地獄の痴話ゲンカ
志許売の一件から数日が経過した。
ブラック企業でサービス残業するのにも、だんだんハマってきた。寿命を削られるのは無盡原と一緒だが、ここには佐藤みずきがいない。高橋さんがつらい思いをすることもない。
オフィスのパソコンでネットサーフィンしていると、コンビニに行っていた同僚が首をかしげながら帰ってきた。
「お帰り」
「ああ……。あのさ、いま外に変な女がいてさ……」
「変な女?」
オフィス街だ。
変質者が出るような場所じゃない。
同僚は席につき、少しぶるっと震えた。
「雨でもないのに傘持っててさ。ずっと地面突いてんの。あれ相当なメンヘラだぞ。誰かのストーカーだったりしてな」
「ヤバそうだね」
まさかとは思うが、佐藤みずきじゃないだろうな。
誰かを殺したくてウズウズしてたりして。
いや、そこまでおかしな女じゃないと思うが。
俺はひとつ呼吸をしてから尋ねた。
「その女の人、どんなだった? 外見とかさ」
「え、もしかして興味ある? まあでも……普通っていうか地味だったな。ポニーテールにしてて」
「ちょっとコンビニ行ってくる」
「は?」
あの女、職場まで押しかけてきやがって。
どうやって特定したんだ。
俺が外へ出ると、水色の傘で地面をつつく佐藤みずきに出くわした。
「やっと来た」
にこりともせずそんなことを言う。
周囲の会社員たちは、もちろん傘など持っていない。雨の予報すらなかった。
もう日は落ちているから、信号機の切り替わるのがよく見える。
秋風は、体温を奪うほど冷たい。
遠からず冬が来る。
「なにしに来たんだ? ていうか、どうやってここが分かった?」
「探偵雇ったの」
「は?」
「結婚を前提にした彼氏だって説明したら、信用してくれて」
「も、目的を言えよ……」
殺すつもりではないだろう。
もし彼女が本気なら、いつでも殺す機会はあった。
「無盡原に行こうと思って」
「無盡原? いまから?」
「そう」
メシをおごれというのなら従ってやってもいい。
だが無盡原とは……。
「俺に選択肢はあるのか?」
「どうかな」
「行くよ。その代わり、ちゃんとプランを説明してくれ」
「いいよ。タクシーの中でね」
「ちょっと荷物取ってくる」
「逃げないでね」
「分かってる」
彼女の神経を逆撫でしたところで、俺の得になるとは思えない。
オフィスに戻ると、同僚が苦い笑みを浮かべてきた。
「見た? 言った通りだったろ?」
「そうだね。俺、今日はあがるわ」
「は? まだ八時だぞ?」
「ちょっと急用。じゃあお先」
なにが「まだ八時」だ社畜め。
定時は六時だぞ。
金も出ないのに。
*
タクシーを拾い、無盡原を目指した。
無盡原というか、埼玉にある屋敷だが。
「そろそろ説明してくれないか?」
運転手に聞かれないよう、俺は小声で切り出した。
佐藤みずきはずっと窓の外を眺めていたが、ゆっくりとこちらへ向き直った。
「鬼司を締め上げようと思って」
「し、締め上げる? 本気か?」
「本気よ」
なにを平然と。
俺は声が大きくなりそうなのを、なんとか抑え込んだ。
「君も彼女の動きは見ただろ? 普通じゃない。二人がかりでもムリだ」
「別に乱暴なことするつもりじゃないんだけど?」
「じゃあなんだよ?」
「お話しするの。でも私だけじゃかわされそうだし。あなた、口だけは達者でしょ?」
その通りだ。口だけは達者だよ。
俺は今度こそ盛大に溜め息をついた。
「招集のときじゃダメなのか?」
「あの日はいつも興奮してるから」
「前回は凄かったな……」
「見なかったことにして。思い出すと恥ずかしいから」
「いいよ」
自覚はあるようだな。
*
タクシー運転手は、本当にこんな場所でいいのか怪訝に思っているようだった。
だが屋敷が見えると、ほっとして俺たちをおろした。
料金は佐藤みずきが支払った。
石燈籠のある屋敷。
飛石が道を形成している。
竹林が寒い風に吹かれてざわざわと音を立てる。
インターフォンはない。
鍵もかかっていない。
木戸を開け、玄関に入ってから声をかける。
「こんばんはー! 冬木でーす! 鬼司さーん! いますかー?」
声は、木造家屋に吸収されるように消えていった。
静謐。
竹林のさざめきだけがいつまでも聞こえてくる。
ふと、薄暗い廊下の奥から鬼司がやってきた。
料理でもしていたのだろうか、割烹着だ。
「おやこれは冬木さまに佐藤さま。ようこそいらっしゃいました。お揃いでおいでとは」
鬼司はイヤな顔ひとつしない。
一方の佐藤みずきは遠慮がなかった。
「聞きたいことがあるの。あがっていい?」
「かまいませんが……。じつは先客がありまして」
「誰?」
「ナミと申す小娘です。我々の敵ですよ」
こないだ言ってた女のことか。
すると佐藤みずきは靴を脱ぎ、許可も得ずにあがり込んだ。
「お邪魔するわね」
「ええ、どうぞ。冬木さまも」
強行突入だな。
俺も「すみません、お邪魔します」と靴を脱いだ。
*
大広間に入ると、一人の少女が麻縄で吊るされていた。
床には様々な刃物。
まさか、これから拷問でも始まるところだったのだろうか。
「あ、人間! 助けて! 殺されちゃう!」
コスプレだろうか。
黒髪ツインテールに巫女装束。額には角が二本。
目はパッチリとしており、顔立ちも整っている。この世のものとは思えぬ美貌。
歳は大人とも少女ともつかない。
鬼司はうっすら笑みを浮かべた。
「殺される? 不思議ですね。あなたは死ぬことができるのですか?」
「うるさい、お歯黒ババア! 逆恨みの粘着であたしのこといじめて! 鬼! 悪魔!」
「鬼なのはあなたも同じでしょう」
「同じ? 角もないくせに? 男のために角まで取ったのに、結局フラれちゃってさ! みじめな女! バーカバーカ!」
外見はともかく、中身はクソガキだな。
佐藤みずきもややイラついている。
「この子が、こないだの……」
ナミは急に得意顔になった。
「そう! それもあたし! びっくりしたでしょ? あそこで志許売を出したら、みんな一気に殺せちゃうかなーって……あ、ウソウソ! 違うの! そんなつもりじゃなくて!」
俺たちが威圧したわけでもないのに、彼女は急に釈明を始めた。
鬼司が刃物を選び始めたせいだが。
「なにが違うのです?」
「ホントに違うの! 事故事故!」
「ナミさん、私は志許売を出すなと言っているわけではありません」
「会えて嬉しかったでしょ?」
「志許売ならほかにもたくさんいるはず。なのに、なぜ姉を出すのです?」
ノコギリを手に取った。
あれは姉だったのか?
いや、それはいいが。残酷な拷問をするなら、俺たちが帰ってからにして欲しいな。
「待って! ホントに! もうしないから!」
「以前も同じ言葉を聞いたような」
「なんでもするから! お願い! 助けてよ! 今日はお説教だけって約束だったじゃん!」
このままだと、本当に解体ショーが始まってしまいそうだ。
俺は思わず横から口を挟んだ。
「えーと、そもそも、お二人はどういったご関係なのかな?」
ナミがなにかを言おうとしたが、ノコギリがギラリと鈍い光を放ったため、「ひっ」と息をのんだ。
鬼司は微笑のままだ。
「かつてこの無盡原は、ある男の支配下にありました。私たちは、いずれもその男に仕えておったのです。仕える、といっても、まともな主従関係ではありませんでしたが」
「その男は、いまどこに?」
俺の問いに、鬼司は力ない笑みを浮かべた。
「もうこの世におりません。いえ、あの世にさえおりませんが。天の怒りに触れて、存在ごと消し飛ばされたのです」
「じゃあ、あんたとあの子で、ここを支配してるのか?」
「正確には、支配権を争っている状態です。この数百年、ずっと」
「俺たちはその駒ってワケか」
「ええ」
じつに素直に教えてくれるものだ。
ナミがまたジタバタと暴れ出した。
「でもその女はフラれたの! だからあたしが支配者なの!」
「口を縫い付けて欲しいのですか?」
「待って! 静かにするから!」
戦えば、一瞬で決着がつきそうな気もするが。
鬼司はやれやれとばかりにかぶりを振った。
「はじめは姉が妻として迎えられたのです。しかし不貞が発覚し、醜い志許売に変えられてしまい……。代わりに私が妻となりました。しかし男は、私だけでは満足しませんでした。次々と女たちに手を出し、ついにはナミにまで……」
「かわいいからね! 仕方ないね!」
吊られた状態でよくそんなことが言える。
顔のよさだけで乗り切ってきたタイプかもしれない。
鬼司は溜め息だ。
「ナミの進言により、私は離縁を申し渡されることとなりました。ですがその離縁の日が来る前に、男は天に罰せられ……。以降、この状態に」
「ほかの女たちは?」
「とうのむかしに無盡原を出ました。いまここに残っているのは、私とナミだけ」
つまりは地獄の痴話ゲンカってわけだ。
佐藤みずきが目を細めた。
「じゃあなんなの? 私たちは、あなたたちの権力争いのために、寿命を削って無償奉仕してるってこと?」
俺も無償奉仕には慣れているが、あらためて言われるとクソみたいな状況だな。
鬼司はしばし沈黙したが、やがて静かにうなずいた。
「ええ。しかし結果として、ゴーストが人の世に出る可能性があるのは事実。もしこれを誰も止めなければ、人の世に災いが降りかかりましょう」
「え、じゃあご褒美は? あれもウソ?」
「ウソではありませんよ。課題を達成した鬼道師には、願いを叶える権利が与えられます。なんでもというわけにはいきませんが……」
すると佐藤みずきは、なぜか俺を睨みつけてきた。
「冬木さん、あなたの願いはなんなの?」
「なんだよ急に」
「言いなさい」
「まだ決めてないよ」
世界を滅ぼすことも、鬼司と結婚することも、どちらも拒否されてしまったからな。いま代案を検討中だ。
佐藤みずきはまだ睨んでいる。
「なんなんだよ。そういう君はどうなんだ?」
「悪い人間を殺す」
「そいつは立派だな。応援するよ。だからもう俺には依頼しないでくれよ」
「死ね」
返事が怖いんだよなぁ。
彼女は、今度は鬼司に向き直った。
「願いはいつ叶うの? 課題の達成ってなに?」
「あなたが、あなた自身の核と出会ったときに」
「あの肉塊のことよね? いつ会えるの?」
「それはあの子の気分次第でしょうね」
この言葉が出た瞬間、俺は次の展開を予想できた。
佐藤みずきはハサミを拾い上げ、ナミの顔に近づけた。
「次は私の核を出しなさい? いい?」
「出す出す! 出すからいじめないで!」
「もしウソをついたら、思いつく限りの方法であなたを傷つける」
「ウソなんてつかない! あたし生まれてからいままでウソついたことないもん!」
もっとも信用ならないセリフが出た。
だが、佐藤みずきはハサミをひっこめた。
代わりに、そっとナミの頬をなでた。
「いい子ね。約束よ?」
「うんうん! 約束! えへへ……」
いちおう鬼のはずだが、縛られてしまえば、人間に命乞いもするというわけだ。
俺は佐藤みずきからハサミを取り上げた。
「で、本題は? 鬼司さんに聞きたいことがあったんだろ?」
この問いに、彼女はにまぁっと不気味な笑みを見せた。
「もういい」
「え、いい?」
「いつ願いが叶うか聞きたかっただけだから。もう完全に把握できた」
「そう。ならよかった」
俺たちはそろそろ撤収してもよさそうだな。
鬼司も愉快そうに目を細めている。
「せっかくいらしたのですから、こちらで夕餉でもいかがです? そろそろ釜の湯も煮えたころでしょうし」
その釜は、いったいなにに使う予定だったんだ。
ナミも不安そうにキョロキョロしている。
ちゃんとした料理ならいいのだが……。
(続く)