ビジネス
数日が経過した。
屋敷は静かだ。
俺は薄暗い大広間で、火鉢にあたっている。
もう招集もない。
鬼司からは、木箱に入った「命の玉」を渡された。正式名称は「反魂丹」というらしい。が、未使用だ。二つとも、納戸に保管してある。
俺は死ぬまでここにいることになるから、もう誰とも会うことはない。
黒服に連れられた高橋真理がどうなったかも不明だし、佐藤みずきと会うこともない。チャラ男も同じだ。結局、彼の名前さえ分からなかった。
俺は迷っている。
忍者のおじさんを生き返らせるべきか否か。
蘇生させたところで、二人は会うことさえできない。
高橋真理は咎人。
政府の管理下におかれ、自由行動を禁じられている。
「冷えるのぅ」
オカッパ少女が入り込んできた。
たま子だ。
今日はカレーではなというのに、いったいなんの用だろうか。
「彼女なら奥にいる」
「今日はおぬしと話をしに来たのじゃ」
「命の玉なら、まだ売るつもりはないが」
「べつの話じゃ」
彼女も火鉢にあたった。
幼い顔立ちだが、やたら神妙にしているせいか、いつもよりは年長者らしい雰囲気を見せていた。
「おぬし、木の根を掘ったんじゃと?」
「好奇心でな」
俺は自嘲気味に応じた。
好奇心など持つべきではなかった。
人間社会では、謎を解き明かしたものは賞賛を受ける傾向にある。場合によっては、たとえそれが他人のプライベートであったとしても。
しかしこういうお伽噺みたいな世界では、謎を暴いたものは例外なく理不尽な仕打ちに遭う。
まさか自分が身をもって体験することになるとは思わなかったが。
たま子は猫のように目を細めた。笑っているのかもしれない。
「よいのじゃ。おかげで悪意の居場所を突き止めることができた」
「悪意、か……。けど、そもそも鬼司とナミが争わなければ、そんなものは生まれなかったのでは?」
「浅知恵じゃな。そもそも、ここは地獄の入口なのじゃ。よからぬものが集まってくるは必定。むしろ、そういうものを無盡原に溜め込んでおくからこそ、人の世は平和でいられるのじゃ」
言うほど平和だろうか?
一番ひどいときに比べればそうかもしれないが。
「じゃあ、二人の戦いとは関係がないと?」
「誰かが無盡原を支配し始めたとき、すでに悪意は潜んでおったのじゃ。じゃから誰も気にしなかった」
「木を掘ったのは俺が初めてなのか?」
「いいや。もちろん掘ったものはおった。じゃが、興味を持てんかったんじゃな。食えるわけでもなし。霊感のあるものにとっては、嫌な感じもするし。そもそも無盡原は、こんな戦いでもなければ、誰も立ち入らぬ場所じゃしの」
「でも閻魔は? 住んでたんじゃないのか?」
俺が尋ねると、たま子は盛大な溜め息をついた。
「連中が住んでおったのはここじゃよ。無盡原を支配するだけなら、住所はどこでもよいのじゃ。そもそも支配といったって、なにもすることがないしの。せいぜいゴーストが抜け出さんよう、戸締りしておけばいいのじゃ」
なんなんだ。
意味がないじゃないか。
「ここはそんな空虚な場所なのか? だったらあの二人は、なんでそんなものを欲しがってるんだ?」
「バカバカしいのぅ? 結局、ただの意地の張り合いなのじゃ。当然、他の鬼どもは愛想尽かして出ていきよった。ま、鬼司にとっては、旦那から引き継いだ遺産でもあるしの。ナミも同様に思うておる」
動物がエサを引っ張り合っているようにしか思えない。
その間に別のことをしたほうが、はるかに有意義だろうに。
だが、当人がそうしたいと思っている以上、そうさせるほかない。
たぶん。
たま子はごろりと横になった。
「ところでおぬし、わしのことは好きか?」
なんだこいつは。
勝ち誇った顔をしているから、肯定的な返事が来ると確信しているのだろう。
「嫌いと言ったらどうする?」
「泣きわめくぞ」
「その必要はない。別に好きでも嫌いでもないからな」
「つめたいの。ま、照れ隠しとでも思うておくわい。わしのことが好きなんじゃから、当然、わしの仕事を手伝いたいと思うておるよな?」
ツラの皮が厚すぎて、つい吹き出してしまった。
「俺がこの屋敷を出られないのは知ってるよな?」
「もちろん。それを承知でお願いしたいのじゃ。鬼司のことはわしが説得する」
久々に外出できるのか。
それはやる気の出る話だ。
「仕事の内容は?」
「黄泉国の役所へ、ある書状を送って欲しいのじゃ」
「黄泉国? 正気か?」
いくらその権限があるとはいえ……。
無盡原を突っ切って、奥のほうへ行くことになるだろう。
「鬼司に頼めばいいんじゃないか?」
「それができぬからおぬしに頼んでおる」
「ヤバい仕事なのか?」
「言ったじゃろ。書状を運ぶだけじゃ」
「どんな書状なんだ? 内容を教えてくれよ。相手の機嫌を損ねるような手紙を運んで、恨みを買いたくはないからな」
言葉というのは、いつでも争いの種になる。
だいたい、暴力沙汰のほとんどは、まずは言葉の応酬から始まるのだ。
ある有名な本にもこんな一説があったはずだ。「はじめに言葉があった」と。
たま子は露骨に顔をしかめた。
「内容は言えぬ……」
「なら断る。言うまでもないと思うから言わなかったが、俺は平和主義者なんだ」
そのとき音もなく鬼司が入ってきた。
盆に大福と茶を載せているから、たま子の来訪には気づいていたのだろう。
たま子は顔面蒼白になりながらも、特になんでもないような顔で視線を泳がせた。
「おお、鬼司。おったのか?」
「ええ。いつでもおりますよ。私の屋敷ですから。それでたま子さま、本日はどのようなご用向きで?」
「あ、うーんうーんうーん……。えーとえーとえーと……。そうそう! 夕飯じゃ! 久々におぬしの手料理が食いとうなったのじゃ! よかろ? の?」
どこからどう見ても不審だ。
しかし鬼司は、うっすらと慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「そうでございましたか。もちろん歓迎いたします。腕によりをかけませんとね」
「具は普通のがよいの」
「ええ、もちろん」
怖い。
鬼司は微笑のまま、音もなく奥へ消えた。
普段から白装束だから、亡霊にしか見えない。
「はぁー! 危なかった! てか、いまの絶対聞かれとったじゃろ!」
「そうだろうな」
「あやつ、怒ると怖いからのぅ……。怒らなくとも怖いが」
「いや、怒らせなければ優しいぞ」
「じゃが前に男を寝取ったときには、危うく具にされそうになったぞい」
ぞいじゃない。
よく具にされなかったな。
これで身持ちがカタいってんだから恐れ入る。
「いや、鬼司も悪いのじゃ。五人も六人も同時にはべらせおって。じゃから一番ブサイクなのを拝借しただけなのに」
「……」
所詮は鬼と畜生のすることだ。
咎めるだけバカらしい。
「とにかく、内容を言えないなら、仕事は受けられない」
「秘密は暴かん主義じゃなかったのか?」
「プライベートの話ならともかく、これは仕事の話だ。せめてリスクは把握しておきたい」
「しょうがないのぅ」
たま子は鬱陶しそうな顔で、大福に手を伸ばした。
彼女の話はこうだ。
鬼司とナミの戦いは、すでに五百五回ほどおこなわれており、そのうちすでに鬼司が四百勝している。結果は見えたようなもの。もう終わらせるべき。
そんな内容だった。
「四百勝!? そんなに勝ってるのか?」
圧勝だ。
なんならあと百年で決着がつく。
「バカらしかろ? 互いにムキになっておらんで、もうやめればよいのじゃ」
「でも起請文が……」
「管轄しとる役所に届ければ、内容を変えることもできる」
「命の玉はどうなる?」
「……」
無言になった。
考えてなかった、なんて顔じゃない。
そこに踏み込むな、という顔だ。
「たま子さんよ、裏があるなら説明しといてくれ。俺は誰かに利用されるのはまっぴらでな」
「か、考えすぎじゃ。だ、だいたい、なんでいまタマタマの話をする必要があるのじゃ?」
「戦いが終わったら鬼道師は不要になる。すると玉も配布されなくなる。あんたは困るよな? どうする気なんだ? 考えてないワケないよな?」
たま子は、仰向けになってドタドタし始めた。
「うるさいのじゃ! わしゃなにも悪いことなんぞ企んどらんわい!」
「騒ぐならビジネスの話はしない。俺は大人としか取引しないからな」
すると手足がピタリと止まった。
たま子は身を起こし、ズズーと茶をすすり、また大福をもちゃもちゃと食べた。
「おぬし、容赦ないのぅ……。分かった。わしの負けじゃ。たしかに裏はある。いまから説明する」
反魂丹は、じつは鬼道師の活躍とは無関係に配布される。
それは無盡原の管理者に奉じられる給料なのだ。
毎年八つ。
鬼司は、それを鬼道師への報酬として使っている。
つまり戦いが終われば、鬼道師を雇う必要もなくなり、鬼司は反魂丹を持て余すことになる。
たま子は、それを安く買い叩こうという計画だった。
「わしにとってもウマい話じゃが、それはおぬしらにとっても同じであろ? 無益な戦いをせずに済むのじゃ」
「一理ある。だが、なぜ鬼司は渋るんだ?」
「戦いが終わってしまえば、もはや婚活ができんからのぅ」
大福をむさぼりながら、ふてぶてしいツラでのたまう。
「冗談はよしてくれ。こっちは真面目に聞いてるんだ」
「真面目じゃよ。あやつがどれだけ男に飢えとるか、もうなんべんも説明したじゃろ。おぬしはあと五十年かそこらで死ぬかもしれんが、鬼司はそうではない。おぬしにとってバカらしい話でも、あやつらにとっては大事な話なのじゃ」
「……」
説得力はある。
鬼司は、かなりの男好きだ。
いま俺だけで済んでいるのが奇跡みたいなものだ。いや、俺が気付いていないだけで、ほかにもいるのかもしれないが。
「ちょっと考える時間をくれ」
「うむ、よかろう。できれば夏までに頼むぞい。次の戦いが始まってしまうからの」
「そんなにかからない」
半年も先じゃないか。
長生きしていると、半年でもすぐなのかもしれない。
たま子は俺の大福に手を伸ばした。
「無盡原を突っ切ることになるから、いちおう護衛をつけるぞい」
「また例の悪意と戦うハメになるのか?」
「もし寝とらんかったらの。ゴーストも湧いとるかもしれんし、どこかの誰かが意地悪すれば、志許売も出てくるやもしれん」
「地獄だな」
これまでの危険が勢ぞろいだ。
たぶん書状を届ける前に死ぬ。
俺が渋い顔で茶をすすっていると、たま子は余裕の笑みでこう返してきた。
「安心せい。咎人をつける」
「可能なのか? 日本政府の管理下にあるんだろ?」
「そうじゃ。だからこそ可能なのじゃ。なにせわしには金があるからのぅ」
賄賂かよ。
そこまで腐敗してるのか。
たま子はすんと澄ました顔を見せた。
「なんじゃその顔は? 汚い金とでも思うておるのか? わしはあくまで、とある慈善団体に寄付をするだけじゃ。するとなぜか政府が咎人を貸してくれる。ウィン・ウィンというわけじゃ」
「賄賂だろ」
「なんとでも言うがいいわい」
「護衛のメンバーは指名できるのか? もし可能なら、高橋さんと話がしたいんだが」
するとたま子はニヤリと笑った。
「JKをご指名とは、いやらしいのぅ」
「なんとでも言え。俺にとっては大事なことだ」
「よかろ。ほかには?」
「佐藤みずきを呼べるか?」
「あれは咎人ではなかろう……」
「ムリならいい」
せめて一度、きちんと話し合っておきたかった。
ずっとくすぶっている。
彼女の目的――。
命を捨てたがっていた。
なぜなのか、理由が知りたかった。
できれば止めたい。
俺にその資格があるかは分からないが……。
(続く)