古物商
それからの数日は平和なものであった。
初冬になったのであろう。
外の竹に積もったらしい雪が、ときおりどさと落ちる音がした。
朝食を終えると、鬼司は水屋に入った。
彼女はいつもなにかを作業している。
ずっと働きっぱなしだ。たまには休んで欲しいのだが……。
俺は広間で、ただ闇溜まりを見つめるのみ。
ここではほかにすることがない。
たまに刀を振るってはみるものの、手本がないから、いびつな我流になる。変なクセがつきそうだ。ただ、金属を振り回しているのだから、少しだけ腕力はつくかもしれない。
ともあれ、今日は座っているだけだ。
話し相手さえない。
鬼司はずっとこんな環境で暮らしていたのだろう。人恋しくなるのも分からなくはない。
ふと、コケシのような少女が迷い込んできた。
ナミではない。
両手に風呂敷包みを持ち、しかも体にまで風呂敷を巻きつけた大荷物の子供。どこからか家出でもしてきたのだろうか。それとも座敷童か?
「鬼司はおるか?」
少女はそんなことを言った。
「奥にいるけど……。君は?」
「わしか? わしは古物商のたま子じゃ。ちぃと邪魔させてもらうぞい」
それだけ告げると、奥へ行ってしまった。
ややすると、鬼司の小さな悲鳴。
しかし事件性のあるものではない。急に顔を出したから驚いたのだろう。
「あ、あの、違うのですよ? この方、なんの連絡もナシに来たから、ちょっと驚いてしまって」
鬼司はやたら焦った様子で、少女の手を引っ張りながら戻ってきた。
すでに荷物はない。
「なんじゃなんじゃ。わしが悪者みたいではないか。おぬしが持ってこいというから持ってきたのに」
「そ、そうですね。たま子様は悪くありません。悪いのはすべてこの鬼司です」
焦りすぎている。
なにか隠し事でもあるのだろうか。
まさかあの荷物、また黄泉国の大蛇ではなかろうな……。
「ほら、たま子さま。お座りになって。いまお茶をお出ししますから」
「抹茶がよいのぅ」
「ではそのように」
鬼司はなにかを誤魔化すように、しきりに頭をさげつつ通路の奥へ消えた。
怪しすぎる。
俺はつい、たま子に尋ねた。
「彼女はなにを隠してるんだ?」
「気になるか? しかしわしの口から言ってよいものやら……」
「じゃあ聞かずにおこう」
すると彼女は、ぎょっとした顔でこちらを見た。
「いまなんと? わしの聞き違いか? 『じゃあ聞かずにおこう』とな?」
「そう言ったが……」
「なんてことじゃ。好奇心は猫をも殺すというのに。それを抑え込んだというのか……」
「あるようにあれ、だ。知るべきときがくれば、知ることになる。知らないままなら、それもまたそれ」
これはただ事実であり、そしてなかば強がりだ。
誰しも、すべての秘密を知ることはできない。相手が望まないときは特に。
だから自分にこう言い聞かせ、俺は「知らない」という選択をする。
たま子はポリポリと頬を掻いた。
「気味の悪い人間じゃの……。まるで悟りを開いた坊主じゃな」
「そんな高尚なものじゃない。金庫を開くには鍵がいる。鍵がないならこじ開けない。単にマナーの問題だ」
「なるほど。ただのめんどくさい男じゃったか。鬼司もようこんなのと一緒になったな」
「……」
そこまで言わなくていいぞ。
俺だってちゃんと分かってるからな。
だが、彼女はどうしても言いたいらしかった。
「でもわしが教えると言ったら、おぬしも聞きたいじゃろ?」
「まあ、教えてくれるのなら」
「ふむふむ。よい心がけじゃ。知りたいんだの? そうだの? もう坊さんのようなことは言わぬの?」
「ああ、言わないよ」
ウソだが、とっとと聞き出すには肯定するしかない。
俺も人のことを言えないが、この子供もとんでもなくめんどくさい。
「ふむ! では教えて進ぜよう! あれはな、わしが持ってきたのはコスプレ衣装なのじゃ。おぬしが最近冷たいというので、特別に用意してやったのじゃ」
「コスプレ……」
「安心してよいぞ。わしは古物商じゃが、新品も扱っとるでな。旧知の針子に作らせた」
これは聞かないほうがよかったかもしれない。
コスプレか……。
きっと夢のある話に違いない。だが、それでも彼女は引き眉でお歯黒のままだろう。幽霊のコスプレ以外、似合うはずもない。
するとたま子は、いきなり仰向けになってドタドタ暴れた。
「なんじゃそのリアクションは! わしがせっかく教えてやったのに! 反応が薄くて哀しいぞい!」
「ああ、悪かった。とてもスッキリしたよ。教えてくれてありがとう」
「もっとじゃ! もっと感謝するのじゃ!」
「なんだよ、めんどくせーな……」
おっとつい本音が。
たま子の動きもピタリと止まった。
「ほう。ついに本性を現したの、人間よ」
「本性?」
「目の前でちびっ子が泣きわめいていても、めんどくせーの一言で済ますその根性じゃ! きっとやや子ができても、そんな態度じゃぞい! DV夫じゃ!」
「いまのは誰がどう見てもめんどくさいだろ」
「ほらそれ! 『誰がどう見ても』じゃと? 自分の感想を、さも世界の総意のように言う! わしが一番嫌いなタイプじゃ!」
まるでネットのレスバみたいな言い様だ。
いや、過去に俺がそう言われたわけではないが……。
通路の奥から盆を手にした鬼司が戻ってきた。
「あの、なにか揉め事でしょうか?」
ところが数秒前まで暴れていたたま子は、さっと座布団に座り直し、衣服を整えた。
「いや、揉めてはおらぬ。ちと世間話をしておっただけじゃ」
「ならよいのですが」
世間話ってレベルじゃなかったけどな。
盆には大福と抹茶があった。飾りつけは、外からとってきた笹だろうか。とても趣がある。
「ふん、やはり大福を隠し持っておったな。わしは知っとるのじゃ。おぬしが毎夜、こっそり大福を食らっておることを」
「な、なんのことやら……」
鬼司は露骨に目を泳がせた。
いや、特に隠さずとも、堂々と食ってくれていいのだが。
たま子は作法など知らんとばかりに大福をわしづかみにし、もう片方の手で抹茶をズルズルとすすった。
「うまい! 鬼にしてはいい茶をたてるのぅ」
「お粗末さまです」
だが俺は気になった。
用意されたのは俺とたま子の分だけで、鬼司の分がない。
「君は食べないのか?」
「ええ」
「いや、それは哀しいだろう。ほら、半分食べなよ」
「ですが、それは旦那さま分ですので」
「君が食べてないのに、俺だけ食べるわけにはいかないよ。もしイヤでも、我慢して半分食べてくれ」
「そ、そうですか? では……」
彼女は隣に来たかと思うと、竹串で切って、品よく口に放った。
目を細めて、とてもうまそうに食う。
「カーッ! 見せつけてくれるのぅ! アツアツではないか。夫婦仲がさめ切っとるというから、せっかくわしが……げふげふ。じゃというのに、なんなのじゃこのザマは……。もっとギスギスしとるところが見たかったわい」
たま子は不貞腐れてしまった。
だが、夫婦仲がさめているというのは、おそらくそんなに間違った指摘ではない。
鬼司は俺の態度を不安がっているし、俺はその態度を変更できていない。
俺が悪い。
なにもかも。
「旦那さまは召し上がらないのですか? お抹茶がさめてしまう前に」
「ああ、そうだね。もらうよ」
彼女に抹茶を供されるのは初めてだ。
いつもは急須で入れた茶ばかり。
たま子はもちゃもちゃと大福を食った。
「で、鬼司よ。今年はどれくらいを見込んでおるのだ?」
「はい?」
「タマタマじゃ」
「命の玉でございますか? この調子ですと、七つほど」
そういえばこの古物商は、命の玉を商材にしているのだったか。ひとつ十億円とか。
たま子はズズーッと抹茶をすすった。
「咎人どものはタダ同然で召し上げるとして、あとはどうなんじゃ? わしに売ってくれそうなのは誰じゃ?」
「さあ、皆目見当が……」
俺は忍者を生き返らせるのに使う。
だから売る気はない。
佐藤みずきは売るかもしれない。
捨てるかもしれない。
ちょっと読めない。
チャラ男は売るだろう。
なにせ十億だ。
高橋さんは……。
生き返らせたい人間がいるのだろうか。
もし忍者が父親だと知れば、そうするかもしれないが……。俺はあえて言う必要はないと思っている。
たま子はふんと鼻を鳴らした。
「業つくばりの成金どもが、まだかまだかとうるさくての。ひとつ百億。それでも欲しがる。誰だって死にたくはないからのぅ」
俺たちから十億で買い取ったものを、さらに十倍の値で売り払っているのか。
じつに大層なビジネスだ。
俺もズズーッと茶をすすった。
「もし百億用意すれば、俺でも買えるのか?」
「ふぅむ? 特別に売ってやってもよいが……。誰か生き返らせたいものでもおるのかの?」
「いや、別に。聞いただけだよ」
「気味の悪い男じゃの……。鬼司よ、男はちゃんと選んだほうがよいぞ。わしはこの男、なんじゃか好きになれん」
可哀相に、ぷるぷる震えている。
そんなに怯えることもなかろうに。
鬼司は袖で口元を覆い、くすくすと笑った。
「ちゃんと選びましたよ。私にぴったりの旦那さまを」
「はぁ。おぬしはいつもいつも……ちゃんと選んどるのか選んどらんのかよう分からんの。まあいい。わしゃちぃと横になる。夕飯になったら起こしてたもれ」
メシを食って帰る気だ。
とんでもなくツラの皮が厚い。
俺は隣の鬼司に尋ねた。
「彼女は、なんなんだ? 古い付き合いなのか?」
「ええ。ああ見えて、私より長生きですよ」
人は見かけによらないな。
いや人でさえなさそうだが。
鬼司が空になった盆をさげようとしたので、俺も腰を上げた。
「手伝うよ」
「いえ、私がやりますので、旦那さまは座っていてください」
「なんでそう頑固なんだ?」
「外ではどんな風習か知りませんが、ここではこのやり方ですので」
「……」
そう言われては、座っているほかない。
しかしそうなると、脇腹をぼりぼりかきながら横たわる古物商を眺める以外、特にすることがなくなってしまう……。
こんな少女が莫大な金を動かしているとは。
金をしこたま溜め込んで、いったいなにに使う気なのだろうか。
いや、すでに手段と目的が転倒していてもおかしくない。
金は「溜めるのが目的」というものもいる。
使いもせず、ひたすら数字を増やし続けるのだ。
長く生きていると、ほかに楽しみもなくなってくるのだろう。
(続く)