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The World Savers  作者: 不覚たん
救世編
19/32

ごっこ

 カレーの仕込みをするため、鬼司は奥へ行ってしまった。

 俺には手伝うことさえ許されない。

 外出もムリ。

 ただこの大広間で、寒さに耐え続けるしかない。

 いちおう火鉢はあるのだが……。

 じつに退屈な世界だ。ブラック企業に勤務するよりマシとはいえ、あまりに自由がなさすぎる。人権団体は可及的速やかに俺のための活動を始めて欲しい。


 ふと、玄関の戸がガラガラと開いた。

 来客だろうか。

「カレーと聞いて参上いたした」

 たま子だ。

 手ぶらで来やがった。


「ふぅ、なんとか間に合ったようだのぅ」

「どうやって察知した?」

「ふむ。暇なときはずっと監視しておるぞい。なにか問題かの?」

「問題だらけだろ……」

 当然のような顔で火鉢に当たり始めた。


 すると奥から鬼司が戻ってきて、困惑しつつもどうにか笑みを浮かべた。

「これはこれはたま子さま。本日はどのような御用向きで?」

「カレーじゃ」

「夕飯までは時間がありますので、お茶菓子でもお出ししましょう」

「大福が食いたいのぅ」

 この古物商、屋敷を子供食堂かなにかと勘違いしているのでは。


 鬼司が奥へ消えると、たま子はごろんと横になり、また脇腹をぼりぼりかき始めた。怠惰を絵に描いたような姿だ。

「はぁ、しかしおぬしらにはガッカリじゃわい」

「なんのことだ?」

「せっかくコスプレ衣装を用意したのに、ちっとも出番がないではないか。わしは毎晩、それだけを楽しみに監視しておるのじゃぞ」

「監視するな。あんたらの倫理観どうなってんだ」

 思えばナミにも監視されていた気がする。

 ここは覗き放題なのか?


 たま子はやれやれとばかりに溜め息。

「倫理観? なにを言うとるか、この人間は。わしゃ猫又じゃ。つまり畜生じゃ。倫理観などガバガバに決まっておろう?」

「あんたはそうかもしれないが、俺たちは違う」

「俺たち? 『たち』とは誰のことを言っとるんじゃ? 鬼司か? 鬼なんぞ、畜生よりもガバガバじゃろ?」

「いや、彼女は下半身こそガバガバかもしれないが、それ以外はわりとしっかりしているぞ」

「問題はその下半身のほうじゃ。びっくりするほどガバガバじゃぞ。知っとるか? あの女、黄泉国の亡者に誘われるまま、ひと月くらいほうけておったこともあるのじゃぞ」

「は?」

 亡者と?

 ひと月も?


 たま子は愉快そうに笑った。

「亡者は本能に忠実じゃからの。ナミとの戦いさえなければ、いまでもそうしておったかもしれん。あやつ、犬とも平気で交わるしのぅ。身持ちのカタいわしには理解できぬわい」

「犬!?」

「それが鬼というものじゃ。なのにおぬしが相手をしてやらぬから、きっと欲求不満が溜まっておるぞ。いまのあやつなら、わしでも余裕で落とせるわい」

 実際、林田雷花に落とされそうになっていた。

 鬼の倫理観はそこまで低いのか……。


 すると鬼司が現れて、お茶菓子を用意し、また奥へと消えていった。

 一連の会話は聞かれていないはず。


 たま子は横になったまま、大福をもちゃもちゃと食べ始めた。

「そういえばおぬし、起請文きしょうもんは読んだのか?」

「起請文? それはなんだ?」

「鬼司とナミが交わした契約書のことじゃ。黄泉国の政府が保管しとるはずじゃぞ」

「黄泉国だって? そんなとこ、俺が行けるわけないだろ……」

 死んだならともかく、まだ生きているというのに。


 するとたま子は身を起こし、渋い顔でズビズビと抹茶をすすった。

「はぁ? 知らんのか? おぬし、いちおうここの支配者なのじゃぞ? 黄泉国なんて入り放題なのに」

「支配者?」

「ナミと支配権を争っとることにはなっとるが、それは表向きの話じゃ。法的には、鬼司が支配しとることになっとる。おぬしはその夫ゆえ、自動的に無盡原の支配者ということになるのじゃ。もはやただの人ではないのじゃぞ?」


 まったく知らなかった。

 屋敷に軟禁されているだけの凡夫ではなかったのか。


「ま、急に行っても、向こうの役人も困ると思うが……。それでも統治者としての資格は有しておるのじゃ。きゃつらも追い返すことはできまいて」

「わざわざ揉めるのは好きじゃない」

「また坊さんのようなことを言いよる……。もっと煩悩を解放せい。さすれば鬼司のお股も開かれよう」

 セクハラ野郎だなこいつ……。

 畜生というのは間違いないらしい。


 俺はつい溜め息をついた。

「時期が来れば、彼女とはちゃんと仲良くするつもりでいる。だが、覗くんじゃないぞ。最低限のマナーは守ってくれ」

「畜生にマナーを説くでない。わしゃほかに人生の楽しみもないんじゃ。聞く耳持たん」

「貯金はどうなんだ? それが人生の楽しみじゃないのか?」

 俺の反論に、たま子はピクリと眉を動かした。

「そうじゃそうじゃ。忘れておった。おぬし、わしにタマタマを売らぬか? ひとつ十億で買うぞ?」

「ムリだ。使う予定があるからな」

「使う? 誰に?」

「誰でもいいだろ……」

「うぅ。今年はハズレ年じゃのぅ……」


 それからしばらく、火鉢の立てるパチパチという音を聞いた。

 たま子は仰向けになり、俺の大福までたいらげて、指をペロペロなめていた。


「はぁ、それにしてもつまらん家じゃ……。おぬし、こんなところでじっとしていて、頭がおかしくならんのか?」

 遠慮がなさすぎる。

 だがまあ、言っている内容には共感できなくもない。

「たしかに、ここにはテレビもラジオもネットもない。かといって読書の習慣もないし。たぶん俺の脳細胞は、急速に死滅していると思う」

「ハプニングが必要じゃよなぁ?」

 怪しい笑みを浮かべ、彼女はこちらを見つめてきた。

 このガキ、いったいなにを企んでいるのだ。


「おぬし、ちと鬼司とまぐわってきてくれんかの」

「まぐ……?」

「久々に見てみたいのじゃ。どうせ夜中にこっそりやったところでわしが監視するんじゃ。目の前でしたところで同じじゃろ?」

「さすがに怒るぞ」

 とはいえ、あまりにしょうもなさすぎて、じつのところ怒りさえわいてこないのだが。


 たま子にはまったく悪びれた様子がない。

「だったら、なにか面白いことでもして欲しいもんだの。暇すぎて死んでしまうわい」

「もし暇で死ねるなら、俺なんかとっくに死にまくってるよ」

「レディーをもてなすトークさえできないようでは、男として失格じゃぞい」

 よくレディーを自称できるな。

 人の大福まで食って横たわってるクソガキが。


 たま子は「あー」と魂の抜けるような声を出した。

「かといって、いまわしらが事を始めれば、カレーの具にされるのは必定」

「身持ちがカタいんじゃなかったのか?」

「うむ。カタいのじゃ。そこで、わしらで結託し、鬼司を襲うのはどうじゃ? あやつも溜まっておるし、わしも楽しい。これなら互いにウィン・ウィンじゃろ? の?」

 なにが「そこで」なんだ。

 ちっとも前段と話がつながっていないぞ。

 畜生めが。

「断る」

「なぜじゃ!」

「あんたが混ざる必要はない」

「はぁ? 仲間外れにするつもりか? あのコスプレ衣装用意するの、わりと大変じゃったのに!」

「ほかを当たってくれ」

 たま子は仰向けになってドタドタし始めた。

 マジでこのガキは……。


 俺以外の男なら、もしかしたらこのアイデアに乗ったかもしれない。

 だが俺はムリだ。

 抵抗がある。


 放置していると、たま子はようやく落ち着いた。少なくともドタドタはやめた。

 というより、なにか思いついたのか、あくどい顔でこちらを見ている。

「おぬしも気づいておるかもしれんが。あの女、男に抱かれておる間、ずっと前髪を気にしておるよなぁ?」

「は?」

「なぜか分かるかの? ん? どうなんじゃ?」

 いきなりセクハラかよ。

 自分が法外の存在なのをいいことに、かなり強気にカマしてくる。


 俺は人生で何度目かの舌打ちをした。

 こんな失礼な態度はめったに取らないのだが、今回はさすがにセーブできなかった。

 たま子はしかしニヤニヤしている。

「鬼司め、角を切ったせいで、そこだけ髪が生えてこなくてのぅ。ずっと気に病んでおるのじゃ。それで男にバレんよう、ひたすら前髪を気にしておる。ああ見えて、意外とかわいいところもあるのじゃ」

「そんなこと言いふらしてると、いつか怒られるぞ」

「ふん。すでに何度も怒られておるわ」

 少しは反省しろよ。


 *


 くだらない話をしているうち、夕飯の時間になった。

 いつもより少し早めだったが、たま子のために時間を繰り上げたのだろう。


「わはー! カレーじゃ! ハンバーグもあるぞ! いただきまーす!」

 配膳されるや、たま子は即座に食事を始めた。

 わざわざこのために来たくらいだ。よほど楽しみだったのだろう。


 実際、香辛料のいいにおいがする。

 粉から作ったものだろうか。ルーはわりとサラサラしている。米の炊き加減はややカタめ。さっきは用意しないと言っていたのに、福神漬けまである。いや、たくあんを刻んだものかもしれない。

 食器はピカピカに磨かれた銀のスプーン。

 これが膳に載せられているのは不思議な感じだが、とにかくいただくとしよう。


「はぐはぐはぐっ! おかわりっ!」

 たま子はもう食い終えてしまった。

 口の周りをカレーまみれにして、まるで子供だ。

「いまお持ちしますね」

 鬼司はまだ一口も食べていないのに、要求に応じて奥へ行ってしまった。


 たま子は満足顔だ。

「料理もうまいし、じつにいい嫁じゃのぅ。正直、羨ましいわい」

「それは誰かにとって都合のいい嫁ってことか? 俺は少し働きすぎだと思うんだが」

「なにを面倒なことを言っておるのじゃ。本人が満足しとるんじゃから、それでよかろう」

 本人がいいと思っている。

 他者の意見がそれを超えることは、おそらくできまい。

 いくら俺が人間社会の倫理観を持ち込もうとしても通じないわけだ。


 たま子はすこぶるめんどくさそうな顔になった。

「おぬしのぅ……。少しは相手のペースに合わせることをおぼえたほうがよいのではないか? なんでもかんでも杓子定規に考えて」

「けど構造的に考えてさ、交換可能性を想定しないなんてことは……あー、つまり、仮に立場が入れ替わった場合であっても、果たして同じことが言えるのかという命題を、俺たちは常に……」

「それじゃ! そのめんどい考え! 細かすぎるのじゃ! そんなんで、よく鬼なんぞと結婚する気になったのぅ」

 よく考えたらそうだな。

 なぜ結婚したのだろう。

 いや、請われるままに一晩泊まったら、いつの間にか結婚していたのだったか。


 たま子は腕組みし、説教親父みたいな顔になった。

「郷に入りては郷に従えというじゃろ? ここはガバガバの倫理観が支配するガバガバランドなのじゃ。鬼司だって、この戦いにかこつけて、男をあさって婚活みたいなことしとったしの。それで引っかかったのがおぬしじゃ。おぬしももっとガバガバになったほうが楽でいいぞい」

「難しいことを言うな」

「なにが難しいんじゃ? こんな簡単なことも理解できんのか? おぬし、さては大うつけじゃな?」

「……」

 反論できなかった。

 俺の理屈は、理屈の上では正しいはずなのだが、ここではむしろ間違っている気さえしてくる。

 価値観がおかしくなりそうだ。


「分かってやってくれ。前にここを支配しておった男は、とんでもないゲス野郎での。鬼司は正妻とはいえ、なかば家畜同然の扱いじゃった。じゃからいまは、こういう絵に描いたような夫婦ごっこが楽しくてしょうがないのじゃ。せめて飽きるまでは付き合ってやってくれんかの」

「分かったよ」

 たとえ理不尽に見えても、本人が望んでいる間は、それをさせたほうのがいいのかもしれない。その場合、話を次へ進めるのは、彼女が飽きてからということになるが。

 問題は、むしろ俺のほうが飽きている点だ……。

 ただ座してメシを待つだけの人生。

 まるで家畜かペットだ。

 せめて話し合いの席を設けるくらいはしたい。

 仮に「ごっこ」であったとして、それでも夫婦になったのだから、長く続ける努力をしなくては。


(続く)

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