登校日
数日後、無盡原。
もし細胞が出現すれば、この戦いも最終局面ということになる。
参加メンバーはいちおう四名。
ただし、女性陣は最初からピリピリしていた。
まず一点目。
なぜか前回の戦いから外されていたこと。
彼女たちからしてみれば、自分たちに落ち度がなかったにも関わらず、一方的にチームから外された格好だ。
とはいえ、志許売が二体も立て続けに襲ってきたとなれば、間違いなく後悔していたに違いないが。
そして二点目。
今回新たにパンツ泥棒が参加していること。
パンドロ氏は自己紹介のとき、律儀にも己の犯歴まで開示してしまった。おかげで女性陣は、なぜこんなヤツがと不信感をあらわにしてしまった。
まあ同性の俺から見てもどうかと思うのだから、彼女たちが顔をしかめるのもムリはあるまい。
「パンドロさん、ちょっと空気をさ……」
俺もつい苦言を呈してしまった。
彼の存在は、間違いなく社会悪だ。しかし意外と会話が成立することもあり、話せば分かるのではと思ってしまう。なにより、彼は命がけで俺を守ってくれたわけだし。
だが彼は肩をすくめるばかり。
「いいんだよ。パンツ泥棒が嫌われるのは当然のことなんだから」
「あえて言わなくてもよかったんじゃ」
「いや、じつは僕もね、僕自身のことを快くは思っていないんだ。なにせパンツ泥棒だよ? 恥ずべき存在さ。裁かれるべき存在なんだよ」
「でももう、牢屋に入れられたんでしょ?」
「政府の管理下におかれてはいるが、それは犯罪によってじゃない。謝肉祭に敗北したせいだ。パンツを盗んだ罪はね、いまだにひとつも裁かれていないんだよ。この世界は間違ってる。僕は失望を禁じ得ないよ」
ご高説をカマしやがる……。
なぜこんな人間がパンツを盗むのだろうか。
真面目なヤツほど逸脱したくなる、というアレなのだろうか。
いや俺は逸脱したくなったことがないから分からないが。
ザンと地面から学校が生えてきた。
『本日は、無盡原高等学校の登校日です。生徒の皆さん、およびゴーストの皆さんは、すみやかに登校してください。繰り返します、本日は――』
親の声より聞いたアナウンス。
しかし俺は思うのだ。
いまの日本は、三人に一人が高齢者だ。
なのにトラウマとして前に立ちはだかるのは、ほとんどが学校ばかり。まあ俺たちは高齢者ではないけれど。
テレビやゲームを見ても、主人公は十代ばかりだ。
俺たちはもう、子供のころの「後悔」を、ずっと引きずりながら生きるほかないのだろうか。
これだけ社会が高齢化してなお、みんな十代のことしか思い出さないなんて……。
無秩序な動物の群れ。
やる気を失った教師たち。
教科書に書いてあること以外、学ぶべきことはなにもない。
現場には「ヤった」「ヤられた」の原始的な成功体験があるだけ。
そしてその成功体験を胸に、少年少女は社会へ出て、歳だけ食って中年になる。
*
学校へ駆け込むと、ダーンとシャッターがおりた。
このシャッターをおろしてるヤツは、マジで一度マナーというものを学んだほうがいい。人をイラつかせる才能はあるのかもしれないが、決して実生活で活用すべきではない。
佐藤みずきがこちらを見た。
「で、今日は冬木さんのトラウマを拝見できるワケ?」
「たぶんな」
「楽しみだわ」
「……」
かつての幼馴染が、こんなサディストになっていたとはな。
俺は階段を無視し、廊下を進んだ。
一年生の教室。
核はすぐに見つかった。
彼は廊下から、教室を覗き込んでいた。
彼というか、当時の俺の姿なのだが。
ハタから見ると、だいぶ変態っぽい。
「え、なんで廊下にいんの? ハブ?」
佐藤みずきが愉快そうに尋ねてきた。
「ま、ハブといえばハブだな。だが締め出されたんじゃない。遠慮して中に入らなかっただけだ」
「なに? いじめられてたの?」
「中に彼女がいたんだ。いや、俺が勝手に彼女だと思い込んでた女がな……」
すると佐藤みずきは、ぎょっとした顔つきになった。
「え、なに? ストーカー?」
「違う。ちゃんと告白して、相手の承諾も得た。問題は、告白したのが俺だけじゃなく、しかも彼女は誰でも承諾してたってことだ……」
そう。
彼女の倫理観はガバガバだった。
同じクラスの少女だった。
少し地味で、髪型もファッションも量産型で、失礼を承知で言えばスレンダーではなかった。なんというか、さらに失礼な言い方をすれば、俺でも付き合えそうな外見だった。
付き合い始めたのは二学期の中盤。
だが、その後、いきなり上級生に呼び出された。
「大事な話があるから、あとで来てくんね?」
難癖をつけられて、暴行を受けるのではないかと危惧したが……。俺は自分に問題はないと信じていたので、堂々と乗り込んでいった。
人気のない場所で待っていたのは、運動部に所属する三年生だった。
「あのさ、知らなかったら悪いんだけどさ」
「はい……」
相手は一人だったが、口の中がカラカラに渇いていた。俺はケンカが強いわけでもない。しかも相手は年上。
「お前、〇〇と付き合ってるの?」
「はい」
殴られそうになったら、全力で逃げようと思った。
しかし彼は意外にも、気まずそうな表情を浮かべて見せた。
「マジかぁ……。いや、ごめんな。俺、知らなくてさ。あいつに声かけたらオーケーしてくれて……」
「えっ?」
「あーでも俺だけじゃねーんだわ。なんか、ほかのヤツらとも付き合ってるらしくて。わりとヤりまくってるらしいんだ。動画とかも出回ってて……。もしかしてお前だけ知らねーんじゃねーかと思って」
「……」
頭が真っ白になった。
俺は彼女と付き合ってから、なんとなく公園で話をしたり、本屋に立ち寄ったり、そんなことしかして来なかった。手さえ握らず、いまにして思えば「清い交際」をしていた。
なのにその間も、彼女はそこらの男と片っ端からヤりまくっていた。
先輩は気遣うような顔になった。
「いや、悪い。べつにさ、いじめたくて呼んだんじゃねーんだわ。ただ、もし知らなかったらナンだと思って……。ま、そんだけだから。あんまショック受けんなよ? な? いい女なんてほかにいっぱいいるしよ。てことで、話はそれだけだから……」
そのときの俺は、かなり悲惨な顔をしていたのだと思う。
先輩は終始申し訳なさそうな態度で、自転車を飛ばして去っていった。
いまにして思えば、かなり親切な先輩だった。
ありがた迷惑と言えなくもないが。
その後、俺は、教室で男子生徒とイチャつく彼女を見つけてしまい、廊下でカタまってしまったというわけだ。
腹の中が、ドス黒い感情でいっぱいになった。
吐きそうだった。
その感情をどこへ向けたらいいか分からなくて、最初は自分を責めた。
しかし自分を責めるのにも限界があったから、やがて世界を責めた。
この世界にはクソしかいねーな、と。
俺はこのクソみたいな世界に生み出された、少数派の、善良な人間なのだと思うほかなかった。
いちどそう思い込んでからは、世界のどこを見ても、もはやクソにしか見えなくなった。なにかの手違いで動物園にぶち込まれてしまった唯一の人間だ。周囲では、野生のサルが、サルの倫理観でギャーギャーやっている。
俺はこの世界に、秩序をもたらさねばならないと思った。
以上の顛末を「仲間たち」に説明したところ、みんな返事もなく黙り込んでしまった。
ま、あまり踏み込みたくない話ではあるだろう。
「お前たち、花を摘みに来たのか?」
核から老人の声がした。
いつもの鳴き声。
俺は興が乗ったので、応答してやることにした。
「もしイエスならどうで、ノーならどうなんだ? 毎度その質問を投げてくるってことは、ちゃんと答えも用意されてるんだろうな?」
「私を試すのか?」
「仮にも人間の言葉を喋るなら、ロジックを示せってことだ。それとも内容もなく、ただブヒブヒ鳴いてるだけのブタなのか? ん? もしそうなら手加減してやるぞ?」
いまの俺は、少し興奮しているのだろう。
感情を制御しきれていない。
核の主張はこうだ。
「私は尋ねているのだ。答えるものではない」
「おいブタ。俺はお前のナゾナゾに付き合う趣味はないんだよ。次の話題に移ってくれ。俺の願いを叶えてくれるんだよな?」
「なにを欲している?」
「些細なことだ。たまには屋敷の外を出歩きたい。こちらはいくらか寿命を差し出す」
あのまま屋敷に軟禁されていたら、きっと精神がもたない。
不満を募らせた俺は、あるいはナミかたま子の口車に乗せられて、不義を働く可能性もある。そしたら寿命が縮むどころじゃ済まなくなる。
大人には、己のストレスをマネジメントする責務があるのだ。
だが、核の返答はこうだ。
「それは私の管轄外だ。鬼司と交渉せよ」
「では死ね」
俺は刀を振り下ろし、廊下から教室を覗き込む赤黒い塊を叩き斬った。
過去の自分との決別。
いや、実際のところなにも解決などしないのだが、そうとでも思うほかなかった。
俺はこれを斬り捨て、過去を忘れるのだ。
忘れたことにするのだ。
*
口には出さないが、みんなが俺を気遣っている感じがした。
ちっとも救いのないトラウマ話だった。それだけに、みんなの同情を買うことはできたらしい。ま、これくらいダサいと、いっそ底辺という感じがして、みんなも素直に憐れむことができるのだろう。
本当に、なにひとついいところがなかった。
大広間では、鬼司までもが慈愛に満ちた笑みを向けてきた。
確実に上から目線だ。
いまは私がいるから安心してください、とでも言いたげな。
この世界は、性的弱者に厳しい。
なぜか全人類が一律にマウントを取ってくる。
悪いことなどなにもしていないのに、必ず低く見られる。
人には得手不得手がある。
普通は、しかしその差を発見したところで、急に攻撃したりしない。
たとえば腕力。
もし母親相手に「腕力が強いから俺のほうが偉い」などと豪語するものがいたら……。間違いなくみっともない。老人や子供相手でも同じ。ま、そういうみっともない人間は、わりと実在するのがつらいところだが。
実在するにしても、それは社会通念上、許されないことになっている。
ところが、性的弱者だけは別なのだ。
みんな当然の権利かのように、揃いも揃ってマウントをとってくる。
自分のほうが上だとばかりに。
ガバガバだとなにか偉いのだろうか。
チンパンじみた価値観だ。いい加減、人類はこういう次元から卒業して欲しいと俺は思う。
ま、こんなことを公言したところで、また陰キャ呼ばわりされるのがオチだが……。
俺は少しムキになっているかもしれない。
それもこれも、パンツ泥棒が俺を憐れんでいるせいだ。
なぜこんな犯罪者に同情されねばならぬのだ……。
いつもならからかってくる佐藤みずきも、さすがにいじったらマズいといった様子で斜め上を見ている。
だが、口元だけはニタニタしているから、頭の中で何度も反芻して楽しんでいるのだろう。
この世界はクソだ。
間違いなく。
(続く)




