Karte1 : 圏外
Prrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
Prrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
Prrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
Prrrrrr…
ふかふかのベッドの上でカーテンからはみ出る朝日に照らされて、僕は目が覚めた。
なんということでしょう、僕は死んでいなかったという事になる。
「おはよう、さっきぶりだけど私のこと覚えてる?」
女の子が体を起こした僕に話しかける。
どうやらここは彼女の家みたいだ。
…そうだ、だんだん思い出してきたぞ。
一面深緑の森の中、倒れているところを僕はこの子に助けられたんだった。
恐らく僕が引きずり込まれた海と繋がっている水場が森の中にあったのだろう。
「うん、さっきは助けてくれてありがとう。」
「もう具合はすっかり良さそうね。さっきは本当に死にそうだったから森での事なんて覚えてないとまで思ったけど、その表情を見て安心したわ。」
…覚えてはいる。
だけど正直な話、森での出来事は忘れていてくれたほうがマシだった。
その時の気持ちの悪さに当てはまる言葉は見つかるだろうか?
―――意識が朦朧としていたせいか、女の子(多分目の前にいるこの娘)が喋ってるけど何を言ってるのかが分からないので、雑音でしかなかった。
色相環に収まりきらない無数の虹が重なって、耳をどんなに強く塞いでも聴こえる引っ掻き音・金属音・悲鳴、呼吸をすれば空気の手に脳みそを掴まれてるみたい。
鼻から血が出た。
口の中もやっぱり血の味がした。
全身が擦り傷をしてるみたいで体は寒いのに顔や眼球の裏だけはすごく熱くて、歪んで潰れてしまいそうだ。
首を絞められる様な感覚、死―――
「ちょっと大丈夫!?」
「…うあっ!?」
やばい、意識が飛びそうだった。
「ごめん、森でのことを思い出してボーッとしてた。」
かなり冷や汗もかいていたみたいで彼女を心配させてしまったみたいだ。
「やっぱりまだ危ないわね…。君はまだ休んでた方が良いわ。」
「そ、そうするよ。」
ここでしばらく休ませてもらってから家族と合流しよう。
どれだけの時間が経ったのかは分からないけどみんなが心配してるかもしれない。
この家の電話を借りて先に連絡を取っておいたほうが良いかな。
「あの―――」
(そういえば名前知らないな。『君』とか『あなた』とか呼ぶのもなんだし聞いておこう。)
「―――名前教えてもらえるかな?お礼とかするときに名前知らないと不便だしさ。」
「あらお礼?何をくれるのかしら。楽しみだわ!」
彼女は無邪気な笑みを浮かべながらそう言った。
この娘には表裏というものが無いんだろうなと、そう思わせてくれる眩しい表情だった。
「まあ、お礼が目当てって訳じゃないけど名乗らせていただくわね。私の名前は"エリリ"っていうの。君は?」
「僕は"白雪上春"、上春でいいよ。」
「ウエハル、ウエハル…語呂が悪いわね。『ハル』でいいかしら?」
「もちろんだよ、好きに呼んで。」
「そう、よろしくね"ハル"。」
挨拶が済んだ後エリリは自分の右手をこちらへ差し出した。
その手を握り、僕らは軽く握手を交わした。
「それでエリリ、早速で悪いんだけど電話を貸してもらえる?家族が心配してるだろうから連絡を取りたいんだ。」
「"デンワ"?なにそれ。」
…んん?
「え?なにそれって、え、どういうこと?テレフォンだよテレフォン!スマホでも全然良いしさ!」
「いや、そんなに叫ばれても分からないわよ。どのワードも残念ながら記憶にかすりもしないわ…。」
エリリは『電話』を本当に分からないみたいだ。
「えっと、お父さんかお母さんはいる?」
「いないわよそんなの。」
外出中か、困ったな…。
「じゃあさ、せめてこの家がどの辺りにあるのか教えてもらえるかな?」
現在地がわかれば家族との合流の目処が立つだろう。
「ここは"サクロティア"付近の森の中ね。」
「"サクロティア"?」
そんな地名は聞いたことがない。
一体僕はどこまで流されたのだろうか?
「まさか知らないの?結構大きな街じゃない!…ハルって結構世間知らずなの?」
「電話を知らない人に言われたくないな…。」
「んなっ!デンワ、を知らないよりもよっぽど恥ずかしいと思うわ?ハルのほうが!」
「そんな恥なんか知らないね、もちろん街のことも。」
なんだろう、話してるうちに少しずつ気づいてくる事がある。
会話がここまで噛み合わないことがあるのだろうか?
胸に重くのしかかるような違和感を感じたので僕はそれを確かめるため、いや、否定するためにベッドから立ち上がった。
不確かな絶望から逃げるように乱暴にカーテンをずらし、そして窓を開けた。
割と高い…、ここは二階、もしは三階だろうか。
森の中の木々の隙間を覗くと、そう遠くないところに綺麗な街が見える。
あの街が『サクロティア』だろうか?
(…とても綺麗な景色。)
だけど、光あふれる素敵な街を見ているはずなのに、僕の眼は光を失っていた。
直感的に分かった。
僕が今いる場所が"地球上のどこでもない"って事が。
「どうしたの?外に何かあったの?」
やめろ、そんな事は気にするだけ時間の無駄だ。
窓の外には君の目を引くものなんて一つもないのだから。
「『何も無い』があった。」
現実逃避だろうか、僕はおどけてみた。
「なにそれ。」
エリリは呆れたように溜息をついた。
彼女からの質問に対して嫌気がさしたのもあった。
これでも彼女向けの言い方をしたつもりだ。
実際僕以外にとっては代り映えのしない景色なのだから。
「おかしな人ね君、会話も噛み合わないしこの辺の人じゃないみたい。」
先程の僕と同じように彼女も違和感に気づいてきたらしい。
「…ひょっとすると君は遥か彼方の大陸からでも来たのかしらね?何かひどい目にあって、『どんな目的で、どうやってここに来たのか』の記憶が一時的に抜け落ちてしまっている、とか?」
エリリは、彼女なりに僕の事情を推察する。
…そう、やけに鋭く推理した。
「さあね。」
"遥か彼方"についての互いの認識は違えど、おおよそは正解だ。
「まあ、どっちにしろ休んだほうが良いのには変わらないわ。さ、ベッドに戻って。」
嫌だ。
どれだけ休んでもこの胸のざわつきは収まらないはずだ。
少なくとも今の僕はそう思う。
「休んでる暇なんてない。今すぐここを出ていく。」
「行く当てがあるっていうのかしら?」
慌てて僕を引き留めるエリリ。
確かにそうだ、行く当てなんて無い。
僕が今一番自覚したくなかったことを言われてしまった。
(仕方がないだろ。)
どれだけ心の中で冷静を演じようとしても結局はただ、焦るだけのしかできないのだから。
「…何か行動してないと落ち着かないんだ。」
「といってもね…、うーーん。」
エリリは人差し指を側頭部に当てながら言った。
これが彼女の何かを考えるときの仕草なのだろう。
そして6,7秒程の時間が経ってから彼女はこう提案した。
「分かった!それだったらアタシもついて行ってあげる。それだったら君が倒れてもすぐに回収できるでしょ?」
回収って。
「好きにすれば。」
僕は部屋から出ながら言った。
「ちょ、いつの間に出入り口に…!待って待ってー!」
(僕も素直じゃないな。)
会ったばかりとはいえ、誰かと一緒に居られることが僅かな心の安らぎになっているというのに。
[この電話はお繋ぎすることができません。]