人ならざる力
招集。
また咎人が来た。
人間社会は冬になったのに、ここ無盡原はずっと一定の気温を保っている。うすら寒いが、凍えるほどではない。
「今日も志許売が相手かねぇ。もしそうなら手っ取り早くていいんだけど」
「意味ないってぇ……」
「うるせーぞ山根!」
「……」
ギスギスしている。
この三名は、たまたま謎の身体能力を有しているだけであって、特に仲間というわけではないのかもしれない。
パンツ泥棒が近づいてきた。
「冬木さん、老化ってなんだと思う?」
「はい?」
この男は中年に見えるが、老人には見えない。
いったい急になんだというのか。
「若いときってさ、今日は絶好調だって日もあれば、そうでない日もあるでしょ?」
「はぁ」
「だけどね、だんだん絶好調じゃない日が増えてくるんだな。いつしかそれが普通になって。なんだか不調だなって日が増えてきて、それも普通になって……。ずっと違和感の中で生きていくことになるのね。僕はね、それが老化だと思うんだなぁ」
「……」
これから戦闘だってのに、いきなりネガティブな話をしてくる。
「僕ね、誇りをもってパンツ泥棒してんの。絶対にミスしない。家の人間に悟られないように、パンツだけ持ってくの。だけど、たまに不調の日もあって……。難しいよね、人生って」
「はぁ」
パンツ泥棒を基準に人生を語りよる……。
「ほら! 来るよ! ロックンロールだ!」
「マジ意味ないってぇ……」
ゴーストが登場して、俺たちも一斉に駈け出した。
といっても俺だけ足が遅いから、ほぼ置き去りなのだが。
*
咎人たちの攻撃は俊敏だった。
普通に戦っていれば、ゴーストの数に押されて戦線が後退するものだ。しかし彼らの場合、そんなことさえない。むしろガンガン押し込んでいる。
なにせ刀の一閃で、ゴースト数体を一気に蹴散らすのだ。
並の技ではない。
ザンと花の柱が生えた。
林田雷花が嬉しそうに向き直った。
彼女にとっては、ただの狩りなのだろう。
花が咲き、志許売が来た。
そこまでは、前回と同じだった。
戦っている林田雷花以外、みんな余裕で見守っていた。
だが、今日は違った。
さらに背後から、花の柱が生えたのだ。
二体目の志許売が来た。
「ぴゃあああああああああっ」
凄まじいスピードだった。
ぼうっとしていたロン毛が「意味な」まで言いかけたところで、その首が刎ね飛ばされた。
「ありゃりゃ、死んじゃった」
パンツ泥棒は慌てて刀を構えた。
今日は林田雷花も苦戦している。
志許売の動きが早い。というか強いのか。なんだかいつもと違う感じがする。
パンツ泥棒はこちらも見ずに告げた。
「君、逃げたほうがいいかもね」
「えっ?」
「がぁッ」
血まみれの林田雷花が地面を転がってきた。
まき散らされる血液。
小さな花が咲いてゆく。
肩口を食いちぎられたらしい。
「逃げろ冬木! こいつ強ぇぞ!」
林田雷花はなんとか立ち上がったが、すぐさま志許売に横倒しにされ、地べたに押し込まれてしまった。
パンツ泥棒も困惑している。
「僕、まだ死ぬ予定じゃなかったんだけどなぁ……」
これは苦情か?
それとも別れの挨拶だろうか?
俺は逃げた。
恥も外聞も捨てて、みっともなく、一目散に。
絶叫と怒号が遠ざかってゆく。
*
広間に駆け込むと、鬼司も不安そうな表情で待っていた。
「旦那さま! よくぞ御無事で!」
「けど咎人たちが……」
「ええ。それが彼らの役目ですから……」
すっと抱き着いてきた。
仲間が殺されたというのに……。
だが、俺は彼女を受け入れた。彼女は俺を心配してくれて、策を講じてくれたのだ。だから俺は生き延びることができた。
「まさか二体も出てくるとは思わなかった」
「はい。しかも呪術により強化されていた様子。ナミはああ見えて、呪術師としては腕が立ちますから」
志許売を強化できるのか。
つまり、本気で俺を殺しに来たというわけだ。
だが、敵は志許売を使い切った。
あとは俺が核を破壊すれば、社稷とやらのご登場というわけだ。
などとしんみりしていると、ズル、と、なにか引きずる音がした。
志許売だろうか?
まさか、こんなところにも入ってくるのか?
奥から姿を現したのは、しかし志許売ではなかった。
瀕死の林田雷花を抱えたパンツ泥棒。二人とも血まみれだ。
「はぁ……死ぬかと……思った……」
そうつぶやいて、パンツ泥棒は床へ倒れ込んだ。
*
外から黒服やら医者やらが駆け込んできて、二人は車で運び出された。
パンツ泥棒はともかく、林田雷花は助からないかもしれない。
俺は食事を先送りにして、沐浴を済ませた。
恐怖で体が震えた。
何度もタオルを落としてしまった。
大広間に戻っても、食欲は回復しなかった。
「旦那さま、ご無理なさらず、本日はお休みになってください」
「うん。悪いけど、そうさせてもらうよ」
例のコスプレ衣装は、まだ出番がない。
きっと鬼司も恥ずかしがって言い出せずにいるのだろう。
俺たちはいま、特にいい雰囲気というわけでもないし。
*
その後、林田雷花が九死に一生を得たという話を聞いた。
しかし戦いに参加できる状態ではないらしい。
「敵陣はもう志許売を使えないはずですが、しかしどんな手を使ってくるか分かりません。そこで、次回も四名で作戦にあたっていただこうと思います」
ある昼、鬼司は俺にそう言ってきた。
「四名って?」
「おそらくは旦那さま、鈴木さま、佐藤さま、高橋さまになろうかと」
「鈴木さん?」
「咎人の一人です」
あのパンツ泥棒か。
「チャラ男はクビなのか?」
「クビではありませんが。彼はまた出動を拒否するかもしれませんので」
サボっていても、もらえるものは同じだ。
彼にとっては悪い話ではなかろう。
俺は溜め息をつき、ついでに話題を変えた。
「あの咎人たち、なんであんなに強かったんだ? 改造手術でも受けたとか?」
すると鬼司は、不審そうに目を細めた。
「なぜそのようなことに興味が?」
「いや、普通疑問に思うだろう。あきらかに人間の動きじゃなかった」
「……」
言いたくなさそうだ。
だが彼女は、意を決したような表情でこちらを見た。
「分かりました。本来なら、時期が来てからご説明するつもりでおりましたが……」
「つまり、俺たちの仕事と関係があるんだな?」
「はい。彼らは、鬼の肉を食ろうたのです。人としての自由と引き換えに」
鬼の肉を食った?
いったいどういう経緯で……。
鬼司は忌々しげに溜め息をついた。
「じつは彼らも鬼道師なのです。旦那さまと同じように、この戦いの参加者でした。社稷を破壊すると、御馳走が用意されます。それは鬼たちを潰した肉。もし口にすれば、人ならざる力を手にすることができるというもの」
「いったい誰がそんなものを……」
「黄泉国の規定でそうなっております。課題をクリアしたものには、人ならざる力を授けるべきだとかで。バカバカしい風習だとは思うのですが」
つまりあの咎人たちは、社稷を破壊し、鬼の肉を食ったということだ。
「もし食えば、自由を制限されるのか?」
「旦那さま、どうかそのような蛮行に興味をお持ちにならないでください」
「食わないよ。ただ、事実を知りたいだけだ」
残りの人生を牢屋で暮らすなんてまっぴらだ。
鬼司は観念したようにうなずいた。
「人ならざる力を有すれば、もはや人ならざる存在も同じ。人間社会で自由にさせておくことはできませぬ。これは私個人の判断ではなく、日本政府との合意でもあります」
「つまり政府の施設にぶち込まれるってことか?」
「同じ家で暮らせなくなります」
「それは困るね。俺は食わないよ。約束する」
だいたい、鬼の肉など食欲がわかない。
鬼司は意外とうまそうな体をしているが。本当に食ったらただのサイコパスだ。
もし俺が、日頃から力に飢えていたらどう判断したかは分からない。しかしいまのところ、特にそんな気分でもない。
ただ、佐藤みずきと高橋真理の考えは分からない。
あの二人は力に飢えている。
のみならず、人間社会の秩序に辟易している。
鬼の肉に手を出してもおかしくはない。
俺にはそれを止める権利さえないのだが。
虚しい話だ。
世界を救うなんてお題目を信じて、みんな鬼道師になった。
しかし生きたまま最後を迎えられないものもいる。人の道を外れるものもいる。俺のように、この屋敷を出られなくなったものもいただろう。
はたして、なにごともなく、日常生活へ帰れたものはいたのだろうか。
この戦いの果てに、みんなどこかしらこじらせたのでは、という思いがする。
「旦那さま、なにか食べたいものはございますか?」
「たまにはカレーとか……」
「まあ。では奮発してハンバーグもお付けしましょう」
「ありがとう。嬉しいよ」
なんとなく、ずっと和食ばかりだった。
頼めばちゃんとカレーも食わせてくれるのだ。
俺が勝手に制限されていると思い込んでいるだけで、じつはずっと自由なのかもしれない。
「なあ、鬼司さんよ。たまには外出とかもしてみたいんだけど……」
俺がそう言いかけると、微笑していた彼女の顔から、すっと表情が消えた。
「なぜ?」
「え? いや、気分転換とか……」
「必要なことですか?」
「あー、うん……まあ、どうだろうな……あはは……」
ダメみたいだ。
外出はできない。
なぜなら彼女は、過去、それで男に逃げられているからだ。
あんまり言うと、そのうち柱に縛り付けられるかもしれない。口は災いの元だ。
「あ、そうだ。カレーには、福神漬けもあると嬉しいな」
「福神漬け? そんなおめでたいものを鬼が用意するとでも? たくあんで我慢してください」
「はい」
たくあんも悪くはない。
彼女の漬けたものは特に。味が強すぎないし、歯ごたえもある。
ここにいる限り、食事の心配はないのだ。世話もしてくれる。だが、このままここで一生を終えるのかと思うと、それも不安になる。
「鬼司さん、怒ってる?」
「いいえ。怒ってません」
能面のごとき無表情。
これは怒ってるな。
あとでなんとか挽回しなければ……。
(続く)