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それから味のないカステラを麦茶で流し込んで、兄の漫画を借りていきたいという隆と一緒に、となりの兄の部屋へ入った。
「賢兄の部屋、久々だわ」
隆が兄の部屋を見回して言う。兄は高校に上がった頃から私たちとはあまり遊ばなくなっていた。
「早くしてよ」
「ああ」
そう返事しながら隆は出しっぱなしになっている兄のゲームソフトを手に取る。
「これ、やりたかったんだよ。賢兄に貸してって言っといて」
それから兄のゲームソフトが入ったケースまで漁り出す。
「「あ」」
隆と私の声が重なる。
隆の手にはコンドームの箱が握られていた。隆は無言でその箱をケースに戻した。
「じゃあ、漫画借りるかな」
そう振り向いた隆があんまり平然としていたから、訊いてしまう。
「隆は驚かないんだね?」
「まあ。賢兄だってもうそういう年だし」
言い逃れは許せないと思ったのはなぜだろう。
「隆も、使ったことあるの?」
「……まあ」
自分で始めたくせに傷つくのだ。
胸の痛みだけが私の恋の存在証明のような気がして、もっと傷つきたいと思ってしまう。
「吹部の元カノ?」
「違う」
「じゃあ?」
「エリナ」
隆の初恋の人は初めての人でもあったのだ。隆の初めてをたくさん沢山摘み取ったその人に今さら嫉妬などしてどうなるというのだろう。
「あったあった」
そう言って隆が本棚から囲碁漫画を抜き出す。
隆の用事に納得した。
隆の好きな南さんは、囲碁棋士を目指していると有名だったから。
隆が南さんに振られても諦めきれないでいるのも知っていたから。
それなのにさっき、全部忘れて、隆に期待した私は本当に頭が悪い。
頭が悪いから、先がないとわかっていても、終わりにするべきだとわかっていても、この初恋を捨てられないでいる。
今この瞬間も隆の背中が愛おしくて切ない。
隆の初めての恋の相手に選ばれなくても、それを失って傷ついた隆を癒す相手に選ばれなくても、二度目の本気の恋の相手になれなくても、一生隆に愛を囁かれなくても、それでもどうしても隆が愛しくて愛しくて仕方がないのだ。
恋なんて知りたくなかった。
「何か入れる袋持ってくる」
そう言って兄の部屋を出た。
二十巻まである漫画を入れるにはどれくらいの袋が必要だろうか。二十巻まで読んだら隆は南さんに少し近づけるのだろうか。
隆が紙袋に入れた漫画を持って帰って、隆の気配が残る自室で考える。
私が隆への恋しさを捨てられないのは諦めよう。
でも隆にはこんな思いはしてほしくない。
隆の新しい恋を応援しようと思いついてしまう。
思いついてしまったら、私は馬鹿だから努力してしまうのだ。
隆が好きな南さんの親友が渡辺さんだ。渡辺さんとは一年のとき同じクラスで同じ班になったことがあって、携帯番号を交換していた。
渡辺さんを通じて南さんを花火大会に誘おうと思った。そうして一緒に行動すれば、南さんが隆の良さに気がつかないはずがないと思った。
それで渡辺さんに電話する。
善は急げというよりも早くこの混乱を抜け出したかっただけかもしれない。
「もしもし」
一年近くぶりの電話だったので、渡辺さんの声は緊張しているようだった。
「もしもし、私、瀬崎です」
「久しぶり」
「うん。急にごめんね」
「ううん。でも、どうしたの?」
優しい渡辺さんに嘘をつくのは気がひけたけど、隆の名前を出して警戒されたくなかった。
「花火大会一緒に行かない?」
「え?」
「実は四組の上杉くんたちに一緒に行かないかって誘われたんだけど、男女数人でって言われてて、でも一緒に行ってくれる女の子見つからなくて、携帯に登録されてたし、一年のとき渡辺さん仲良くしてくれてたから、思い切って誘ってみてるとこなんだけど、迷惑だったかな?」
「ううん。驚いたけど、迷惑じゃないよ」
渡辺さんは快諾してくれて、予想通り南さんを誘ってみると言ってくれた。花火大会までにまた電話する約束をして切った。
それから奈々に電話をして、上杉くんのことを伝えると、自分は彼と行くから気にしないでと声を弾ませた。
夕食のとき兄に、隆に漫画を貸したことと、ゲームソフトを貸してほしがっていたことを伝えた。それから部屋に戻って、長い一日を封印するように目を閉じた。手の届く場所にいる隆が永遠に届かない事実は眠っている間だけでも夜の闇の中に閉じ込めたかった。