謝肉祭(カルナバル) 前編
もちろん、戦いは続いている。
だが、おそらく今日が最終日。
無盡原への招集があった。
パンツ泥棒はチームから外され、その代わりに、またチャラ男が戻ってきた。
報酬の話もあるし、未経験のメンバーのほうが都合がいいのだろう。
「え、マジで? 今日が最後? 俺、核とかいうのに会ってないんだけど……」
それは気の毒だな。
しかし四つの核は処分された。
あとは社稷とやらを壊して終わりだ。
佐藤みずきは無盡原の風を全身で浴びていた。
「社稷ってのを破壊したら、そのあと御馳走が振る舞われるのよね?」
それは謝肉祭。
勝者に鬼の肉が供される。
もし口にすれば、俺たちは人ならざる力を手に入れることができる。
だが、ここへ送り出される前に、鬼司からも警告を受けた。
もし鬼の肉に手を出せば、日本政府の管理下に置かれ、もう二度と社会へは復帰できなくなると。
食う食わないの判断は各人にゆだねられる。
だから俺には、他者に意見を強制することはできない。
それでも――。
「佐藤さん、まさかとは思うけどさ……」
「なにその顔? 私がなにを言いたいのか、分かってるつもり?」
「分かってるかどうか自信はない。だけど、できれば……」
彼女は妖しく笑った。
「あなた、なにか勘違いしてるわね」
「どういう意味で?」
「社稷で食事が出されるのよ。まるで社員食堂みたいじゃない? でもこれ言うと、たぶんあなた怒るから……」
「……」
ホントに?
ずっとそのギャグを考えていたのか?
この最終局面で、小学生でも思いつくようなクソ寒いギャグを……。
彼女はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「食べないわ。だって、強くなるんでしょ?」
「君は力を欲しがってたろ?」
「それでも政府に監禁されるんじゃ、復讐もなにもあったもんじゃないし。それに……」
「それに?」
「言わない。とにかく私の趣味には合わないから」
言わない?
いったいなにを?
この期に及んで、まだなにか隠し事があるのか?
いや、気になるのは彼女だけではない。
高橋真理だ。
御馳走の話を聞いてから、彼女はずっと思いつめた顔をしていた。きっと葛藤しているはず。
俺としては、彼女に肉を食べて欲しくない。
なぜなら俺は、このあと命の玉で忍者のおじさんを蘇生させる予定なのだ。そのとき彼女が政府の管理下にあったら、親子で顔を合わせることさえできなくなってしまう。
なにか手はないだろうか。
すべてが円満に解決するような、素晴らしい手が……。
だが、俺の思索を妨害するかのように、謎の騒音が響いてきた。
いつも遠くから、風に乗ってかすかに聞こえてくる地鳴りのようなもの。
それが今日は、いっそう強く聞こえる。
人の声のようにも聞こえる。
「うお、なんだアレ!?」
チャラ男が甲高い声をあげた。
アレ――。
四方から、巨大な電球のようなものが接近してきた。
いや、電球ではない。
人の後頭部だ。
モアイ像が、後ろ向きでこちらへ迫っているような。
しかもそいつらは生きているらしく、ずっとなにかを喋っていた。
やがて四つの頭部は、ゴッと鈍い音を立てて衝突。
そこでようやく動きが止めた。
ザーンと地面から電話ボックスが生えてきた。
鬼司だろう。
ベルが鳴っているので、俺は中に入って受話器をとった。
「こちら冬木」
『鬼司です。いま皆さんの目の前にあるものが社稷になります。絶えず呪詛を吐いておりますが、決して返事などはせず、黙々と破壊してください』
「攻撃してこないのか?」
『はい。会話にさえ応じなければ、害はないかと』
「分かった」
俺は受話器を置き、電話ボックスから出た。
「あれが例の社稷だそうだ。会話には応じないこと。応じたら害が出る。私語は厳禁。一人一体。とっとと片付けて帰ろうぜ」
頭部だけなのに、俺の背よりも高い。
2メートル弱ってところか。
どの顔もカッと目を見開いて、なにかに怒っているようだ。ずっと「来るな来るな」とつぶやいている。
無抵抗の相手を手にかけるのは気が進まないが、戦いを終えるためにはやるしかない。
俺は黒刀を構え、顔面の前に立った。いや正面は怖いから、少し斜めに。こめかみのあたりを突き刺せば、楽に死んでくれるかもしれない。
「来るな来るな来るな。なんで来るんだ。やめろやめろやめろ」
祭壇だというから、もっと無機物のようなものを想像していたのだが。
思い切って刀を突き立てると、鳥を絞め殺したような絶叫が響いた。それから血液がビュッと噴出。体積が大きいから、飛散する血液量もなかなかのものだ。ビチャリと音を立てて、バケツ一杯分はぶちまけた。
ひび割れた大地に、血液が染み込んでゆく。
すると近隣の樹木が、すぐさま小さな花を咲かせた。
「仲間たち」は顔をしかめながらも、次々と作業に取り掛かっていった。
絶叫。
血液。
頭蓋骨は硬い。
だからどうしても目や鼻などがターゲットになる。
あまりに凄惨で、やっているこっちの気分まで萎えてくる。
人の顔が、損壊してゆく。
「は、早く死んでよ……。もうムリだよ……」
高橋さんが刀を落としてしまった。
チャラ男も腰が引けている。
いや、俺も人のことは言えない。威勢がよかったのは最初だけで、次第に手に力が入らなくなってきた。
急所を突いても、ヤツらは絶叫するだけで、ちっとも死んでくれなかった。
だから少しずつ解体するほかない。
淡々と作業しているのは佐藤みずきだけ。
彼女は序盤こそ苦戦していたものの、やがて効率的に「バラす」方法を見つけていった。どの穴にねじ込んで、どの方向に力を入れればいいのか、感覚的に分かるらしかった。
やがて自分の仕事を終えると、今度は高橋さんのぶんを手伝い始めた。
高橋さんは、女の子座りで「やだよぉ」としゃくりあげている。
高校生にこれはキツいだろう。
いや社会人でもキツい。
平気なのはサイコパスだけだ。
俺が苦戦している間に、佐藤みずきは二体目の処理を終えた。そして半べそのチャラ男を手伝い始めた。表情に変化はない。ただ雪かきでも手伝っているような顔だ。
あたり一面にドス黒い血液が溢れて、苺ジャムを塗りたくったようになっていた。
花々も咲き乱れている。
モノクロだった無盡原が、にわかに色づいてきた。
空もどことなく青みを帯びている。
佐藤みずきが、三体目を処理し終えた。
チャラ男はへたり込んで脱力。
詳述する気はないが、バラされた顔面は、とにかく無残というほかなかった。少し前まで人として認識できたものが、ただのパーツにされている。生理的嫌悪が全身を蝕む。
赤く染まった黒刀を肩に担いだ佐藤みずきは、しかし俺の頭部には手を貸してくれなかった。
高みの見物とばかりに、俺の作業を眺めるだけ。
いや、いい。
いまここで彼女に借りを作るわけにはいかない。
自力でやらなくては。
*
作業を終えたころには、俺はもう全身が赤黒く染まっていた。
鬼司に頼んで用意してもらったスーツだったのだが……。
「はぁ、クソ。これで終わりだ。終わりだよな?」
「だと思うけど」
佐藤みずきの返事はそっけなかった。
ジャーンと銅鑼が鳴った。
ジャーン、ジャーン、ジャーンと何度も鳴った。
次はなにが始まるんだ?
警戒していると、遠方から着物の男女がぞろぞろと近づいてきた。きらびやかな旗を掲げている。巨大な箱を担いでいる。
「我ら黄泉国より参った包丁師なり。これより餌食をご用致す」
皆、謎の記号の描かれた和紙で顔を覆っている。
なにもかもが不気味だ。
すると彼らは、まず調理台を置いた。
その脇へは、石などを組み、簡単な竈をこしらえた。
俺たちの目の前で調理するつもりらしい。
食材は、いまバラしたばかりの顔面。
これはさすがに高橋さんも口元を抑え、吐き気と戦っていた。
俺も直視するつもりはない。
あまりに猟奇的過ぎる。
こんなもてなし、いったい誰が喜ぶというのだ。
*
彼らは手際よく調理を済ませ、さっさと引き上げていった。
皿には、包み焼き、素揚げ、刺身、混ぜご飯などなど、見た目だけはまともな料理が台に並べられていた。
しかし周囲は血液の蒸発したにおいでむせかえるようだし、血液が土と混じって足元はドロドロ。食事をする環境とは言いがたかった。
例の「咎人」たちは、こんなものを食ったのだ。
よほど力に飢えていたか、あるいは破滅願望にさいなまれていたのだろう。
並の精神状態ではなかったはずだ。
「え、マジで? どうすんのこれ?」
チャラ男は顔面蒼白だった。
もしかすると俺も似たような顔かもしれない。
「電話で確認してみる」
俺は電話ボックスに駆け込んだ。
いまはこの狭さが心地いい。
「冬木です。このあとどうすれば?」
受話器をあげただけでつながった。
鬼司の返事はこうだ。
『ええ。そのようなものを口にする必要はありません。すぐにでも帰って来てください』
「分かった。みんなにもそう伝える」
いいんだ。
帰れば終わるんだ。
俺たちは成し遂げたんだ。
電話ボックスを出て、俺はみんなに告げた。
「食わなくていい。撤収しよう。それでおしまいだ」
だが、これで気を楽にしたのはチャラ男だけだった。
高橋さんはうずくまったまま動けそうになかったし、佐藤みずきはクソつまらなそうな目で俺を見ていた。
どいつもこいつも業が深すぎる。
ただ、俺も人のことは言えなかった。
包丁師たちは調理を終えたあと、使わなかった頭蓋骨を地面に埋めていた。それがなにを意味するのか、かなり気になっていた。
「どうしたんだ? みんな帰らないのか? いや、いいけど。俺もちょっと作業があるから……」
俺は手近な樹へ近づいた。
枝先には毒々しい赤い花を咲かせている。
だが、用があるのは枝じゃない。
俺は黒刀を構え、根を掘り始めた。
ザクザクと土へ刃を突き立て、それから手で土を掻きだす。
いつもと違って、土が湿っている。
根が、血を吸い込んでいるのだ。
俺は立ち上がり、さらに刃を突き立てた。
みんな、異様なものでも見るかのように俺を見ている。
違う。
これは知的好奇心によるものだ。頭がおかしくなったわけじゃない。
何度か土を掻きだしていると、ついに探しものに出くわした。
「やっぱり……」
頭蓋骨だ。
かつて社稷の一部であったもの。
鬼の頭部。
俺は立ち上がり、頭蓋骨のヒビに刃を突き立てた。
カタい。
だが、強引にねじ込んでいると、やがて奥まで突き刺さった。そこへ体重をかけて、頭蓋骨を欠いてゆく。
中に、まっかな果実が眠っているのが見た。
まるで心臓のように脈打っている。
ただの植物ではあるまい。
「みんな、見てくれ。これだよ、これ。絶対なにか埋まってると思ったんだ。つまりこの無盡原では、社稷が破壊されたあと、植物となって命をつないでいくんだ。こんな不毛の地にもいちおうの生態系があって……」
ふと、電話が鳴った。
誰も取る気配がなかったので、俺が応答に向かった。
「はい冬木」
『花を摘むのだな?』
鬼司ではなく、しわがれた老人の声がした。
「またあんたか? 摘めばどうなる?」
『それは分からぬ』
「そもそも、あんた誰なんだ?」
『分からぬ』
「記憶喪失か? 用がないなら切るぞ?」
『分からぬ。なにも分からぬのだ。ただ、秘密を暴くべきではない。きっとよからぬことが起こる』
「ご忠告ありがとう。ほかに用件は?」
『なにも知るな。人に知識は必要ない』
ふん。
俺は返事もせず受話器を置いた。
意味深なことばかり並べて、具体的なことはなにひとつ説明しない。俺はこういうタイプがあまり好きではない。
それに、もし忠告するなら、もっと早い段階でしてもらいたかった。
佐藤みずきだ。
赤い実に刃を突き立て、ぐじゅぐじゅと中をえぐっていた。
「佐藤さん、なにやってんだ?」
俺が尋ねると、彼女はこちらへ顔を向け、かすかに笑みを浮かべて見せた。
「殺すの」
「そんなことしなくていい。もう戦いは終わったんだ」
「終わってないでしょ、なにも」
黒刀が、ズンと奥へ食い込んだ。
その瞬間、周囲の木々が反応した。
大量の血を吸い、力を取り戻したのであろう。力強く枝を伸ばし、枝先に赤い実をつけ始めた。
かと思うと、実のひとつが落ちた。
地面に衝突し、薄い皮膜が割れ、中のモノがオギャアと声をあげた。
胴体のない、頭部だけの存在。
それが次々と落ち、産声をあげ始めた。
肺もないのに、人間のマネをして、さも生命のフリをしている。
赤い池の中央から、勢いよく巨大な柱が突き出してきた。
ぬめりを帯びた花弁が、螺旋を描いて絡み合っている。
花だ。
(続く)




