ご祝儀
大広間で飲む酒はうまい。
美しい鬼司が、ぼんやりと虚空を見つめている。人形師の手がけた和人形のようだ。造形を眺めているだけで酒がうまくなる。
「鬼司さんよ」
「はい?」
用がなくとも呼びたくなる。
彼女にとってはいい迷惑かもしれない。
「例の『悪意』が言ってた『花』ってのはなんのことなんだ?」
「花……」
彼女はふたたび遠い目になり、はるか彼方を見やった。
古い記憶をさぐるような表情。
「志許売を呼び寄せた花とは違うのか?」
「無盡原で花と言えば、ふたつのものを指します。ひとつは、血を吸って咲く花のこと。志許売を呼び寄せた花もそうです。もうひとつは、私やナミなど、男に仕えていた女たちのこと」
「じゃあ、花を摘むってのは、あんたらをさらうってことなのか?」
「さあ」
そっけない態度。
知らないのだろうか、あるいは、ごまかしているのか。
しかし例の「悪意」も、花がなんなのか知らない様子だった。鬼司が知らぬのもムリはあるまい。
花と女、両者に共通するものがある。
それは血液。
無盡原では、血を吸った花が咲く。
あるいは鬼司たちの体にだって血は流れている。
つまり彼の言う「花」は、「血」そのものを指す可能性がある。
血は命より生じる。
花を摘むということは、無盡原から命を奪い取る行為なのでは。
正解は分からない。
あの「悪意」にすら分かっていないのだ。きっと答えを知るものは一人もいないのであろう。
「いまいる四人が、みんな『悪意』を倒したらどうなる? それで俺たちの勝利なのか?」
「人はすぐに先を知りたがる」
「性分でね」
すると彼女は、にぃと黒い歯を見せて笑った。
「本日はこちらへお泊りください」
「明日は会社だよ」
「お休みになられては?」
「まあ、それでもいいけど」
いいことがあるなら、会社なんていくら休んだっていい。
あんなブラック企業、それで俺をクビにするならすればいいんだ。俺より従順な人間はいくらでもいる。
「で、質問の答えは?」
「先方は、あと三回、志許売を使うことができます」
「例の決め事ってやつか?」
「ええ。こちらもあと三回だけ、鬼道師を補充することができます」
「向こうの大将を殺せば終わるのに」
俺の指摘に、彼女はやや困惑した笑みを浮かべた。
「それも決め事で禁じられておりますから」
「悠長だな」
「私たちには寿命がありませんので、かような仕儀に。さりとて、いったん決まってしまった以上、守らないわけにもいかず……」
「勝敗の条件は?」
肝心なこの情報を、俺たちはまだ確認していなかった。
「こちらの敗北条件は、八名すべての鬼道師が力尽きること。そして勝利条件は、敵陣の社稷を破壊すること」
「しゃしょく?」
「祭壇のことです」
「どこにあるんだ?」
「無盡原の四方に。四つの核を破壊したとき、皆さまの前に現れることでしょう」
この「現れることでしょう」もそうだが、いつもどこか他人事だ。
俺はどぶろくを一口やり、こう尋ねた。
「その条件なら、とっくに決着がついてそうなものだけどな」
「はい。これを千回繰り返し、勝ち星の多いほうが無盡原を治めます」
「千回!? いま何回目なんだ?」
「今回で五百と五回目になります」
まだ中盤だったとは。
決着がつくころには、人類は滅んでいるかもしれない。
気の遠くなる話だ。
「一度に参加できる鬼道師が八名ってことは、その五百倍……ざっと四千人以上がこの戦いに巻き込まれてきた計算か。なかなか迷惑な話だな」
「たくさんの方々と出会いました」
複雑そうな表情。
感傷的な思い出でもあったのだろうか。
「たとえば?」
「深い仲になった殿方も……」
「角を取ったのも、それが原因なのか?」
この問いに、彼女は哀しそうに目を細め、袖口で顔を覆った。
「人の世で暮らそうと言ってくれた方がおりまして……」
「意外だな。あんたのことだから、そんなヤツの首は問答無用で刎ね飛ばすのかとばかり。もしかして、好みのイケメンだったのかな?」
「意地悪……」
「……」
んんっ?
この空気はなんだ?
鬼司は、か弱い子犬のような目でこちらを見ている。
「いや、悪かったよ。ちょっと妬いちゃってね」
「その方は、お侍でした。熱心に誘ってくださり、こちらもそのつもりでおったのです。ところが、彼はここを出てから消息がつかめなくなり……。待てど暮らせど……」
せっかく角まで落として準備してたのに、逃げられたってのか。
とんだクソ野郎もいたものだ。
彼女はぶんぶんとかぶりを振った。
「いえ、愚かなのは、ありえない夢を見た私のほうです。敵との決着がつくまで、私はこの屋敷を離れることができません。のみならず、もし勝利すれば、半永久的に無盡原を治めることになります。人の世へ行くなど、到底……」
ハナから無理筋だったというワケだ。
「もし俺がここに残ると言ったら?」
「けれども、あなたはあまり長くない……」
「はい? 長くない……って?」
急に?
衝撃の事実が?
彼女は暗い目で、じっとこちらを見つめてきた。
「おそらく、あと五十年ほどで……」
「ご、五十年……」
つまり約七十六歳で死ぬ。
平均寿命より少し短いくらいか。
ゴーストに触れまくってきたわりには、むしろ悪くない数字。
彼女からすれば短命に見えるのかもしれないが。
「それでも、もしここに残ってくださるというのなら……」
「いいのか? もしそうなら願ってもない話だが。ここは人間社会より、よほど秩序が働いてる。決め事を大事にしているのもいい。それに、あんたと一緒にいられるんだ。これ以上のことはないだろう」
「冬木さま……」
普段の超然とした態度がウソのようにもじもじしだした。
じつはこの女、かなりかわいいのでは?
「とは言え、俺はまだ自分の核に遭遇していない。願い事を叶えてもらう資格があるのか……」
「いえ、これは私の願いですから……」
「そう……」
「はい……」
*
長いこと張りつめていた反動なのか、鬼司はとんでもなく甘えん坊であった。
ぎゅっとくっついてきて、何度も何度も……。
おかげで頭がどうにかなりそうだった。
*
朝、俺は奥座敷で目を覚ました。
ふかふかだけれど、じつに重たい布団。
現代人の使っている寝具とは少し質が違う。
広い板の間の部屋の中央に、布団を置いて寝る。
デッドスペースだらけだから、空間が異様に広く感じられる。
大広間へ行くと、にこにこ顔の鬼司が待っていた。
「おはようございます、旦那さま」
「お、おはよう……」
俺は結婚したのかもしれない。
もちろんこれは浮気じゃない。彼女は前夫と死別している。だからフリー。もちろん俺もフリーだ。ゆえに結婚しようがナニをしようが自由のはず。あらゆる懸念事項は、いまは忘れておこう。
「すぐに朝餉をご用意しますね」
「自分で運ぶよ」
「旦那さまは座っていてください。配膳は私がしますので」
「そう? じゃあ……」
だが、いまどきこんなふうに女性に全部やらせていたら、各所から袋叩きにされそうだ。
俺も居心地がよくない。
この辺はあとで話し合おう。
彼女の価値観は、現代人とは乖離しているようだから。
それにしても、まさか俺のことを受け入れてくれるとは。
人生を一瞬で終わらせるとはなんだったのか。
誰かと一緒になるのが怖かったのか?
*
白飯、味噌汁、たくあん、焼き魚……。
旅館みたいな朝食が出てきた。
「さ、お召し上がりください」
「ありがとう。いただきます」
ずっとにこにこしている。
いつもの無表情はどうした。
「あーあ、とんでもないことしてくれたもんだね。お歯黒ババアに手を出すなんて、ホント見る目ないんだから」
通路から、巫女装束の少女がやってきた。
ナミだ。
なぜか巨大なつづらを背負っている。
「勝手に入ってこないでください。鍋の具にしますよ?」
鬼司は笑顔のまま怖いことを言う。
「なんですぐ具にしたがるの? 頭おかしいんじゃない? あんたとはライバルだけど、なんか再婚できたみたいだから、ご祝儀持ってきてあげたのにさ。ほら、受け取りなさいよ」
しゃがんでつづらをおろし、フタを開けた。
こちらから中は見えない。
鬼司は怪訝そうな顔で立ち上がり、中を覗きにいった。
「まあ、これは……」
「黄泉国の大蛇よ。精がつくわ。捕まえるの大変だったんだから」
「嬉しいわ。あなた、意外といい子だったのね」
「そうよ。いい子よ」
なに喜んでるんだよ。
嫌がらせじゃないのか?
鬼司は満面の笑みでこちらを見た。
「大丈夫ですよ。ちゃんと死んでますから」
「いや、そういう問題じゃ……」
「今晩は白焼きにしましょう。いっぱい元気になってもらいますからね、旦那さま。ふふふ」
「……」
思えばここは地獄の入口なのであった。
こんな地獄みたいなメシが供されるのも、なかば自明というもの。
ナミはしかし帰ろうとせず、俺の膳からたくあんを食った。
「いやぁ、それにしても昨日の夜は激アツだったねぇ。あんなにしおらしいお歯黒ババア、初めて見たかも」
「覗き見していたのですか? 具にしますよ?」
額に青筋が浮き上がっている。
怒っているのか恥ずかしいのか。
「いいじゃんいいじゃん。幸せなんだからさ。はぁ、あたしも誰でもいいからヤりまくりたいわ。なんでこっちの陣営には人間が来ないのよ?」
「そちらは黄泉国なのだから、当然でしょう?」
「ズルいよ! ねえ、人間、誰か紹介してくんない?」
もし応じれば仲間を売ることになる。
ま、チャラ男なら簡単に乗りそうだが。
俺は肩をすくめて見せた。
「もし人間界に手を出すつもりなら、この戦いに勝利するしかないだろうな」
「何百年後になるのよそれ」
「さあ」
少なくとも俺は生きてはいまい。
すると鬼司がスッと間に入ってきた。
「距離が近すぎます。離れなさい」
「はぁい」
なんだか和気あいあいといった感じだが。
強制参加でないとはいえ、忍者のおじさんは、この二人のクソみたいな意地の張り合いに巻き込まれて命を落としたのだ。
それを忘れてはいけない。
他人の人生に過剰に介入するのは、俺の主義ではないが……。
しかしあの忍者は死ぬべきではなかった。こんな戦いに巻き込まれなければ、もっとマシな人生を送れたはず。だから、当人がどう思おうと、必ず生き返ってもらう。それが俺のジ・オーダーだ。
そのためには、使えるものは、すべて使わねばな。
鬼司にも協力してもらう。
夫婦なんだから、以前みたいな隠し事はナシだ。
(続く)




