2-4
花火大会の日が来た。
土曜日は部活もないので、昼過ぎまでごろごろして、ブランチをして、またごろごろして、それから準備をした。
母に頼んで浴衣を着せてもらう。去年祖母が買ってくれた、紺地に色とりどりの小花が散った、しっとりと優美な浴衣だ。去年は地味だと思っていた浴衣が、今年は素敵に見えた。
「髪はどうするの?」
母に言われて気がつく。去年はショートだった髪が今は肩につくほどに伸びている。
「どうしようかな」
「かわいくしてあげるわ」
そう言って母は髪をハーフアップにして、そこに母が成人式のときに挿したという、年代物の赤い花のついたかんざしをしてくれた。鏡に映った自分が自分じゃないみたいに素敵に見えた。これを隆に見てもらえると思ってしまって、すぐに打ち消す。これを見たがっているのは、隆じゃなくて上杉くんなのだ。
待ち合わせは中学校の校門の前に六時だった。渡辺さんのうちが中学校のすぐ近くらしく、そこで待ち合わせて一緒に南さんを迎えに行くことになっていた。そこまで母に車で送ってもらう。校門前には渡辺さんがすでにいた。
「お待たせ」
「ううん。待ってないよ」
渡辺さんも浴衣を着ていた。淡いピンクに真っ赤な牡丹が艶やかで大人っぽい。その美しい浴衣に渡辺さんはちっとも負けていなかった。髪はサイドを編み込んでいるだけのシンプルさで、それが渡辺さんのかわいらしさを際立たせている。
「渡辺さん、すっごくかわいい!」
「ありがとう。瀬崎さんもすごく似合ってると思う。すごく素敵」
「ありがとう」
お互い顔を赤らめながら感想を言い合った。
「実は閃がまだ来てなくて、というか閃、花火上がるぎりぎりまで碁会所にいるんだ」
渡辺さんが申し訳なさそうに言った。
「そっか」
花火の打ち上げは七時からで、隆たちとの待ち合わせは駅の近くの公園で六時半だった。
「ごめんね」
「ううん。南さんは何時に行けるの?」
「一応、碁会所に六時五十分には迎えに行くつもりなんだけど」
碁会所は駅前で待ち合わせの駅前公園まで歩いてすぐだ。
「そっか、じゃあ上杉くんに電話してみる」
隆が携帯電話を持っていないので、一応上杉くんの番号を聞いていた。
「もしもし」
ツーコールで上杉くんは出た。聞いたことのない声に少し緊張した。
「あ、もしもし、瀬崎です」
「うん」
上杉くんの声が少し緊張しているのがわかった。
「今日の待ち合わせなんだけど」
「うん」
「遅れそうなの」
「うん」
「多分そっちに七時頃には着けると思うんだけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
「そっか、じゃあそういうことで」
「うん、じゃあ」
ぎこちない電話になってしまって、目の前で待つ渡辺さんに少し気恥ずかしい。
「大丈夫だって」
「よかった」
渡辺さんが笑顔で言う。
それからひとまず渡辺さんのうちへ行くことになった。
「どうぞ」
渡辺さんの部屋へ入れてもらって、アイスティーとクッキーを出してもらう。
「ありがとう」
よそゆきの姿で向き合っていると不思議な気持ちになっていく。
女子同士の友情はこんなときに加速するのかもしれない。
私たちは三十分の間に、一年以上かけて培ったクラスメイトとしての友情を遥かに超える友情を結んだ。
まずお互いを理沙ちゃん、りっちゃんと呼び合うことになった。
初めは律ちゃんと呼んでいたのだけれど、言いにくくてりっちゃんになった。本当は私もりっちゃんなので、少し恥ずかしい気もしていたけれど、すぐに慣れた。
それからお互いの近況を報告し合った。
時間はあっという間に過ぎた。残っていたクッキーを平らげてから、りっちゃんの部屋を出た。
六時五十分ちょうどに南さんの通う碁会所に着いた。南さんは携帯電話を持っていないらしく、連絡ができないので碁会所へ呼びに入ることにした。受付のおじさんとりっちゃんは顔見知りらしく、りっちゃんと私の浴衣姿を大げさに褒めてから中へ通してくれた。
「りっちゃん」
そう声をかけてきたのは、南さんではなく、隆の親友の高橋くんだった。
「それに瀬崎さん」
「高橋くん、どうしたの?」
りっちゃんが訊く。
「どうしたのって、碁を打ちに来たに決まってるよ」
そう言って高橋くんは笑った。りっちゃんと高橋くんが親しそうで、どこに接点があるのだろうと不思議に思う。
「高橋くんも始めたの?」
「違うけど、今日は田代プロが遊びに来てて、それで会いに来てたんだ」
「そっか、それで閃はまだ検討中とかなのかな」
「その通り。さすがりっちゃんだね」
わけがわからなかったが、とにかく南さんはまだその囲碁のプロと話し中らしかった。それで高橋くんと三人で南さんのところまで行くことになった。
南さんと田代さんが向き合って座る席の周りには、たくさんの人が集まっていた。田代さんがあまりに若くて、あまりにかっこよくて驚いた。高橋くんが囲碁界のプリンスで十六歳だよと教えてくれる。
りっちゃんは人をかき分けて南さんの後ろに立ち、後ろで無造作にくくられていた長い髪を器用におだんごに纏めて、ピンクの小花のついたピンを刺した。それは南さんの着ていた大人っぽい黒のシンプルなワンピースによく似合った。
「閃、もう時間」
「……」
「閃」
「……」
「閃ってば!!」
りっちゃんに催促されること三回目で、やっと南さんは顔を上げた。
「りっちゃん、ごめん、行けない」
それまでこちらを無視し続けた挙句のその言葉に絶句した。
「閃、今日は二人だけの約束じゃないのよ」
りっちゃんの弱弱しい怒りが南さんに届くとは到底思えなかった。
「閃ちゃん。タイムアップだよ」
見かねた田代さんが助け船を出してくれた。
「そんな」
南さんが呟く。
「高橋くん、これから花火大会?」
田代さんが訊いた。
「え、そうみたいです」
「なんだ一緒じゃないの?」
その流れで誘わないのは気が引けたのだろう。りっちゃんが誘ってもいいかと、目で私に訴えてくる。
「高橋くんもよかったら一緒に行かない?」
私は誘いながら高橋くんの性格なら来ないと思っていた。
高橋くんは隆の親友とは思えないくらいに内向的な男子だ。おしゃれで凝った髪型に、標準的な体型。顔はかわいいタイプだが、同じクラスになったこともない私は今日まで笑顔すら見たことがなかった。隆と一緒にいることが多いので、すれ違うときに会釈を交わすことはあるが、会話をしたこともなかった。いつも本ばかり読んでいて、人とつるむのを嫌っている。そんなふうに隆から聞いていた。
それなのに予想を裏切って高橋くんは「いいの?」と喜んだ。
まるで誘われるのを待っていたかのようだった。
りっちゃんとの仲の良さを思えば当然かもしれなかった。
なぜだか田代さんまで一緒に行くことになってしまって、よくわからないままに歩いた。
私とりっちゃんが並んで歩き、後ろを南さんたちがついてきた。