殺害予告
屋敷を出て、現実世界へ戻った。
自宅への送迎は、黒塗りの高級車がしてくれる。
人ならざるものが、人間社会でこれだけの福利厚生を提供するのだ。それなりのパトロンがついていると見て間違いなかろう。
景色はやがて見飽きた日常の街へ。
電柱、信号機、コンビニ、それにパチンコ屋とラーメン屋。
だが、以前と違う部分が一点だけある。
それは、ゴーストが見えること。
青白い半透明のゴーストが、街の各所にいるのだ。
いるのだが、人に害をなしているようには見えない。
彼らはベンチでリラックスしていたり、空へ両手を広げていたり、とにかく世界を満喫している。
鬼司の話では、これはただの残像であるらしい。
抜け殻なので動きはない。
無盡原のゴーストは、近づくだけで不快な気持ちが伝わってくるというか、腹の底がギュルギュルしてくる。だが現実界のこれは、近づいてもイヤな感じがしない。
もしかすると成仏できた個体かもしれない。
俺たちが任じられたのは、鬼道師という役だ。
かなり古くからあるものらしい。
いま俺たちの世界に怪奇現象が見られないのは、むかしの人たちが奮闘してくれたおかげなのだとか。真偽のほどは定かではないが、鬼司はそう説明していた。
青白いゴーストが見えるようになったのは、鬼道師になる少し前。
はじめ、それはぼんやりとした空間のゆらぎにしか見えなかった。それが日に日に人の姿に見えてきた。目の病気かと思った。
やがて、鬼司の手のものが自宅を訪ねてきた。
内容はじつにうさんくさかったが、ゴーストが見えているのは事実だし、ほかに相談相手もいなかったから、俺は彼女の屋敷へ出向くことにした。
で、今日に至る。
幼馴染に殺人を依頼されたのは予想外だったが、ほかは特に事件もなくまあまあこなしている……。こなす、というか、俺はぼうっと突っ立ってるだけだけど。
*
いくら世界の狭間で人類のために貢献しようと、現実社会に戻ってしまえば、やることは他のみんなと同じだ。
朝起きて、満員電車に乗り込み、会社で雑用を押し付けられ、サービス残業で日没を待ち、無意味に遅い時間になってから帰宅。
会社に長時間残っていることが忠誠心の現れ、みたいになっている。
早く帰ると嫌味を言われる。
くだらない風潮。
ちゃんと選挙に行ったほうがいいんだろう。選挙で会社が変わるとは思えないけれど。
彼女はいない。
友達も少ない。
洗濯機を回してメシを食うだけの人生。
子供のころは、もっと違うなにかになりたかったはずなのだが……。
*
数日後、また招集がかかった。
しかもこのシステムが妙なのは、召集の数日前に通達が来ること。あらかじめゴーストの動向が分かっているとしか思えない。
神々が、人間とゴーストを使ってチェスをしているとしか思えない。
白いもやの空。
干からびた大地。
無盡原。
遠方から、青白いゴーストたちが、のたのたと重たい足取りでこちらへ迫ってくる。
先頭に立つのはジャージ姿の高橋さんだ。
小柄ながらも機動力を生かし、敵を切り崩してゆく。
忍者のおじさんは意外と腕力で戦う。というか、ひとつも忍術を使う気配がない。ただ忍者のコスプレをしただけのパワー系おじさんなのだろう。
佐藤みずきはみんなのカバーだ。やや後方で、仲間が打ち漏らしたゴーストを仕留めて回る。
で、俺は傍観。
あらためて確認すると、まごうことなきクソ野郎だ。
しかしロクに事情も分かっていないのに、刀をぶん回していっぱい殺しちゃおう、というのもどうなのだろうか。
あいつらは敵、だから殺そう、てなノリだ。
俺はそんなに無邪気には振る舞えない。
武器はみんなおそろいの刀。
素材は分からないが、黒い刀身で、金色の筋が入っている。ゴーストを斬るのに適しているのだとか。
防具はない。
触れられただけで侵蝕されるのだから、むしろ身軽なほうがいい。
「行くよ」
高橋さんが駆けた。
すると忍者も並走。
佐藤みずきも慌てて後を追った。
両陣営が接近し、戦闘が始まる。
音はない。
ときおり「仲間たち」の発する声が響くのみ。
よく耳を澄ますと、遠方からかすかに地鳴りのようなものが聞こえる。
具体的になにかは分からない。
向こう側になにかいるのかもしれない。
最初に衝突のあった位置が戦線となる。
だが敵の数が多いから、次第にこちらは後退することになる。
日によっては、ゲートまでだいぶ迫られることもある。
この場に鬼司はいない。
だから話し相手もいない。
俺はただ、みんながゴーストを蹴散らすのを眺めるのみ。
刀の扱いが苦手だったメンバーたちも、次第に動きがマシになっている。はじめは振り回した拍子に転んだりしていたのに。
この中では、俺が一番弱いかもしれない。
*
やがて銅鑼が鳴り、戦いが終わった。
あとはメシだ。
ゲートを抜け、大広間へ入る。
薄暗い部屋に膳が置かれている。
米、味噌汁、焼き鯛、煮物、浅漬け。
形式はよく分からないが、まあ普通のメシだ。鬼司たちも特別なつもりはなく、ただねぎらいにメシを食わせているだけなのだろう。
沐浴を終え、俺はまたどぶろくをもらった。
ここで飲んでおけば、帰ってからコンビニに寄る必要がなくなる。
佐藤みずきが来た。
俺は体の向きを変えたが、彼女は構わず近づいてきた。
「冬木さん」
「なんだよ……」
こっちは座っているのに、向こうは立ったままだから、妙な威圧感がある。
「そろそろ、みんなと一緒に戦わない?」
「メリットがない」
「なにメリットって? 自分勝手。ひとつくらい私の言うことを聞いてもいいんじゃない?」
「それを他人に強制する権利があるのか?」
「強制ってなによ……」
不満そうではあるが、まだ怒りを表には出していない。
わりとネチこいタイプだ。
「俺は俺の考えがあって傍観してるんだ」
「それも例の思想信条?」
「そうだよ。もし人の思想信条に変更を加えたいなら、それなりの判断材料を示してくれ。俺がガキのころ、あんたにしたことは謝ってもいい。だがそのカードは取っておきたいんだろ?」
「……」
彼女は謝罪を要求してこない。
交渉のカードに使おうとしているからだ。
だから俺もあえて付き合って、謝らずにいた。もし要求があればいくらでも謝罪する。土下座してもいい。
彼女はどっと床に腰をおろした。かと思うと、俺の手をつかみ、徳利を動かせないようにした。ちょうど飲もうとしていたのに。
「ちゃんと聞いて」
「聞いてるよ」
うるさそうに返したのに、彼女はなぜかニヤリと笑みを浮かべた。
俺の「聞いてる」という言葉を引き出すのが目的だったかのように。
「そう。ならいい。本題に入るね」
「本題?」
「次もサボるようなら、あなたのこと刺そうと思う」
「は?」
「本気だよ?」
刺す?
あの刀で?
佐藤みずきはいつもの表情。
なぜ普通の顔してそんなことを言えるのか。
「殺害予告かよ……」
「そう、殺害予告。私ね、もし願いが叶うなら、死んだ子の仇をとりたいの。だから絶対に成功させたい」
ゴーストとの戦いぶりが認められれば、望みがひとつ叶う。
これはチーム戦だから、もし叶うときは、傍観してる俺の願いも聞き届けられる。
それにしても、彼女の望みが人殺しだなんて。
「穏やかじゃないな」
「もしあなたが死ねば、ほかの誰かが補充されるんだって」
「鬼司が言ったのか?」
「そう。だから戦いに参加するか、いますぐ死ぬか、どちらかにして?」
「……」
究極の二択だな。
痛くないなら死んでもいいが、絶対に痛いだろうし。それに、人間誰しも一度は死ねるが、生き返るのは不可能である。つまり片道切符だ。タイミングはよく考えたい。
「俺が死んだら謝罪の機会を失うぜ?」
「そのときはどちらにしろスッキリするからいいわ」
「嫌われるのは慣れてるけど、まさか殺したいほどとはね」
「用件は伝えたから。あとは行動で示して」
もはや蹴られてシクシク泣いていたあの佐藤みずきではない。
怖い女になってしまった。
*
彼女が去ってから、俺はひとりで酒を続けた。
静寂。
家鳴りもないし、行燈も音を立てない。
「なあ、鬼司さんよ」
「はい?」
じっと虚空を見つめていた彼女は、スイッチが入ったようにこちらへ顔を向けた。
引き眉でお歯黒。
一見、怖い。
だがベースが美形すぎる。
いちど現代風のメイクでご尊顔を拝したいものだ。
「さっきの、どう思う? あの子、本気かな?」
「さあどうでしょう」
「鬼司さんはどうなの? 俺が戦わないの、正直、こころよく思ってないんじゃない?」
「いいえ。どのような行動をとるのかは、各人の心持ち次第ですので」
本気か?
全員がサボったらどうするつもりなんだ?
まあどうでもいいのかもしれない。
よく分からない。
俺は徳利からどぶろくを一口やった。
「むかしの人たちはどうだったの? 俺みたいなヤツ、いた?」
「いいえ。慎重な人間や、臆病な人間はいらっしゃいましたが、ここまでやる気のない人間は初めてですね」
「そう……」
できれば「慎重な人間」に分類して欲しかったところだが。
俺は話題を変えた。
「まあいいや。んで、ちょっと考えたんだけどさ。もし願いが叶うとして、あくまで参考としてなんだけど、あなたを俺のものにすることはできるのかな? あくまで参考ね、参考」
かなり恥ずかしいことを言っている自覚はある。
酒を飲むとクソになる人間はたまにいる。それが偶然、俺だったようだ。
彼女は手で口元をおさえ、くすくすと笑った。
「わたくしに、夜伽の相手をせよと?」
「一晩だけじゃない。永遠に」
「命が尽きるまで?」
「まあ、そうなるかな。あくまで参考にね」
なごやかな談笑。
いい雰囲気なのでは。
鬼司は愉快そうに目を細めたまま、こう応じた。
「せっかくの願いを、そのようなことに使うのはもったいないこと。なぜなら私は、その気になれば、あなたの人生を一瞬で終わらせることもできるのです。たった一夜の欲のために、命を落とすなど」
「一瞬で死ねるのか?」
「ええ、本人も気づかぬ間に」
「最高だな」
やる気が出てきた。
褒美につられて戦うのはダサいが、脅されて戦うのはもっとダサいからな。比較的マシなほうを選ばねばならない。
人生において、自分で自分を納得させるというのは、じつに大事なことだ。
というか人類は、だいたいそれしかやってない。もし失敗すればみじめになるし、成功すればノーダメージを気取っていられる。
人は精神衛生のために、バカみたいに金を使う生き物だ。心は無料じゃない。
本当に、大事なことだ。
(続く)