に変えたかったものを、変えられるわけじゃない。


 とはいえ、その代替案が選挙だなんて……。

 俺の望んだ答えとは違った。

 けれども、ほかに手はないのかもしれない。


 地獄のド真ん中みたいな場所で、なぜこんなことを……。


(続く)

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