不安
泣いたって、泣いたって、何かが変わるわけじゃない。
止めればよかっただなんて、未来が見えるわけじゃないのだから、どうやって止めろと言うのよ。
後悔したって、求めたって。
苦しくたって、悲しくたって。
どんなに泣いたって、変わりやしないの。
事故発生から一日が過ぎて、けれどちっとも変わらない状況に、暗いことばかりを言うニュース。
耐えられなくって、もうニュースは見ないようにしているのだけれど、心配な気持ちは収まることを知らない。
やっと手に入った幸せを、心に開いてしまった穴を、埋める方法なんて私は持っていないわ。
どうしてなの?
いっそ、私も一緒に連れて行ってくれたなら、これほどは苦しくなかったと思う。
だけどそれも罪なことよね。
だってあの人は私を愛してくれているんだもの。
愛する人を喪う悲しみを、私だけじゃなくて、あの人も味わうことになるというだけ。
私の苦しみを軽減するために、巻き込んで、一緒に苦しもうだなんて、……最低だわ。
こういうところがいけないのかしら。
こういう望みも、持ってはいけないのかしら。
どうして。
尋ねることさえ、罪と呼ばれてしまうのかしら。
私たちが生きてきた道が、間違えだったと言うのなら、何が正しくて何が間違っているのかもわからない。
全うな道で、ずっと幸せを目指していたんだもの。
努力して幸せを手に入れてみせたんだもの。
だれも傷付けてなんかいないだなんて、そんな人は存在しないわ。
けれどね、私たち、悪意を持って人を陥れたことなんてないのよ。
♪ プルルルル プルルルル ♪
これは、……電話の音、かしら?
もしかしたら、あの人かもしれないわ。
ニュースの言っていることなんて信じないもの。
きっと無事で、あの優しい声で、私の名前を呼んでくれるんだわ。
寂しくなっちゃって、公衆電話があったから、ついね。
そんなことを言うあの人に、
まだ離れてそう経ってないじゃないの。だけど、私も寂しかったから、ちょっと嬉しいかも。時間が空いていたら、お話をしましょ。
そうやって私は返すの。
二人で笑って、くだらない話をするの。
今日の夜には帰るからねって、そう言って、電話越しに愛を囁いてくれるんだわ。
そうよね。そうなのよね。
そうじゃなくっちゃ、困るのよ。
だって私、それ以外は受け入れられないもの。
「はい、もしもし。三月です」
電話に出てみたらば、その相手は病院なのだった。
話によると、どうやら、あの人は無事であるようなの。
嬉しくて堪らないわ。
あの人は事故になんか巻き込まれていないって、そんなことは、やっぱりあるわけがなかったのだわ。
そうなのだけれど、無事なのだったらそれでいいわ。
高くを望むつもりはないもの。
私の願いは、たった一つなのだもの。
「今すぐ行きますわ。一応、住所をお教え頂けますかしら?」
説明をもらって電話を切ると、すぐにタクシーを呼ぶ。
待ってて。待っててね。
私が不安だったのよりも、きっとあの人は不安だったに違いないわ。
だから待ってて。
早く病院に着いたらいいのに。
「どれくらいで到着しますかしら?」
「二十分は掛からないでしょう。お急ぎのご様子ですし、病院ですから、相当に重要なことなのでしょう。必ず、すぐにお届けしますよ」
タクシーのおじさんは、そう言ってくれる。
ニ十分もあるのなら、その間に、どうにか気持ちを落ち着かせておかないといけないわね。
おじさんはこう言ってくれているけれど、別に急ぐ必要なんかないわ。
だってあの人は無事なんでしょ?
命の瀬戸際だとか、そういうことでもなくって、病院に運ばれて、きちんと意識もあると言っていたわ。
だからこんなに不安になることなんてないの。
それなのに、どうしてかしら。
不安で不安で堪らなくて、胸が苦しくてならないの。
あの人に電話を代わってもらうことは、どうしてできなかったのかしら。
どうして、何か言いづらそうなことがあるような、私のことを哀れむような言い方だったのかしら。
喜んでくれたってよかったじゃないの。
だのに、どうしてなのかしら。
苦しくてならないわ。不安でならないわ
「三月春佳の妻の、三月弥生です。早く、ご案内いただけませんかしら。あの人は、どんな様子なんですの?」
病院に着いたなら、なぜだか更に嫌な予感が大きくなる。
駆け寄って行ってすぐに受付へ行くの。
そうして、私がお願いしたなら、私の想いを汲み取ってくれたのかしら。待っている人もいたはずなのに、その場で調べてくれたの。
部屋番号を教えてもらって、私は病院の廊下ってことも忘れて走っていく。
タクシーのおじさんも、病院の方も、先に待っていた方々も。
ほら、やっぱり私の周りには、こんなに素敵な人ばかりが溢れているんだわ。こんなに恵まれているんだわ。
そうよ。不幸せなはずがない。
最高に幸せなの。そうじゃなくちゃ、おかしいわ。
優しい人たちに申しわけないもの。
「ねぇ、あなた、大丈夫なの? すごく心配したのよ」
名前を見付けて、ノックもせずに飛び入る。
ひどくマナーがなくて、私ったら、いくら不安だったからって、これじゃあわるい子だわ。
その報いが来てしまったのかしら……。
せっかく神様は、あの悲惨な事故から私たちの幸せを守ってくれたというのに、最後の最後で私がいい子でいられなかったからだわ。
私がよく知っているあなたは、奪われてしまった。
いなくなってしまったの。
「きみはだれだい? 私のことを知っているのか?」
耳を疑うような言葉だった。