天秤にかかるもの
佐藤みずきは水色の傘を置いて行った。
忘れ物なのか、故意なのかは分からない。
数日後、招集。
俺たちは無盡原へ足を踏み入れた。
志許売が出てこなければいいのだが。
「真理ちゃんさ、今度遊び行かね? 連絡先教えてよ」
「なんであなたなんかと……」
「そう冷たくしないでさ。おごるから」
「行かない」
「と見せかけて?」
「行かない。もう話しかけないで」
チャラ男がナンパを始めたせいで、高橋さんの怒りゲージが高まっていた。
これから命がけの戦闘だってのに、士気を落とすようなマネしやがって。
性格のねじ曲がった佐藤みずきは、かすかにニヤリと笑みを浮かべていた。
他人の困惑する姿で喜べるとは、あきらかにこいつのほうがサイコパスだ。
「そろそろ来るぜ。真面目にやったほうがいい」
俺がそう告げると、チャラ男も不満げながら静かになった。
高橋さんを怒らせると、敵陣に突っ込む可能性がある。なるべく平常心でいてもらわねば。
ズダァンと音がして、地面から学校が生えてきた。
続いてピンポンパンポーンと例のジングル。
『本日は、無盡原高等学校の登校日です。生徒の皆さん、およびゴーストの皆さんは、すみやかに登校してください。繰り返します、本日は――』
学校に入れということだ。
入らなければ、槍で串刺しにされる。
俺たちが歩を進めると、チャラ男は慌てて声をあげた。
「は? 行くの? 罠じゃね?」
「罠なんだけど、行かないともっと悲惨なことになるから」
「マジで?」
マジなんだよ。
『なお、本日の天候は槍となっております』
さっそく一本降ってきた。
俺たちは全力で駈け出した。
*
昇降口へ駆け込むと、またダーンとシャッターがおりた。もっと静かにおろして欲しいものだ。
ともあれ、こうなると核を破壊するまで脱出できない。
「は? なにこれ? 閉じ込められたんだけど……」
うるさいチャラ男だ。
「ボスを倒せば出られるようになる」
「なんで知ってんの?」
「二回目だからな」
さて、前回のケースを思い出してみよう。
この細胞は、誰かのトラウマと連動している。
核を破壊すれば俺たちの勝利。
核はひとつ。
核へと続く道に、ゴーストはいない。
しかし間違ったルートを選ぶと、ゴーストに囲まれる。
核は取引を持ち掛けてくる。
応じるか否かは当人次第。
俺は「仲間たち」へ向き直った。
「誰かこの学校に見覚えのある人は?」
ビシと手があがった。
佐藤みずき。
「私の母校よ。道案内は任せて」
さっそく来たか……。
*
ドアが並んでいるだけの殺風景な景色。
窓の外には白い空。
三階まであがり、ある教室へ足を踏み入れた。
机と椅子が並んでいる。
そして赤黒く半透明な……人の形をした核。
少女は横たわっていた。
誰かに蹴飛ばされているらしく、必死で頭をかばっている。
声は出していない。が、しゃくりあげて泣いている様子。
「これが長谷川さん」
佐藤みずきはそう教えてくれた。
そして俺たちは、胸クソの悪くなる話を聞かされた。
長谷川さんは、不良グループに目をつけられ、金をむしり取られていた。金がないなら体を売れと脅され、実際、そうしていた。金が足りないと暴行にさらされた。
佐藤みずきは肩をすくめた。
「教師がね、お金で買ってたの。長谷川さんのこと。共犯だったんだ。悪いよね、ホント。こんなに泣きながら謝ってるのにさ」
口調は穏やかだ。
他人事のよう。
ただ、かなり怒っているはずだった。
空気を吸い込むとき、かすかな震えがあった。
『お前たち、花を摘みにきたのか?』
例の老人の声。
チャラ男と高橋さんが身をすくめた。
二人とも、これを見るのは初めてだったか。
佐藤みずきはひとつ呼吸をし、静かに尋ねた。
「花ってなんなの?」
「花とはなにか……。私もそれが知りたい。あの花は……見ることさえかなわない。ゆえに名も知れぬ」
「意味が分からない」
「意味……あるかどうかさえ知れぬ」
「私の願いを叶えて」
さっそく本題に入った。
赤黒い人影は、ずっとちぢこまったまま。
だが、老人の声はいたって普通だった。
「お前はなにを欲している?」
「長谷川さんをいじめていた人間を、みんな殺して欲しいの。クラスのヤツら、教師、ほかにもいればそいつらもセットで」
「お前はなにを差し出す?」
来たぞ。
ここで選択をミスれば大変なことになる。
佐藤みずきはふっと笑った。
「貯金ならいくらかあるけど?」
「私は三人の命を奪ってやろう。いじめを主導していた女生徒二名、そして加担していた教師だ。これに相当するものを差し出せ。命の代償は命だ」
佐藤みずきは黒刀をヒュンと振り下ろし、赤黒い人影を両断した。
切断面から、やはり赤黒いものが流れ出した。
「ケチケチしないで無条件でやりなさいよ。これ以上、私からなにを奪うっていうの?」
口調はかろうじて穏やかだが、表情がこわばっていた。
老人の返事はこうだ。
「冬木一を差し出せば、それであがなってやってもいい」
「は? こんな二束三文の男で、私の希望を達成しろって言うの?」
「返事は?」
「いいえ」
ダァンと、床にめり込まんばかりに黒刀が叩きつけられた。
赤黒い頭部は木っ端微塵となり、あちこちに飛散。
終わった……ようだな。
佐藤みずきはこちらへ向き直った。
「代償ってなに? これまでの戦いはノーカンだったワケ? ずいぶんショボいわね」
「後悔してないのか?」
「してるわ。帰ったら鬼司に抗議してやる。さんざんゴーストを斬ってきたのに、なにも手に入らなかったって」
「手伝うよ」
彼女が「仲間」を売り飛ばさなかったことは、高く評価しなくてはな。
*
会話もないまま、俺たちは大広間へ引き返した。
「ご苦労さまでした。お食事をどうぞ」
鬼司はいつもの調子。
だが佐藤みずきは、黒刀を手に鬼司へ近づいていった。
「説明しなさいよ。見てたんでしょ?」
「なにか疑問でも?」
「代償ってなによ? ゴーストを斬ってれば褒美があるんじゃなかったの?」
鬼司はしかし動じていない。
姿勢よく座したまま、かすかに呼吸をした。
「もちろん褒美は用意していますよ。それは皆さまが敵に勝利したときにお渡しする予定です」
「さっきのとは別に、なにかあるってこと?」
「ええ」
「なんなのか言いなさい」
ぐっと刀を突きつけた。
人間を傷つけることはないが、相手が鬼ならどうなるか分からない。
「命の玉ですよ」
「命の玉?」
「どなたかひとり、死者をよみがえらせることができます。ただし、老衰による死者はよみがえりません。対象となるのは、あくまで事故死や戦死など、不慮の死を遂げた人間だけ」
ダン、と、佐藤みずきは刀を床へ突き立てた。
「そんなゴミがご褒美? 本気で言ってるの?」
「もしご不要でしたら、旧知の古物商をご紹介します。その者に渡せば、十億ほどで買い取ってくれるはず」
「それもゴミだって言ったら?」
「あとはご自由に」
ゴミ?
十億が?
なんなんだこいつ……。価値観がどうかしている。
*
最悪の雰囲気で食事を終え、沐浴となった。
檜風呂に溜められたぬるい水で、身を清めるだけの行為。
俺はいつもさっさと済ませる。
タダ酒でも飲もうかと思い、大広間で腰をおろすと、まだ髪の濡れたままの高橋さんが近づいてきた。
「あの……」
「ん?」
「これ……こないだ見つけて、つい買っちゃって」
「ああ、ぺもんぬ。まだ売ってるんだ」
スポーツバッグに新しいキーホルダーがついているのを見せてくれた。
古いのもついている。
すると彼女はその場にしゃがみ込み、新しいキーホルダーを外した。
「でも、二つもあると絡まっちゃうから、冬木さんにあげようかなって。あ、もしいらなかったら、その……処分してもいいんで」
「え、もらっていいの?」
「うん。ほかにぺもんぬ知ってる人もいないし……」
だが、彼女の背後からぬっと佐藤みずきが現れた。
「いるわ、ここに一人ね」
髪をほどいている。
今日も幽霊みたいだ。
「ひっ。佐藤さん……」
「私も知ってるわ、そのペキモンってやつ」
「ぺもんぬ……」
「似たようなものでしょ? 私にはないの?」
高橋さんが言い終える前に、佐藤みずきは言葉をかぶせてきた。
この女はホントに……。
「あつかましいな。君の分はないぞ。欲しかったら自分で買ったらどうだ?」
俺がそう告げると、佐藤みずきはすんと澄ました顔になった。
「そうね。十億あったら工場ごと買えるかもね」
「金の使い道ができたじゃないか」
「ええ。嬉しいわ」
怖いから帰ってくれないかな。
すると高橋さんが「わ、私もう帰るね。バイバイ」と行ってしまった。
可哀相に。
佐藤みずきは俺のすぐ隣に腰をおろした。
「私、考えたんだけど」
「これから酒なんだ。景気の悪い話なら次回にしてくれ」
「十億あったら、あなたに殺人を依頼することができるかなって」
「やらないって言ったろ」
「殺し屋ってどこで雇えるの? 教えてよ?」
「知るわけないだろ。勘弁してくれ」
いったいなんだと思ってるんだ。
それに、一度ヤバいヤツに仕事を頼むと、簡単に手を切れなくなる。そんな連中に十億なんて見せびらかしたら、理由をつけてぶんどられるのがオチだ。
彼女はぐっと距離を詰めてきた。
「そのキーホルダー、どうするの?」
「持ってるよ」
「カバンにつけないの? あの子、喜ぶんじゃない?」
「言っておくけど、狙ってないからな」
「十億手に入ったらなにに使うの?」
なんでこんなに踏み込んでくるんだ?
一晩泊まっただけで彼女ヅラか?
俺は溜め息をついた。
「十億は手に入らない。忍者のおじさんを生き返らせるからな」
ヒャアと甲高い笑いが響いた。
「なにそれ! ウケるわね! それもう『偽善者』通り越してただの『善人』じゃない! なんとかとなんとかは紙一重っていうけど、善人とサイコパスも紙一重なの?」
自分をそうだとは言わないが、彼女の指摘も一理あるかもしれない。
サイコパスと言われる人たちは、必ずしも悪を為してるつもりはないはずだ。
個人にとっての善が、社会にとって悪である場合、悪い言葉でののしられる。しかし、たまたま両者の善が一致している場合、賛辞が贈られる。両者の差はそれだけ。いや「だけ」ってのも短慮だが。大別すればそういうことだ。
俺は思わず笑った。
「なら君は聖人君子だな」
彼女も彼女の善を為そうとしている。
なにか反論があるのかと思いきや、佐藤みずきは身を乗り出してきた。
「これから飲みに行かない? 私、おごるから」
「タダ酒ならここでも飲める」
「ここのは嫌い」
「俺は嫌いじゃない」
「あっそ。つまらない男ね。じゃあいい。ひとりで飲むから」
急にさめた目になって、彼女は行ってしまった。
べつに俺のことを好きじゃないのは分かる。
他者をコントロール下に置くことで、心の安定を図りたいだけなのだ。
飼ってるペットが、勝手に動き回るのが気に食わない。エサを出したのに、なつかないペットが気に食わない。
きっとそんなところだろう。
少しくらいなら相手してやってもいいが、いまはダメだ。
ここで静かに酒を飲まないと、今日という日が終わらない。
鬼司に軽くあしらわれて、帰って一人で寝るのだ。
そしたらまた明日を始められる。
(続く)