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しばらくして選手は自分の席に着くようにと、アナウンスが流れる。
南が席に着き、僕たちは南が見えやすいところに場所を確保する。
立ち見らしい。
りっちゃんが南に手を振って、多分頑張ってねの意味のガッツポーズを南に送ったけれど、僕は頭を少し前に倒すので精いっぱいだった。南が主にりっちゃんに微笑み返してくる。
南の一回戦の相手は男子だった。
短い髪は無造作だけれど爽やかで、制服のシャツから伸びた腕が日に焼けて逞しい。囲碁少年が軟弱というイメージしかできていなかった自分の想像力の貧困さを反省する。囲碁少女には凛々しくて強い南のイメージを重ねていたのに。
見学はほとんどが保護者のようで、カメラを構えて我が子のわきに立つ大人たちが子供よりも生き生きとした表情をしている。カメラを向けられた子供たちは一様に緊張の面持ちで、見ている僕までどきどきしてしまう。そのどきどきは南のせいかもしれないけれど、区別のつけ方がわからない。
場内アナウンスでは注意事項が続いたけれど、私語が禁止ということと、開始五分間は保護者が選手のそばで写真撮影することができるということしかわからなかった。りっちゃんはとなりで大人しく聞いている。
「始まるね」
まだ話している人たちが多かったから話しかけてみたけれど、りっちゃんは小さく頷いただけで、話す気はないみたいだった。りっちゃんは心配そうに南を見つめる。
開始の合図で一斉に始まるのかと身構えていたら違った。
「それでは握ってください」
選手が全員、碁石を掴んで碁盤に並べた。
どうやらこの碁石の数で黒か白が決まるらしい。それぞれの机で黒と白が決まり、時計のようなものの位置も変えられる。
南はどうやら白に決まったらしい。
「それでは始めてください」
開始の合図で一斉に礼をして、お願いしますとそれぞれが言い合って、始まった。
会場内に闘志が満ちる。
選手たちの一手一手がぱちりぱちりと小気味いい音を響かす。
碁石が入れ物の中でジャラジャラと音を立てて触れ合う。
時計のようなものが押されるたびにバチンという音を出す。
シャッターの切られる音、審判らしき人たちの足音、見学者たちのひそひそ声、雑多な音の重なりが会場に渦を巻く。
この音の波に漂う熱気に選手たちの囲碁への情熱を感じる。
囲碁の世界は熱い。
五分経ったらしく、選手たちのそばにいた大人たちが一気に減る。
囲碁のルールがまったくわからないので、南が優勢か劣勢かもわからないけれど、ただ一心不乱に見た。
南が咲かす盤上の白い花だけがこの世界の正義に思える。
十分も経たないうちに、勝敗が決まって席を立つ選手が出てくる。
観客だけでなく選手間でも私語が増えていく。
制限時間四十分と聞いたような気がするけれど、囲碁は時間いっぱい戦うものではないのだろうか。
南の手は止まらない。
南は背筋を伸ばしたまま、よどみなく流れるように打つ。考えてないみたいに早い。
交代交代で並べているので盤上には同数の石があるはずなのにそうではないのは、途中で相手に石が取られるからだ。どうやら相手の石に囲まれた石は取られるらしい。
取られた石はどうするのだろう?
将棋みたいに自分の駒になるのだろうか?
将棋だったら祖父と指したことがあって、ルールくらいわかるのにと思う。
三十分が経過する頃には空席のほうが多いくらいになっていた。
南はまだ挑み続けている。
盤上には石の道ができて、白も黒もたくさん並んでいる。
南の相手の動きが止まる。
「ありません」
南の対戦相手が言う。
「「ありがとうございます」」
二人同時に言って、礼をし合う。
礼で始まり、礼で終わる。
南たちだけではなく、会場中の選手たちみんな礼儀正しくて清々しい。
りっちゃんに勝敗を目で問う。
りっちゃんの笑顔で気づいて、頷きに確信する。
南は勝ったのだ!!
嬉しさがお腹の底を温める。
盤上を片づけて、二人はもう一度ありがとうございましたと言いながら礼をして席を立った。
南が壇上の下、ボードのそばにいる係の人に結果を伝えに行く。
係の人は一人がノートへ記入し、もう一人がボードに結果を書き入れる。
ボードの南の欄に丸が描き入れられる。
南の対戦相手は母親らしき人のもとへ行き、背中をぽんぽん叩かれている。その瞳には涙が浮かび、悔しさに口元を歪ませている。
南だけが真剣なわけじゃない。
南だけが努力しているわけじゃない。
南だけがプロを目指しているわけじゃない。
参加者の誰もが真剣で、努力家で、高みを目指している。
それでも僕は南に勝って、勝って、勝ち続けてほしい。
ここにいる誰にも負けないでほしい。
南が敗者の涙を流すのをどうしても見たくない。
南が悲しむことがこの世界からなくなってほしい。大げさだけれど真面目に思う。
南はもといた席に戻って目をつむった。
試合が終わった選手はもう席にいなくてもいいみたいなのに、南は何をしているのだろうか、昨日緊張で眠れなかったとか、疲れて目を休めたいとかかなと勝手に想像する。