1
見つけたのは僕が先だった。
あの始まりの光景ばかりが繰り返し頭の中で上映されて、あの日の雨の匂いすら忘れることができないでいる。忘れようとすればするほどに、記憶が鮮明になっていく気がする。もしかしたらこの記憶の映像は僕の妄想に犯されて、細部が新たに作り出されていっているのかもしれない。あの日のことだけではなく、すべての記憶がそういうふうにできているのかもしれない。そんなことを延々と考え続けてしまう。
思考の迷路から逃れたくて、冷房の効いた部屋から太陽に歪まされたアスファルトの上を歩いていく人々を見下ろす。
中年女性の持った黒い日傘よりも小学生たちに握られた虫取り網のほうが夏の暑さをしのげそうな気がする。
小学校の低学年の頃は、夏休みにカブトムシを育てて、セミ取りをして、セミの抜け殻を集めて、そんなことに熱中できた。高学年になって、自分が本の虫になり、生きている虫への興味は薄まっていった。中学生になって、去年は本ばかり読んで過ごした。それが最上級の夏の過ごし方だと今だって思う。
それなのに今年の夏休みは机の上に積まれた本もベッドの上に置いた読みさしもほとんど進んでいかない。
本の中の一文に、一語に、一字に、彼女を思ってしまうから。
恋の物語を何度も読んだ。
恋愛小説だけが恋を語るわけではなく、歴史小説にも推理小説にも恋は振りかけられていた。
恋を知らなかった僕は、恋に踊らされて、溺れて、何もかもを失っていくような登場人物たちを馬鹿だと思っていた。
恋を知ってしまって思う。
馬鹿になっていなかったなら、それは恋なんかではないのだ。馬鹿になった僕は、この思いを投げ出したくて仕方がないのに、その方法を知らない。